番外1116 過去に置いてきたものは
下り階段を降りて突き当たりの扉を開けば――そこはもう鍛練場だった。シンプルというか、目的に特化しているという印象だ。広々とした大部屋は模擬戦を行うための場所か。
位置的にはベリスティオの屋敷跡地の地下から、地底湖側の岩肌の下の一部にも広がっているだろう。
大部屋の端に目を向ければ人か魔物かを模した柱が並んでいて。その中に一歩踏み入った途端に場全体に魔力が広がっているのを感じた。
ただ、決して剣呑なものというわけではなく……。
「これは、設備を保護するための魔法かな」
幾重にも構造強化や状態保存等の魔法が施されている印象がある。
「隠蔽術……ではないようですが、魔力を漏らさないような術式も使われているようですな」
「魔法をかけておかなければ設備が壊れてしまいますし、人払いも必要でしたからな。内側に魔力を閉じ込め耐久性を強化する魔法を更に補強している、というわけです。最も――私はあの当時最年少でしてな。周囲に憧れていたばかりの子供でしたので、設備のために何か貢献していたというわけでもないし、この説明も受け売りなのですが」
俺や長老の疑問にオズグリーヴが鍛練場の中を見て、懐かしそうに目を細めながら少しはにかんだように笑って答える。
オズグリーヴは最古参の魔人でありながら覚醒が遅れていたらしいからな。当時は皆にとっての弟分のような存在だったようだ。
「中を見せてもらっても良いでしょうか?」
「勿論ですとも」
尋ねると、オズグリーヴはどこか楽しそうに笑って答える。
オズグリーヴから許可を貰ったところで、鍛練場内部を詳しく見せてもらう。
広い場所は鍛練や模擬戦用の区画。端に試技用の区画。奥にはまだいくつか部屋があるようだが……。
「これは……すごいな」
壁や床、的に当時の修業の痕跡が残っている。何かの武技を使ったのだろうが、踏み込みの痕跡が罅になっていたり、どんな技を使ったのか、渦を巻くように擦れた跡が残っていたりする。
「こっちは闘気の技。こっちは……体術に魔力を併用した技、かな」
「見ただけでよく分かるものですな。その渦の痕跡はベリスティオ殿のものです」
冥府でベリスティオと共闘した時は能力が目立っていたが、体術そのものも相当なものだったからな。ガルディニスやザラディ、オズグリーヴと……それぞれ独自の戦い方に昇華しているから同門と言っていいかどうかは分からないが、月の民の武官としての系譜に位置づけられる事は確かだ。
武術だけでなく魔法も鍛えていたようだ。壁に的を描かれているのだが、中心部は焼け焦げたような痕跡が残っている。ここも何か工夫がしてあるようで。
……壁の的と射手の立つ部分、双方に魔力を減衰させるような仕掛けを施していたわけだ。大魔法はともかく、ある程度思い切り魔法が撃てるようにしてある。
鎧を着せた的もあって……そちらもかなり使い込まれているのが窺えるな。鎧の一部がひしゃげていたり、亀裂が走っていたり。
魔力の込めた掌底を叩き込んだ痕跡があるが、これは……。
「それはガルディニスの技ですな」
「かも知れないな、とは思っていました」
オズグリーヴの言葉に少し笑って答える。
魔力衝撃波というわけではないが同じ系列の技だと感じたというか。基本的には誰がどんな術を、というのが分からない程使い込まれていたりするが、所々判別できそうなものが残っていたり、修繕して設備自体も大切に使われていたのが垣間見えて、俺としてはそういう意味でも興味深い。
それから、壁に立て掛けられた訓練用の武器の数々。いずれも保存状態は良いな。やはり、状態を保つための術式が施されているようで。
いずれにしても屋内の鍛練場とはいえ、相当な修練をしていたのは確かなようだ。テスディロス達と年少組もそのへんが気になるのか、鍛練の痕跡を食い入るように眺めている。
まあ……魔人に至るための修養と考えれば相応に過酷な鍛練を積んでいたのも寧ろ納得といったところか。
「奥の間はなんでしょうか?」
「生活に必要な設備がいくつか。それから会議室ですな。目的のために色々と相談事を進める必要がありましたので」
フォルセトが尋ねるとオズグリーヴが答える。トイレ等も用意されているそうな。一つ一つ内部を確認していくが、それほど変わったものは無かった。唯一つ――会議室を除いて。
会議室に入ると、それがまず目に飛び込んでくる。
石の円卓が真っ二つになっていて、剣が突き立てられていた痕跡がある。痕跡というのは……刀身が朽ち果てて途中から折れていたからだ。
上座から下座へ。円卓ごと床を切り裂き、向かい合う壁まで一直線に斬撃痕が残っている。保護の為の魔力は施設全域に及んでいたが、斬撃痕を中心に経年劣化が進んでいるようだ。
ああ。分かりやすい程象徴的だ。
「なるほど……」
何があったのかを察した俺の言葉にオズグリーヴはそれが正しい、と言うように頷く。
「ベリスティオ殿が魔人となった証、ですな。皆の見ている前で剣に瘴気を込めて、斬撃波を解き放った」
「剣が朽ち果てているのは瘴気を用いたが故、ですか」
オルディアが納得したというように言った。
剣は朽ち果てているが、訓練用のそれよりも拵えが上等なものであったようにも見える。
恐らくはベリスティオが使っていた物だろう。
瘴気剣があるから、必要ない……というよりも、術式で強化してあっても瘴気が減衰させてしまうので、朽ち果ててしまう。瘴気に晒していれば金属も劣化していくから通常の武器を携行する意味は、偽装以外にはないな。
魔人として目覚めたベリスティオが、人である事を超越した事を仲間達に示したものであり……過去を、故郷を捨てるという意思表示でもあっただろうか。
「この剣は――良さそうですね」
「そうですな。良くてもかなり朽ちているだろうとは思っていましたが、まだ残っていれば今回の目的に沿うのではないかと……そう考えておりました」
俺の言葉にオズグリーヴが応じる。何があると明言できなかったのは、鍛練場が残っているかもそうだが、この剣が残っているかどうかが分からなかったからだろう。
『祭具にする、というわけですね』
「ベリスティオに連なる魔人達の、始まりの象徴だからね」
グレイスの言葉に頷き、剣に触れて調べてみる。ベリスティオの瘴気に晒された剣ではあるが……今は何も感じない。魔力も残っていない。瘴気に晒されたのは一度だけだろうしな。
朽ち果てているから魔法的な補強はその一度で吹き飛んだようだが、斬撃の後で床に突き立てられる程度には剣としての形や機能を残していたのだと思われる。
「俺達が捨ててきたものの象徴、でもあるか」
「そうかも知れませんな」
テスディロスが言うとオズグリーヴ達が答え、長老達も目を閉じて感じ入っている様子であった。
捨ててきたものを再び拾って、共存する道に戻る、か。軽く魔力を流して反応を探ってみれば……中々悪くない反応だ。
「んー……。金属素材として見れば、修復も何とかなるかな」
朽ち果てているが元々がハルバロニス製の上等な剣だからか、素材としての純度は高い。完全に一から打ち直すような形になってしまうが、元の形に修復する事もできるだろう。
柄の方はこのまま回収すれば良いとして……床に突き刺さったままの刃先側も回収しないとな。
力任せに引っ張ると壊れそうな気もしたので、突き刺さっている部分の床に魔力を流し、僅かに隙間を広げるようにして引き抜く。よし……。これなら問題なさそうだ。