番外1135 獣と浄化
「では、重々お気をつけて」
「はい。後程お会いしましょう」
調整作業にはさほど時間がかからなかった。管理官が制御用の柱に触れるとそこから魔力の光がラインとなって四方八方に走っていき、程無くして調整が完了した。
レイスとしての任務の他に、冥精の戦闘訓練にも使われるのである程度調整のノウハウも確立しているらしい。
まずは新米冥精の訓練レベルから始まり、これを突破できれば一人前と見做されるところまで段階的に難易度を設定した、ということらしい。
ヴァルロス達の負の念解消任務に関しては――俺達が今から向かう場所とはまた違う経路を進んだ場所で、こちらはかなり遠慮のない疑獣達の強さらしい。
「今現在の深層はあまり制御をせず、先へ進んでいけば大物が出現するようになっています。二人が負の念を効率良く解消してくれているので、中層、下層と共に良い環境が維持されやすくなっておりますな。マスティエルが討伐され、先王陛下が戻られた事と相まって、今の冥府の環境は非常に良い状態、と言えましょう」
中層で花が咲いたり、下層で光る水晶が生えたりするのも、負の念解消任務が影響しているというわけだ。レイス達の働きが他の亡者達の助けになるというのは……やりがいがあって良い話だな。
ともあれ、みんなも準備万端。管理官の話と相まって冥府の環境維持にも繋がると聞いて、気合を入れ直している様子であった。
そんなわけで、管理官に見送られ負の念の解消区画に繋がる通路へと進む。突き当たりには石の扉があって。ヴァルロスが冥精達と顔を見合わせて頷き、一歩前に出てレイスの剣を翳す。鍔元に嵌められている昇念石が輝きを放つと、扉が開かれる。
と、同時に……何というか、重い空気が通路に流れ込んできた。扉の先は闇が広がっていて、禁忌の地に突入した時のことを思い出すな。
当然ながらというか暗視の魔法を使っているが……この術を使っていると強い光が弱点になってしまう。これに対策を施す方法もある。
闇魔法のフィールドを纏い、内部に入ってくる光量を制限する、というわけだ。これにより、暗視の魔法を使いながら突然強い光を受けても視界がホワイトアウトしなくなる。
冥府下層に赴く事もあり、光対策をした暗視の魔道具も用意してある。
そうした術で見回してみれば――。広々としているが制御施設のように人工的な印象はなく、天然洞窟の内部にある大きな空洞、といった印象の場所だった。岩が転がっていたり鍾乳石のような柱が天井から伸びていたり……死角になっている部分も多いな。
ちょっとした死角に注意を払うというのは基本中の基本ではあるか。冥精達もここを実戦形式の訓練に使うならば、それぐらいの技量は最低限求められる、という事だろう。
「それじゃ、少しばかり探索をしてみて疑獣と戦ってみようか。物陰と天井に注意していこう」
そう言うとみんなも真剣な面持ちで頷く。
「岩陰や柱のどこかに別の空洞に繋がる通路がある構造になっている。迷宮と同じく、経路が多少変化もするし、様々な条件を想定しているのか、空洞の構造も変化が持たせてある」
「索敵がそのまま前に進む通路を発見する手段にもなりますね」
ベリスティオの説明に、オルディアが言った。端だけでなく、天井、地面等にも通路があるそうだ。冥精もレイスも飛行可能だから、まあこうした構造になるのも分かるか。
一先ず、周囲を警戒しつつ空洞内部を奥へと進んでいく。
「ライフディテクションに引っかかる反応は……無い、か」
「生物とはまた違う区分、という事になるのでしょうな。特性的に我らならば感知できるかと思っておりましたが……これも中々上手くいかないようです」
「感情のようなものが区画全体に薄く広く散って、紛れてしまっているな。何かいそうな気配を感じてはいるのだが」
俺の言葉に、オズグリーヴとテスディロスが答える。それは……今までには無かった情報だな。冥精達は勿論、ヴァルロス達も他者の感情感知からの探知や先読みはできなくなっているし。魔人達の特性を利用した探知はできない、か。
「ベル陛下から学んだ術で、探知のお役に立てるかと思うであります」
と、リヴェイラが言う。なるほど。リヴェイラがマジックサークルを展開し――彼女から魔法の領域が広がっていくと、少し驚いたように声を上げた。
「正面上方……何か丸いものが来るであります……! あの岩陰にも!」
リヴェイラのその言葉を証明するかのように、正面から何かが飛んでくる。それは――球体に翼の生えた奇妙な物体の一団だった。
ただし球体の中央に人の顔のようなものが浮かんでいて、両脇から枯木のような腕をだらんと垂れ下げている。指先が鋭く尖っていて中々に不穏な姿だ。
目も口もぽっかりと空いた黒い穴で感情が読めないが――俺達の姿を認めると、目を大きく見開き、洞のような口から声を漏らして速度を上げて迫ってきた。
それは中層の入口で聞いた、亡者達の嘆きの声にも似ていて――。
「行くね……!」
「合わせる!」
ユイの言葉に答えると同時に、薙刀を構えて地面を蹴り砕きユイが突貫する。俺もその動きに合わせるように突っ込めば、母さんの放ったマジックスレイブが俺達の動きに追随してきた。
先頭の疑獣が鋭い爪でユイの突撃を迎え撃とうとするが――その速度を見誤ったのか、薙刀の一閃で真っ二つになっていた。
「邪魔だ」
ウロボロスに魔力を込めて球体疑獣目掛けて、大上段から叩きつける。咄嗟に腕を交差させて防ごうとしていたようだが大した抵抗は感じない。火花を散らして腕をひしゃげさせ、そのまま地面に向かって振り抜けば――バシャリと水が弾けるような音が響いて、飛沫が飛び散る。
それで浄化されたのか、飛沫は光の粒になって虚空に散る。ユイが切り捨てた疑獣もだ。僅かに清浄な魔力が広がったように感じられる。
と、リヴェイラの言っていた岩陰付近から新手が飛び出してくる。
球型の声に引き寄せられたか、或いは最初から待ち伏せていたか。蛙のような姿をした疑獣がゲタゲタと笑い声を上げながら大きく跳躍して飛びかかってきた。
それを――母さんの放ったマジックスレイブが迎え撃つ。マジックスレイブが鳥の形に変化し、光弾となって貫く。蛙型の疑獣はあらぬ方向から貫かれると、実体を失って黒い液体になった後、光の粒になって散る。
雷を纏ったテスディロスも後列から高速で前線に飛び込んできて、雷撃の軌跡を残して疑獣を薙ぎ払う。余波の雷撃で二匹、三匹と、疑獣が砕け散った。互いの背をカバーするように構えて、更に飛びだしてきた疑獣をウィンベルグの放った魔力弾が撃ち抜く。それで――空洞に静寂が戻ってくる。
「――脆い。まだまだ疑獣も本領といった雰囲気ではないな」
テスディロスが感想を漏らす。
この辺は前評判通りか。新米の訓練にも使われるという事で、まだまだ戦いの形にすらならない程度の相手だ。
「まだ問題にはならないけれど、ウロボロスを叩きつけた時に分かった。爪の部分に妙な魔力を纏っていたから……独特の魔力波長と、それを活用した攻撃手段を持っているみたいだ」
俺の推測は正しいというようにゼヴィオンが「うむ」と大きく頷いているが。亡者の負の感情を元に形成される、というのもな。接触してみて、実感として理解した。
「接敵しても尚、感情による探知が難しいですね。やはり……区画全体に薄く広がっている感情のようなものに紛れてしまうようです」
「区画自体に同種の魔力が広がっている状態かな。弱めの疑獣だからか魔力の流れで見ても探知が遅れるし、実物で観察したけれど生命感知も意味がない」
ヴァルロスの重力ソナーならば探知もできるのだろうが、あれは何度も放つには効率が悪いので、こういう探索においての索敵にはやや向いていないかも知れない。
ただ……リヴェイラの探知術ならば疑獣の感知もできるようだ。ドーム状に探知範囲を広げる、という術のようだから、中衛、後衛からでも問題なく索敵できそうだ。
「生者を優先的に襲うというのもありそうでしたね」
「今の疑獣はそうだろうね。察するに、生への羨望に絡んだ亡者の嘆き、かな。蛙の方は嘲笑なのか、自棄になっているのか……」
オルディアの言葉に答えるとウィンベルグも納得した、というように口を開く。
「だとしたら、生者に拘らない疑獣もおりますか」
「元になった負の念によりけり、だろうね。冥精とレイスが相手だから分からなかった性質もありそうだから、危険度の低い区画できちんと情報を集めておこう」
そう答えると、みんなも真剣な面持ちで頷く。
「ユイは……大丈夫? 感情が元になった敵だから、気が進まないならここでの戦いを控えても問題はないよ」
「えっと……。何て言ったら良いのかな。言葉にしにくいんだけど倒した時に綺麗な魔力が広がって……。だから、疑獣を倒す事に嫌な感じはしなかった、かな。人は辛い気持ちも抱いたりするし間違ったりもするけれど、同時に綺麗で優しい部分もあるんだって、テオドールと一緒にいてちゃんと知ってるし、分かるよ」
と、ユイは自分の掌を見てから大切なものがそこにあるかのように握って、それから真っ直ぐに俺を見て言った。確信がある、というような力強い意志がそこにはあって。
その言葉にフォレスタニアのみんなや護衛の冥精達も、静かに頷いている。そう、か。それなら大丈夫だな。