番外1140 共鳴と昇華
中層は前に来た時と同様、花が咲いてあちこちに緑が見えて、綺麗なものだ。亡者に変装して中央の塔へ向かう道中、亡者の子供達がリネットのところに駆けてきて、挨拶をしたりしていた。
「下層っておっかない場所なんでしょ? 大丈夫だった?」
「鍛えてるから、まあ、この通りどうってことないさね」
子供達の言葉に肩を竦めてそう答え、きらきらとしたまなざしを向けられてそっぽを向くリネットである。
そんなリネットにヘスペリアやルセリアージュも楽しそうに肩を震わせたりしていた。
そんな調子で中層は平和な様子だ。中央の塔に到着すると、俺達が以前来た時に使っていた階層の広間に通された。トイレや厨房等々、必要な設備は既に設置済みなので、俺達としても過ごしやすい場所だろう。
「ふむ。来たか。水晶板越しで分かっていた事ではあるが、怪我もなかったようで何よりだ。」
既にベル女王がやってきており、俺達の姿を認めるとそう言って笑顔になる。
「ありがとうございます。これなら時々来て負の念解消等も手伝えそうですね」
そう言って確保できた昇念石を渡すと「感謝する。良い石が形成されたようで何よりだ」と言って石を手ずから受け取る。
そうしてこれからの予定を教えてくれる。件の人物はもう中央の塔にやって来ていて、俺達が希望するならそのまま面会もできる、との事だ。下層から戻ってきたところだから先方としても遠慮してくれているのだろう。
「俺としては――問題ない」
「同じく」
ヴァルロスが言うと、同行している面々も頷く。それを受けてベル女王はヘスペリアに「では、予定通りに」と伝えた。
腰を落ち着けて話をしていればすぐにやってくるだろう、との事だ。では、俺達は俺達で、お茶を淹れたりして一息つかせてもらおう。そうしているとベル女王はリヴェイラにも視線を向けて言葉を続ける。
「索敵等で大分活躍したそうだな。その表情では――良い経験が積めたか」
「ベル陛下に教えて頂いた術が、とても役に立ったであります! それに……監獄区画や独房も見てきて勉強になったであります……!」
ベル女王に一所懸命身振り手振りを交えて説明するリヴェイラである。そんなリヴェイラにベル女王はにこにこしながら相槌を打っていた。
程無くして、ノックの音が響き、ヘスペリアが3人の人物を連れて戻ってくる。
3人とも冥府の住民なのであろうが、所謂亡者らしい姿ではなく、生前の姿に近い霊体だ。いずれも上層の住民、という事になるのだろう。
見た目の年齢で言うなら一人は12、3歳ぐらいの少女。残りの二人は30半ばから後半ぐらいの男女、といった風情だ。
部屋に入ってきたところで俺達も立ち上がり、挨拶を交わす。肩書きについては――事前に聞いていた通りだな。
男女二人は夫婦という間柄だ。柔らかく微笑み、少女に先に話をしても構わないよ、と促してくる。
「そ、それでは」
少女は緊張した面持ちで前に出る。向かった先は――ヴァルロスのところだ。ヴァルロスも自分への面会というのは分かっているので静かに応じていた。
ヴァルロスと会って話をしたい人達がいると、独房組の面々との面会の合間にベル女王から通信があったのだ。三人も俺達との同席を望んだとの事でこの場に顔を出させてもらっている。まあ、恐らくこの件に関しては完全に部外者というわけではないしな。
「その……お久しぶりです。もう、覚えていらっしゃらないかも知れませんが」
「いや、覚えている。名前は聞けなかったが、ボルナー部族の娘、だったな」
少女の言葉に、ヴァルロスが静かに応じる。バハルザード王国の周辺で暮らしていた部族の一つだ。
「はい。その節は――大変お世話になりました。ロシャーナクと申します」
「そうか、ロシャーナク、か」
名を呼ばれたロシャーナクは嬉しそうに微笑むと胸に手を当てて、ヴァルロスにお辞儀をする。
そう。ハルバロニスの森で行き倒れて、ヴァルロスとフォルセトに手当てを受けるも、そのまま亡くなってしまった少女だ。
「俺は――礼を言われるほどの事は出来なかった……と思うのだがな」
ヴァルロスが静かな口調でそう言うと、ロシャーナクは首を横に振る。
「いえ……。あなたがあの時、父様のふりをして下さったから。私は想いを残す事なく、安らかに眠る事ができたのです。その後も……時折冥福を祈っていて下さったことも、きちんと伝わっています。ですから……いつかお礼を伝えられたらと、ずっと思っていました」
「そう、か」
「はい」
ロシャーナクの言葉にヴァルロスは目を閉じる。ヴァルロスの周りに浮かぶ罪業の炎が激しく揺らぎ……水晶板モニターの向こうで通信室にいるフォルセトも天を仰ぐ。
「そして一緒に私を看取って下さったフォルセト様達が、こうしてお会いできる切欠を作って下さった事に感謝しているのです」
ロシャーナクは俺に向き直って改めてお辞儀をしてくる。
冥府に来てからそれなりに時間も経っているからか、かなり落ち着いた物腰だな。
『ああ……。ナハルビアの旧都でお墓参りをしたから伝わったのですね』
「なるほど。想いを受け取って……それを冥精の皆に聞いた、と」
フォルセトと俺の言葉に、ロシャーナクは微笑んで頷く。
「はい。ですから、祈りに込めた想いについても、私としても喜ばしい事です、と答えておきます」
なるほどな。祭具についても冥精達から色々と聞いているのだろう。だからフォルセト達の中に、俺も含めたというわけだ。
ヴァルロスも……時期からしてもしかすると自身の祭具については察しがついたかも知れないが、それでも問題ないぐらいに、場に清浄な魔力が高まっているのが分かった。こういう縁もきっと、あの指輪に力をくれるだろう。
「私からは、一先ずは伝えたい事を伝えました」
ロシャーナクが控えていた二人に向かって言う。静かに待っていた二人は頷き、ヴァルロスに向かって一歩前に出る。
男女二人は誰かと言えば――ロシャーナクと一緒に現れたのが答えのようなものだ。ナハルビアの……国王と王妃。オルハンとエスラである。
「二人は――ヴァルロスに伝えたい事があるとの事でな。墓参りを受けて、眠りから目覚めて相談を受けたのだな」
ベル女王の言葉に、ヴァルロスが頷いて二人に向き直る。
「久しいな、ヴァルロス殿」
「ご無沙汰しております」
オルハンとエスラがヴァルロスに言う。ヴァルロスは二人に向き直ると、口を開く。
「ああ。俺が未熟だったばかりに……辛い思いをさせた。今更謝っても、許されるものではないが」
ヴァルロスのそんな言葉に、オルハンとエスラは目を閉じ、かぶりを振る。
「……いや。決意と秘めた力を見誤ったのは余らだ。判断を間違えた事にも責があろう」
「それに……今更と言いましたが、貴方は……幾度も私達に謝っていましたね。だからこそ、私達は……貴方のその後の生き方を見るのは、忍びなかった。その気持ちが伝わってくるからこそ」
ヴァルロスを止めようとしたオルハンとエスラの結界を破ろうとして。ヴァルロスは目覚めたばかりの力を暴走させてしまった。
その時の犠牲を意味のないものにするまいとして……ザラディと出会い、走り続けた。
「だから……もう、自分ばかりを責めずとも良いと。そう伝えたかったのだ。三十余年、決意と共に犠牲にしてきた者達の事を想ってきた事を、他ならぬ余らだからこそ知っている。そなたの迎えた結末を知って、納得して冥府を去って行った者も多い。破壊や支配や、争いだけでなく、想いを託し、未来に繋がる想いを残した事が喜ばしい、とな」
「……それは」
「ですから、私達だけは現世に想いを残した貴方が冥府に来るまで待とうと。そう決めて眠りながら待っていたのです。此度の事で想いを託した方も冥府に来ると聞き及び、だからこそ今、その事を伝えに来ました」
二人の言葉にヴァルロスは天を仰ぐ。そうして――やがて視線を戻し、深く頷いてから自身の胸に手を当てて言った。
「貴方達が俺を許すと、そう言ったとしても。冥府での贖罪を続けたい、と思っている」
「……不器用な事だな。魔人達は未来に展望が見えているというのに」
「今更、そういう部分は変えられない」
かぶりを振るオルハンに、ヴァルロスは静かに答えた。そんなやり取りに、ベリスティオも静かに目を閉じる。
異変が起こったのは――その時だ。ヴァルロスの周りで燃える罪業の炎の……その内の一つが大きく揺らいで、眩い輝きを放った。
「罪業の昇華、か――」
ベル女王が呟くように言う。温かくて力強いのに優しさを感じさせるような。そんな魔力が広がり、どこまでも共鳴しながら高まっていくように感じられた。
やがて広がった光が、魔力と共に集束していく。
光が収まった時……そこに鎮座していたのは大きな昇念石の結晶柱だった。今までに見たどんな昇念石よりも大きく澄んだ色で……深い、清浄な魔力を放っている。
三十年越しの想い、か。ヴァルロスが抱えている罪業はこれだけではないが……それでも。オルハン達と言葉を交わし、お互いの心の共鳴によって昇華がなされたのだろう。