番外1127 現世に残した想い
ウォルドムの独房に腰を下ろし、ザラディと交わした話をできる限りそのまま伝える。ウォルドムは静かに聞いていたが、やがて目を閉じて頷いた。
「……ふむ。まあ、よかろう。ヴァルロスなる男は話にしか聞いた事がないが、ベリスティオとザラディならば知っている。現世での出来事は、彼らが信じて託すに値するとまで判断したのだろうし……そなたは、そう。余が見込んだ以上の事をやってのけたのだから」
「……見込んだ?」
「そうだ。余は余が敗れた後、ベリスティオの完全なる勝利か完全なる死のいずれかを望んでいた。嫌っているだとか、憎んでいるわけではなく、あの者の能力特性から生じる事態を憂いていた、のだな」
盟主との魂の契約、か。魔人となる代わりに盟主の身に何かあった時、器を明け渡す事になる。
だが、ウォルドムの場合はどうなのか。器として選ばれる事を忌避したいから、ベリスティオが復活した後、その身を守るために協力するという選択をすれば……また契約して魔人になる者も増えて、自分は安全な可能性が増える、かも知れない。
或いは表向き協力するふりをして寝首を掻く、という選択もある。契約を無効化し、自分の消滅を回避する手段を探すのを目標として動くというのならば、それも分かる。
では自分が敗れた場合は?
その後の事は興味がないという方が、独立独歩の魔人の在り方としてはしっくりくるが……最古参の魔人は、元が月の民であったが故に、心の在り方もまた違う、か。
ならば完全なる勝利か、完全なる死を望むというのは? それの意味するところは――。
「――器として選ばれて欲しくない者がいる?」
そう尋ねると、ウォルドムは一瞬だけ薄く笑った。それから、表情を少し真剣な物に戻して言葉を続ける。
「そなた達は、余らを最古参の魔人と呼んでいるな。今は――まあ魔人ではなくなったが。だが、ザラディから聞いたのなら知っていよう。そう呼ばれるに値する者は余らだけではなかった、はずだ。ベリスティオを慕い、魔人を種として足らしめるために重要な役割を果たした者達がいた」
その者達が今日まで永らえていれば、同じように最古参と呼ばれただろうけれど。
「ああ。力の弱い者達がいた事は……聞いている」
「では、その者達はどこへ行ったのか。ベリスティオが七賢者との戦いに敗れた後、余らも程無くして敗れ、魔人は一度潰走する事となる。余は落ち延びた後の事を知らぬが……まあ、恐らく……どこも似たようなものだっただろう」
ウォルドムは目を閉じて、言葉を続ける。
力の弱い者は戦乱の中で滅び……或いは、自己の呪われた在り方への変容や、長命による精神の摩耗に耐える事が出来なかった、と。
『……そうだな。だから私は今の冥府の在り方に賛同しているし、罪業への贖いを続けなければならない理由でもある』
ベリスティオがそう言って、オズグリーヴも目を閉じる。
魔人達は戦いの中で敗れて消えるか、長い時間の精神の摩耗の果てに消えていく。苛烈な生き方の中で緩慢な滅びに向かう種族。この辺りは……知っていた事ではあるが。
力の弱い第一世代は、生まれながらの魔人である第二世代よりも耐性がなかったというのも想像がつく。ゼヴィオンやルセリアージュでさえ、長い生に退屈していたのだから。
なまじ、人として生きていた記憶があったから。変容してもいずれは諦めか満足を得て――終わりを受け入れてしまったのだろう。戦乱を乗り越えても摩耗は避けられない。
『ですが、変容した中でも人として穏やかに笑い合える瞬間もありました。全てが罪業であり、悲劇ではなかったと……私はそう思うのです』
『そう……そうですね』
オズグリーヴの言葉に、水晶板の向こうでグレイスも静かに頷く。
オズグリーヴは隠れ里でそういった者達も見て来たか。
グレイスは……血玉の騎士メイナードや父であるエルリッヒに重ねているところもあるようだ。
「余らは人であった事を捨て、その先に向かった人でなしの怪物達だ。だが……そこに至れずに敗れるか、滅びを受け入れて、消えていった者達の方が多い」
それ故に、彼らだけが最古参の魔人として残った。
「決意故に突き進んだか、自らを怪物と受け入れて開き直ったのか、それとも生きる目的があったのか。他者については余の知るところではないが」
ウォルドムは残った最古参の魔人達について、そんな風に語る。
「だけれどさっきの口振りだと、まだ俺達の知らない最古参の魔人がいる、と?」
「そうだな。それが余の憂慮でもあるが、時折伝わってくる祈りから……それはそなたが取り除くのだろうと見ていた。こうして直接話をできるようになったからには……不測の事態が起こらぬように前に進めておきたい」
そう言って、ウォルドムはその場所について教えてくれる。位置としてはシルヴァトリアの南方――。エリオットが留学していた国のある海域か。
「オーベルクが確認した通りならば、そこに余にとっての理由となる者が未だ眠っているはずだ。あの者を……永き呪いから救ってやっては貰えぬだろうか」
ウォルドムはそう言って、俺に深々と頭を下げてくる。その姿に、ベリスティオやオズグリーヴは少し意外そうな表情を見せていた。プライドが高いと言われるウォルドムが、そうした対応に出るとは予想していなかったのか。
けれど……そうだな。ウォルドムの事情は俺の目的ともきっと一致するものなのだろうと、そう思う。
『眠り、ですか』
エレナも自分の境遇に重ねるところがあるのか、胸に手を当てて目を閉じる。
「話は――分かった。それは、俺にとっての約束でもあるから、その場所に足を運んで状況を確認してから対応すると約束する」
状況も分からない内から安請け合いはできないが、その辺は約束もあるからきっちり対応したい。その目を真っ直ぐに見てそう答えると、ウォルドムは一瞬ではあるが穏やかな笑みを見せた。
「そうか。ではこの地の底で、吉報が届くのを期待している。恩義に対する礼とはならぬが、余もまた罪業と向き合い、償う事を約束しよう。今の余にできる事はそのぐらいの事であるからな」
そう、か。話は意外な方向に転がったが……ウォルドムもそれで納得してくれるというのなら、良い事なのだろうと思う。
「とは言え余が持っている情報の中で、現在でも通じるのはそれぐらいのものだ。残りは過去の情報でしかないが……まあ、それらも伝えておこう」
「ああ。これからガルディニスやアルヴェリンデとも話をするから過去の情報も助かるかな」
「ふ……。それは中々に骨が折れそうだな」
そう言ってウォルドムは肩を震わせた。そうしてそのままウォルドムと話をして情報を貰う。
しかし……目的となる者が眠っている、か。
ウォルドム自身も慈母の封印の中で自身や眷属と共に眠りについていたけれど……能力ではなく術式の研究成果とその応用であるというのならまあ、それも納得がいくところではあるな。他者に解かれなければ現世に残した封印が今も継続している事を確信しているというのはそういう事なのだろう。
それに先程の話を聞く限りだと……魔人達の仲間ではなく、眷属達を率いたというのもまた別の事情が見えてくる気もする。自己の得意とする領域――水中での活動に適性のある魔人が少なかったというのもあるのかも知れないが、そうした魔人の在り方をウォルドムが避けた、という事も理由としては十分に有り得るな。
ともあれ、ウォルドムとも約束を交わした形だな。冥府から戻ってからの事になるが、この辺は儀式と併せてきっちり進めて行かなければなるまい。