番外1107 バイロンの門出
迎賓館では楽士達が音楽を奏でたり、料理が運ばれて来たりと、賑やかな空気だ。
料理はヴェルドガルの料理が主で、俺にとっても馴染みのあるものばかりだった。バイロンの門出の前に故郷の料理を振る舞おうというのがジョサイア王子の意図したところらしい。宣誓の儀の後の祝宴の企画までしてくれたとの事で。
キノコに川魚、猪肉。山や川の食材が多いのはガートナー伯爵領近郊で得られる食材を意識したものなのだろう。ふっくらとしたパンもガートナー伯爵領で収穫された小麦、だろうか。タームウィルズで使われている小麦は大体ガートナー伯爵領とシルン伯爵領で収穫されたものであるが。
「ああ……。これは美味いな……」
と、バイロンは一口一口感じ入るように噛み締めている様子だった。
蟄居生活では食での贅沢等はできなかっただろうと思われる。父さんがそこまで粗食にさせていたとは思わないが、宣誓の儀を受けて門出を祝う宴なので心情的にも味わい深いのかも知れない。
「ん……。俺からしても懐かしく感じる味だな」
「ふふ、確かに」
俺の言葉にグレイスも微笑む。シーラは塩で焼いた川魚を口にしてうんうんと頷いていたが。
「ジョサイア殿下がガートナー伯爵領の冒険者ギルドに、食材採集の依頼をしていたんだ。冬場だからキノコは乾燥させたものを戻したものだけどね」
と、こちらにやってきたダリルが教えてくれる。
「冒険者への依頼料の他に、領民にもお話を持ちかけられていた。供出してもらう場合は、交換する形で迷宮の食材を提供して下さったから、領民達も大分喜んでいたよ」
「なるほど。道理で」
転移門も魔道具もあるから食材も新鮮なままで交換できただろう。ジョサイア王子も粋というかロマンチストというか。そうした演出をしてくれるのは有難い事だ。
協力してもらうにあたり、きちんと交換するための食材を用意しているのもジョサイア王子の人柄だろうか。
それと……多分父さんとキャスリンも祝宴で出される料理の監修に関わっているな。ガートナー伯爵家で食べた事のある料理も多い。
そのキャスリンはと言えば、宣誓の儀は公式の場だから立場上列席できなかったものの、祝宴への出席は許されている。ネシャートと一緒に中継映像を見て決意表明は見ていたそうだから、きっと儀式の力になっているだろう。
「そういえば、今後の予定は決まっているのかな? こっちの仕事は宣誓の儀までだったから、まだその後の詳しい日程は聞いていないんだけど」
「宣誓の儀が終わった後の希望を聞かれたけどね。日を置かずドラフデニアに修業に向かうのが良いのではって、兄上から先方に伝えているよ。家族と過ごす時間もきちんと作ってもらったからって」
尋ねると、ダリルが少し真剣な表情になって教えてくれた。
「そっか。矜持もあるけど決心が鈍るとか、そういう事もあるかも知れないね」
門出の祝いの席にしても、バイロンからして見ると過分な配慮と恐縮しているのかも知れない。まだ何も成していないと、そう言っていたし。
「うん。僕も、きちんと見送らないとなって思ってる。兄上が僕にそう思ってくれているように、邪魔をするのは本意じゃないからね」
ダリルとしてもそのへんは気持ちの整理はついているらしい。次期領主として線引きをしているのだろうし、バイロンの事を応援しているというのもあるのだろう。
そんなダリルの言葉に父さんやキャスリンも静かに頷き、ネシャートも目を細めていた。
うん……。ガートナー伯爵家は大丈夫そうだな。
そのまま夕方頃まで食べたり飲んだり歌ったりと、賑やかな時間を過ごさせてもらった。セラフィナとリヴェイラがイルムヒルトの奏でる音楽に合わせて空中で踊る光景に、バイロンも含めてみんなも楽しんでいたようだ。
「妖精達とも仲がいいっていうのは……本当にテオドールは色んな逸話の通りなんだな……」
セラフィナとリヴェイラの踊りを見て、バイロンはそんな風に言葉を漏らしていた。
先日の領地での和解以後、少し世情に関しての情報も解禁されたらしく、俺の話も色々と聞いているそうだ。宣誓の儀を経て外に出る事になったからには世情も必要だろうしな。
俺に関しても対魔人の事や同盟の事を、色々と聞いているらしい。ドラフデニアの悪霊退治もそうだ。これから行く先で起こった直近の大きな事件を知らないのでは困る、という事なのだろう。特に……俺とレアンドル王が知己を得る契機になった事件でもあるし。
「王都スタインベールでは最近、妖精女王のロベリアさんもよく遊びに来ているそうですよ。テオドール公の知己なので、バイロン殿との面会を希望してくるかも知れませんね」
と、ドラフデニアの魔術師――ペトラがそんな風に言う。
「そうなのか……。その、他種族との交流はあまりした事がないのだが、気を付けるべき事はあるだろうか?」
「そうやって考えて気を遣って下さる方なら、基本的に礼儀正しくしていれば大丈夫かなと思います」
「うむ。無闇に森を傷付けるような事をしなければ大丈夫だろう」
ペトラの言葉にレアンドル王も頷いていた。
「向こうの生活が落ち着いたら、儂も顔を見せに行くとしよう」
「そうだな。俺もイグナード陛下と共に訪問するのが良いかも知れん」
イグナード王とラザロは、そんな風に言って頷き合っていた。ラザロとイグナシウスに関しては……精霊殿の封印が役割を終えたので、守護者としての位置から解放されて行動の自由も得ているしな。
「僕もその時はご一緒しますよ」
「ああ。それは良いな。楽しそうだ」
俺の言葉にレアンドル王は相好を崩していた。
「身体も鈍っているからな。次に会う時までに鍛え直して、ある程度見られるようにしておかないとな……」
「ふ……。やる気があるのは良い事だが、無理をして身体を壊しては本末転倒だからな。まあ、その気持ちを汲んだ鍛練を考えるとしよう」
ルトガーが笑って応じる。
ルトガー曰く「バイロンに関して言うなら、剣の基礎は身につけているようだし、型を見せてもらってからそれに合わせて実戦に適した身体作りをしていくというのが良かろう」という話だ。
ブランクを埋めるための鍛練法というわけだな。既に身についている基礎に合わせて実力を伸ばせるように身体機能を適正化する、と……ルトガーの指導法はかなり論理的だ。
考えて動く、を徹底しているのは、過去の経験から来るものなのだろう。
冷静だが内心は情や義に厚い、というのがレアンドル王から聞いた現在のルトガーの評価だったりするので、根っこの部分は変わっていないのだろうという気がするが。
ともあれ、頃合いを見てドラフデニアへ訪問するという事で話が進み、ダリルとネシャートも同行するという事で纏まった。
ガートナー伯爵領はドラフデニアからの行商の通り道でもあるから、ダリルの見聞を広める意味でも有意義だろうな。
「その頃には、子供達も同行できそうですね」
「ふふ。それは楽しそうね」
グレイスの言葉にステファニアが肩を震わせ、マルレーンがにこにことした笑顔で元気に頷いていた。確かに……そうなるかも知れないな。
そうして、門出の祝宴も終わり――頃合いを見て転移港に見送りに向かう。バイロンはそのまま転移門を通ってルトガーと共にドラフデニアに向かうそうだ。
バイロンは――今日列席してくれた面々に一旦の別れという事で丁寧にお礼の言葉を述べて回っていた。腰にはバイロンが愛用していた剣もあって。宣誓の儀の後だからこうして帯剣も許される、というわけだ。
礼服から着替え、餞別に丈夫なマントも貰い、旅行鞄も手にきっちりとした旅支度といった印象である。
「テオドール公には、感謝しております。ドラフデニア王国で心身ともに鍛え直し、此度の恩義に応えられるよう、行動で示していきたいと思っています」
「分かりました。次にお会いする時を楽しみにしています」
公的な挨拶をしてくるバイロンと、握手を交わして少し笑う。そうして出立前の挨拶回りが終わったところでバイロンはガートナー伯爵家の面々と言葉を交わす。
「お前が帰ってくる時の事を楽しみにしている」
「寒いので、風邪をひかないように気を付けて下さいね」
「はい。父上、母上」
父さんやキャスリンと別れを惜しんで……それからダリルにも向かい合う。
「それじゃあ、行ってくる。ダリルには少し差を付けられちまったからな。後継問題とは関係なしに、兄貴として格好付けられるぐらいにはならないとな」
「うん……。応援してる。怪我をしないように気を付けて」
「ああ」
ダリルと笑ってそんなやり取りを交わして拳を軽く合わせる。そうしてルトガーの方に振り向いて頷く。ルトガーも頷くと「では、行くとしよう」と、ドラフデニアに繋がる転移門を潜って――バイロンは転移の輝きと共に旅立っていったのであった。