番外1218 氷絶妃の想い
縄張り争いから逃げている、と言ってもそれは魔力溜まりに影響を受けた魔物同士の話だ。そうでない外部の者には魔物は逃亡中でも容赦なく襲いかかり、蹂躙しながら進む。
魔力溜まりの縄張りを追われて魔力の供給が不安定になり、それを狩りで補おうとしているのか。
或いは強者であると示す事が魔力溜まりの中でより良い場所を得る事に繋がるのか。
いずれにしても深魔の森の奥にいた魔物達がこちらに押し寄せてきている事には間違いない。
枯木の魔物達の群れの中から黒い獣が飛び出してくる。赤い瞳を爛々と輝かせながら俺に向かって迫ってくるそれは――シャドウウルフと呼ばれる魔物達だ。そこに――。
地中から緑色の閃光が放たれた。カストルムが放った拳は地面に着弾して埋まっていたからな。そのまま地中を移動して位置を変えての射撃だ。魔力の感知ができなければ避けようもない。
先頭を駆けていたシャドウウルフは胴体を撃ち抜かれ、走ってきた勢いそのままに地面を転がって動かなくなる。
それを見て取った後続のシャドウウルフ達が自分の影に沈み込むような動きを見せた。分散するように一旦左右に散って――俺の近くまで来たところで四方から飛び出してくる。
魔力感知の網でその動きは捉えている。シャドウウルフの潜航はカドケウスのそれとは違って長く維持できないという話だからな。緊急回避からすぐさま攻撃に繋げると踏んでいた。
土魔法で迎え撃つ。グラウンドスパイク。間合いを詰めて地面から飛び掛かってくるシャドウウルフを、俺の周囲全方位に展開した土の槍衾が迎撃していた。一匹が反応して身体を捻って躱すも、それではウロボロスの打ち降ろしは避けられない。打擲と共に青白い余剰魔力の火花が弾けて、シャドウウルフが地面に叩きつけられる。
次――! 俺の迎撃に合わせて後続を分断するようにカストルムが動いていた。射出してあった手が空中を舞い、掌から立て続けに魔力弾を発射。迫ってくる枯木の魔物達が避けたところにもう片方の拳が射出されて叩き込まれていた。一撃でごっそりと魔物の群れが削られる破壊力。それでも魔物達は止まらない。粉砕された木々を乗り越えるように巨大な蟷螂が迫る。
両腕を射出したカストルムは――それでも俺に音を鳴らしてあれは任せて、と告げてきた。
カストルムの胴体部分に幾つかのマジックサークルが浮かび、緑の光弾が放たれる。蟷螂は軌道を見切って上体を動かしたようだったが、カストルムの放ったそれは射撃を目的としたものではない。
当たる寸前に光弾が弾けて、四角い光壁が蟷螂の眼前を埋め尽くした。光壁一つ一つの展開する範囲はそこまで大きくないが――止まれない。
突進してきた蟷螂を始めとした魔物達は、まともにそれにぶち当たる。光壁にぶつかるとスパーク光が散って……そこに空中から回り込んできたカストルムの両腕が容赦のない弾幕を叩き込んだ。
なるほどな。今の光壁は結界術の派生か。両腕を射出していてもカストルムの戦闘能力は十全にあるようで、これならば心配いらなそうだ。
木々の間を、稲光が自在に奔る。迫る魔物の群れを貫くように雷光が一閃すると同時に、瘴気槍の穂先が魔物を薙ぎ払っていく。あまりの速度に、数で勝るはずの魔物が追えていない。統制されているわけでもない群れであるから、有効な手立てを打つ事もできずに削られていく。
雷光を纏って動く、テスディロスの覚醒能力だ。木立ちの中でも自在に飛び回る程のコントロールを身につけたのは割と最近の話であるが……この辺のコツは転移魔法と同じように次とその次ぐらいまで移動する場所を定めてから動いているからだな。
雷光突進の余波による感電。すれ違いざまの一撃。そうした攻撃の成否に反応してパターンを変えているので、傍目には変幻自在に動いているようにも見えるな。
閉所での対集団戦闘を想定した動きなので、開けた場所での動きや一対一ではまた変わるが……こうした動きを組み上げた思惑通りというか、対集団では速度と破壊力による攪乱ができているな。
「遅いッ」
脇を抜けていこうとした魔物に、雷光の中から瘴気槍が投擲されて地面に縫い止める。武器を手放したのを好機と見たか、歩行する巨大ウツボカズラが蔦を伸ばして攻撃を仕掛けるが、再びテスディロスの手の中に瘴気槍が形成されて迫る触腕を切り払っていた。
魔人が魔人としてある限り、瘴気の武器は形成し直す事ができる。武器が手元から離れたとしてもそれは隙にはならない。
切り払った勢いそのままにテスディロスが突貫。ウツボカズラに横薙ぎの一撃を見舞えば、消化液が周囲にまき散らされて、近くにいた魔物は足元から白煙を上げて逃げ惑っていた。
俺から見てすぐ右手側の森ではそうしてテスディロスが当たるを幸い薙ぎ倒すような活躍を見せ、左側の森ではオルディアも動いている。
既に魔物達の群れに瘴気を浴びせ、そこから能力を収奪しているらしく、幾つもの宝石を自身の周囲に浮かべて、群がってくる魔物の群れに目掛けて解き放つ。
空中から踊りかかってきた猿の魔物に、オルディアの周囲に浮かぶ宝石の一つが反応。巨大なクワガタ虫の大顎の形をした闘気のようなものが飛び出して、猿を空中で捉える。
そうやって動きを止めた瞬間に研ぎ澄まされた瘴気弾が猿を貫いて。そこからまた宝石が奪われる。手傷を与えると同時に力を収奪して別の魔物に叩きつけるというわけだ。力を奪われた魔物は弱々しい動きしかできなくなり、後続の魔物に踏み潰されて防御も回避もままならない。
俺達がそうして防衛戦を張っているその外側の範囲を受け持つのが、煙を広々と展開したオズグリーヴと――カルディアだ。オズグリーヴが煙で文字通りの足止めしたところに石化のブレスを放ち、それを浴びた魔物を空からリンドブルムやティアーズ、ウィンベルグや働き蜂といった面々が粉砕して回る。
一匹たりとて後方には通さないという構えを見せている。煙とブレス攻撃なので範囲と性質が非常に分かりにくい。間隔を広く取っているので友軍を巻き込む心配もなく、悠々と石化ブレスを浴びせて回るカルディア。吐き出したブレスをオズグリーヴの煙が包み込み、離れた別の場所で噴出させたりと、中々凶悪な連携も披露している。
ルベレンシアも呵々大笑しながら岩のような体表を持つ熊の魔物を殴り倒し、足をひっつかんで武器として振り回していた。火竜らしい豪快な戦い方だ。魔界の火竜の魔石による大出力で身体能力の底上げをしているわけだ。
突っ込んでくる蜂の魔物を尻尾で粉々に砕き、当たるを幸い暴れ回る。
エスナトゥーラもまた、森の一角を担当。群がる魔物相手に大立ち回りを演じていた。エスナトゥーラの変身は、髪も身体も青白く変化し、身体には薄い青や紫の瘴気のヴェールが重なって、さながらドレスを纏ったように変貌する、というものだ。額の部分に宝石のような輝きが浮かんで、サークレットのように輝いている。
長い髪は水中にいるように大きく広がってゆらゆらと揺れているが――。そんなエスナトゥーラを中心に、周辺の空間温度が凄まじい勢いで下がっているのをウィズは観測している。
本人の弁によれば冷気そのものを操っているのではなく、瘴気に晒されたところから急速に熱を奪っていく能力、と認識しているそうだ。だからこそ――効果範囲を効率良く広げるために、ああして長い長い髪にしているという。
ウツボカズラの魔物がエスナトゥーラ目掛けて消化液を放つが――それは辿り着く前に薄く瘴気の広がったエリアに入り込み、瞬時に空中で凍りついてしまう。
エスナトゥーラがドレスの裾を翻しながら、髪の一房を連動させるようにして仰げば――瘴気が風となって押し寄せ、射線上にある一切合財から熱を奪っていく。
単なる冷気による攻撃と違うのは低温下に晒されただけ、では済まされないところだ。瘴気は……生命体に対して侵食作用を持つからである。
ゼヴィオンの瘴気に侵食を受ければ継続して高熱で焼かれてしまうように――エスナトゥーラの瘴気を対策せずに受ければ、浴びせられた部位に瘴気の効果が残って、効果が消えるまで凄まじい勢いで熱を奪い続けられてしまう。
その結果として肉体が凍りついてしまうだけで、凄まじい冷気は見た目とは違い、作用が起こった効果に過ぎない。エスナトゥーラには人間側に付けられた二つ名はないとの事だが、ウォルドムは異名を名付けるとするなら氷絶などが良いのではないか、と言っていたそうな。確かに……二つ名で能力の本質を教えてやる必要はないからな。
実際、変身後の形態や表面上の能力も相まって、氷の女王といった風格の漂うエスナトゥーラであるが。
「ふふ、何もかもを拒絶するような力ではありますが……あの人は美しいと言ってくれました。忌まわしい力と後悔した事もありますが……今になって人助けの為にこの力を振るっているというのは、不思議なものですね」
そう言ってエスナトゥーラは戦いの中にあって静かに微笑む。そうして向けた視線の遥か先には――大きな生命反応を持つ魔物が一体。
まだ木立ちの向こうで姿は見えないが……このスタンピードの原因となった、魔力溜まり有数の実力者の一体だろう。こちらに凄まじい勢いで迫ってくる。
「ここは、私が。境界公が私達の子らの未来を守って下さったように。人々の平穏を守るためにもこの力を振るえるのだと。その希望を、私達の意志を、示す事ができるのを嬉しく思っているのです」
その言葉に頷く。エスナトゥーラは微笑みを崩さず、一瞬俺の方を見やって頷き返し……それから、真剣な表情になって正面を見据えるのであった。