番外1219 呪いの獅子
「来ます、か」
エスナトゥーラの呟きと共に、木々をへし折ってそれが現れる。咆哮と共に巨大な獣が現れた。先を走っていた岩の質感を持つ熊――ロックベアーに爪を立てると引き倒し、そのまま首元に齧り付いてごっそりとロックベアーの延髄付近を抉り取る。
捕食と同時に、ロックベアーの身体に流れていた魔力が獅子の口元から吸収されているのが見て取れた。この力で……片っ端から襲っていたわけか? 他の魔物も逃げるわけだ。
森の奥から現れたのは――巨大な獅子だ。普通の獅子と違うのは体格の大きさだけでなく、たてがみの生えている範囲が広範に及んでいる事、だろうか。
足の側面。足首。背中などに沿って生えた、紅蓮に輝く、炎のような長いたてがみが揺れている。
それと……額のあたりから一対の水晶のような質感の角。……類似の魔物は見た事がないな。魔力溜まりで変異したか?
大きな力を持っているが、手負いか。その脇腹に傷口と、血で汚れた痕跡がある。魔力溜まりの主に挑んで敗れたか。但し、その傷も魔物達の魔力を吸収する事で回復していっているようだ。
獅子は――俺達の存在に気付くと、貪り喰らう動きをぴたりと止めて顔を上げ――そうしてこちらを窺うように低く喉を鳴らして口を開いた。
「人間……イや、モっと高位の、何か……ソうか、魔人、カ」
「言葉を介する、とは」
向かい合うエスナトゥーラが少し驚いたように言うと、それは言葉を続ける。発音が不明瞭というよりは、揺らいでいるような獣の唸り声が混ざったような、奇妙な響き。
「能力を得たノは……森の王ニ敗れテ、かラノ事。言葉ハ……能力ニよッて、引キ出サれタ。カつテ喰ラッた、にんゲンの物で、あろう」
そう言って、こちらを見ながら獅子は敗戦の悔しさを思い出したかのように顔を歪めて、憤怒の表情を見せた。
森の王に挑んで……敗れはしたが変異を遂げた、という事か? 捕食する事で傷を癒したり、取り込んだ獲物の力を引き出せるような、そんな変異魔物の能力。だから手当たり次第に襲って回っていた、と?
「ソうだ。食らエば、チカラが増エる。傷も……癒えル。貴様らモ我が血肉、ダ。……ソシテ、我は王とナル。そウ在ルベきナのダ。喰ラウ……貴様ら、モ。供物……喰ラ……ウ、喰ラウ喰ラウ――」
その言葉と共に魔力が増大していき、エスナトゥーラが身構える。
能力が不安定なのか、呟いていた言葉も不明瞭になっていく。そう。そうか。言葉を得ても、魔力溜まりの魔物だ。攻撃的な衝動が強い。初めて見る相手を分析はしたが、目的と一致してしまえばそちらが優先される、という事か。
獅子は足元にマジックサークルを展開する。その巨体が、ふわりと宙に浮かんだ。その挙動やマジックサークルの特徴は――見た事がある。
『……飛行呪法……!?』
エレナが驚いたように声を上げた。そう。飛行呪法だ。ベシュメルクの呪術師達や呪法兵が使う術式。
ベシュメルクの呪術師を食った事がある、という事か? ザナエルクの代に、森に入っていた部隊を相手取った事があるのかも知れない。もし呪術まで使えるとするなら――。
「問題はありません。私が相手をします」
それでも静かに、エスナトゥーラが口にする。
「対呪術で支援はするし、もし危ないと思ったら割って入るよ」
「ふふ。ありがとうございます。安心して挑めます」
魔物はまだ掃討していないが、それぐらいの余裕ならある。俺の言葉を受けてエスナトゥーラは笑い、そして構えを取る。その右腕から瘴気の鞭が伸びたかと思うと、髪が翼のように広がって、空中に浮いた。
エスナトゥーラ自身はハルバロニスの武官であったウォルドムに手ほどきをしてもらい、ある程度の武芸を身に付けてはいると言っていた。
第一世代の魔人だからそうした武芸や魔法を習得する事に意識が行っていても不思議ではないが……鞭術か。
離れた距離から瘴気を広範囲に拡散したり、一撃で多くの瘴気を相手に叩き込んだり、巻きつけて流し込んだりと、武器としてはエスナトゥーラの瘴気特性に合っていて理に適っていると言える。
両者は少し距離を取って対峙し――お互い瘴気と魔力を研ぎ澄ませていく。そうして。一瞬高まりが止まった瞬間にエスナトゥーラと獅子が動いた。
空中を蹴るような仕草と共に、弾丸のような速度で突っ込んでくる。飛行呪法に寓意を込めて瞬発力を強化するような――バリエーションとも言える方式だが、流石に四足の猛獣がそれを行うと初速が強烈だ。
エスナトゥーラには――見えている。右手が獅子の動きに合わせるように跳ね上がり、鞭が大きくしなる。
空気の爆ぜる音。音速を超える鞭の先端が放つ衝撃波。寸前に、獅子は横っ飛びに大きく飛んでいた。
突っ込んでくれば鞭の一撃を顔面に受けていたであろう。たてがみがざわめくと、獅子の周囲に牙を生やした球体のようなものが幾つも浮かんで。それをエスナトゥーラ目掛けて解き放つ。同時に右に左に獅子は身体ごと飛んで肉薄してくる。
呪法弾。やはり、ベシュメルクの術式だ。エスナトゥーラは左腕で薙ぎ払うように瘴気の波を放ち、右手の鞭を振るって呪法弾と獅子本体、双方の動きに対応して見せる。
エスナトゥーラの瘴気特性は単純に温度を奪う力というよりは、エネルギーを奪う、と言った方が正確なのかも知れない。呪法弾もエスナトゥーラの瘴気に触れると大きく減衰していたからだ。元々瘴気は魔力も減衰させる効果があるが、それにしたところで減衰量が大きい。
互いの瘴気と術式が干渉し合い、弾けるように空中に花を咲かせる。余波で瘴気と呪法が弾けて白と黒に分かたれたような火花が散った。
お互いに出方を窺うような射撃戦。ベシュメルクの呪術師の知識を得ているのなら、魔人や瘴気特性の知識も持っていて不思議ではない。
エスナトゥーラの瘴気特性の正体を掴みあぐねているのか、鞭術の技量が高いと判断したのか、迂闊には間合いを詰めてこない。エスナトゥーラもまた、獅子の能力の全容が不明であるから、強引に攻めるような動きは見せない。
が、心理的に優位に立っているのはエスナトゥーラだ。スタンピードを起こした魔物達は元凶である獅子が追い付いても尚絶えず。森で見通しが悪いからパニックを起こしてこちらに逃げてきたものや、釣られて暴走に加わったものもいて、まだこちらに向かってくる魔物が絶えないし、処理も終わっていない。それでも皆が皆、魔物に後れを取らないだけの強さを持っていると獅子にも伝わるのだろう。
だとすれば、時間経過は獅子の不利になる事はあれ、有利に転じる事はない。それでも、喰らって力を増すという特性を持つ事から俺達を前にしても逃げるつもりはないようだ。
出方を窺うのはもうやめだと言わんばかりに咆哮をあげると、闘気と魔力を噴出させて、身体に纏う。あふれ出るような強靭な生命力と魔力。そうして――エスナトゥーラ目掛けて突っ込んでくる。
それは――エスナトゥーラの瘴気特性に対しては正しい対処法とも言える。エネルギーを奪うのだとしても、纏った闘気と魔力が鎧として機能するからだ。それを意図していないとするなら、エスナトゥーラにとって相性の悪い戦法をとってきたと言える。
が、エスナトゥーラも引かない。闘気を噴出させた瞬間に目を見開き、エスナトゥーラもまた牙を剥いて笑ったのだ。
穏やかな性格ではあるが、彼女もまた魔人。戦いの場に立てば高揚するという事だろう。
白く輝く瘴気と、闘気と魔力と。両者の光芒が尾を引きながら空中で激突する。迎撃する瘴気の鞭に闘気の爪撃を叩きつけて。
爆風を抜けてもう一方の爪が空を引き裂く。避ければ続く大顎が噛み砕くという構えだ。エスナトゥーラは――それを避けなかった。構えた腕に集束させた瘴気で受け止める。エネルギーを奪う瘴気特性を持つが、自身には影響を与えない。ゼヴィオンやガルディニスの瘴気もそうだった。だから、さながら闘気のように強度を上げながら、向かって来る者、叩き込まれる技からは力を奪う。攻防一体の減衰防壁として機能するわけだ。
重い爪の一撃と、瘴気防壁との間で火花が散って――大口を開いた獅子は寸前で、飛行呪法を制御して大きく後ろに向かって回転するように飛んでいた。
一瞬遅れて、瘴気が爆ぜる。集束させた瘴気を爆発させる事でカウンターを狙ったのだろう。牙での攻撃を仕掛けていれば、爆風の中へ諸に顔を晒す事になっていたはずだ。
避けたのは野生の勘か。空中で反転。即座に間合いを詰めてくるエスナトゥーラ目掛けて口から咆哮を放つ。鞭を振るえば衝撃波同士が激突、空気が歪むようにして再度爆発が起こる。
指向性を持つ音の衝撃波。竜の咆哮に似た技を持つようだ。両者ともお構いなしに爆風に向かって突っ込んで行く。踊るように鞭を振るえば獅子が爪を振るい、呪法弾を放って幾重にも衝撃が広がる。
互いに纏う力を打ち消し、薄くなったそこに目掛けて技を振るう。纏う鎧を削り取って致命となる一撃を叩き込むための技と力の応酬。
エスナトゥーラの振るう鞭も――瘴気である事は割れている。もう自然の鞭に見せかけるのはやめたとばかりに舞うようなエスナトゥーラの動きとは裏腹に、竜巻のように荒れ狂う。
距離を取った獅子の、額の前あたりにマジックサークルを展開されるが――。それは無駄だ。キマイラコートの内側で、護符が一枚、燃え上がって焼失した。
獅子は一瞬こちらを見て憤怒の色を浮かべる。間合いを無視して効果を発揮するような呪いに対しては、生憎だが対抗策を講じている。身内に対する遠隔呪法は、護符があるだけ身代わりになるわけだ。それを掻い潜ろうと思うのならば俺と遠隔呪法戦をして上回る必要があるな。
そうした一瞬の空白をエスナトゥーラは見逃さず、間合いを詰めていく。獅子は苛立たしげに咆哮をあげると、それを迎え撃つのであった。