番外1085 シグリッタの画廊
「いやはや、美味しかったです」
「やはり、陸の料理文化は素晴らしいものです」
食事も一段落して感無量といった様子のオービル達である。
「それは何よりです」
今回の食事については陸の料理という事で焼いたり蒸したり揚げたりと、水中ではあまり食べる機会のない調理法で構成したが……中々に好評なようだ。期待したものを期待した通りに、という事で満足度が高かったようで。リジーも「おいしいね!」と屈託のない反応を見せてくれていた。
一方で、水棲種族が普段取っている食事に近い形――刺身にした場合もそれはそれで海の民にも好評なので、次の食事はそうしたものを用意している。
「陸上の音楽も素晴らしいものでした」
「ふふ、ありがとう」
ノプリアスがそう言って一礼すると、イルムヒルトが穏やかに応じる。先程水の中で演奏を聴かせてもらった返礼という事で、イルムヒルトがリュートを奏でてセラフィナとリヴェイラと共に歌を披露したのだ。
イルムヒルトのリュートは……魔法で防水はできても、流石に水中で聴かせるのは不適だからな。その辺、セイレーンの竪琴等は海上でも海中でも綺麗に響く仕様のようだ。漣石の演奏の場合は、陸上で綺麗に響かせるには少し魔力の込め方を変える、との事であるが。
ともあれ、イルムヒルト達の返礼は食後の余興という事で軽めの内容ではあったが、リュートの音色も歌声も綺麗なもので、集まった面々も目を閉じて聴き入っている様子であった。ユスティアとドミニクも歌いたくてややうずうずとしているのが見て取れたが、境界劇場にも向かうしな。
というわけでもう少しお茶を飲んで一息ついたら、城の中を案内していくとしよう。
シグリッタの画廊については城の一角に用意した。描かれた絵に直射日光が当たりにくいように、やや陽当たりの少ない区画――と言ってもフォレスタニアの光は人工的なものだが――を選び、区画内の湿度、温度が絵画にとって最適なものになるように魔道具で調整を行っている。絵画にとっては直射日光同様、カビは大敵だからな。
シグリッタの絵の保管庫も同様の魔道具を使って環境維持をしているが、これらの対策によって絵にとって良いコンディションを保てるはずだ。フォレスタニアは湖で囲まれているという事もあり、そうした対策も必須、というわけだ。
普段の手入れに関しては――浄化魔法をアレンジしたものを使用すればいい。
呪法や契約魔法と組み合わせる事で、効果対象を埃等の「絵画に関係のない汚れ」に限定し、顔料に影響を及ぼさない絵画専用の浄化魔法がかけられる、というわけだ。この辺は魔道具化しておけば手入れもしやすくなるだろう。
この辺の絵画の保管方法や画廊の維持、手入れの仕方等については書籍で調べたりもしたが、ミリアムやカーラは芸術方面に詳しいので知識を貸してもらっている。
そのミリアムとカーラも今日は交流会に列席してくれているが……「みんなが画廊を見た時の反応が気になりますね」と頷き合っていた。
「――というわけで、シグリッタの描いた絵を展示しています。彼女は元々持っていた能力や技能の関係上、精細な絵を描くのが得意分野でしたから……ルーンガルドや魔界の風景やその場所での思い出を振り返ってのんびり話もできるかなと。他にも色んな絵もありますが」
「芸術……は分からないけど、自分の好きなものを描いた、つもり」
城内を案内しつつ説明をするとシグリッタもそう言って……一同は興味深そうに頷く。
「テオドール公達の歩んできた旅の絵か。楽しみだな」
メギアストラ女王が笑う。改造ティアーズを同行させて中継もしているので、通信室のモニターで見ている面々も首肯していた。
さて。そんなわけで画廊のある区画に到着する。温度、湿度を適切なものに管理するために少し城の構造にも手を加え、区画に入る為には二重の扉を設けてあったりする。風魔法で防壁を構築しているので内部の湿度や温度が変わる事はないから、二重扉と言っても気軽に出入りできる仕様ではあるが……。
「では、参りましょうか」
廊下の突き当たりにある大きな扉を開けると――戸惑ったような声が漏れる。扉を開けたその場所に見えたのが……床が扉を開けた所を境いに崩落して、珊瑚礁が覗き――そこを魚が泳いでいるという、海底の風景だったからだ。
珊瑚礁の向こう……真正面にはごつごつとした洞窟の入口が見える。
「おおお……?」
「これは……平面上に風景の絵が描かれているのか?」
驚きの声を漏らすオービル達。少しつぶさに観察してから、感動したような声を漏らすメギアストラ女王である。メギアストラ女王の言葉に、困惑していた面々から歓声が広がる。
中々のリアクションにみんなが笑顔を浮かべ、シグリッタがシオンやマルセスカとハイタッチしていた。
「そうです。これは騙し絵というものです。丁度扉を開けた場所からの視点で、自然に見えるように計算して描かれているわけですね」
「今回は交流会に合わせて……ルーンガルドの海の中がいいかなって思ったの」
シグリッタが言うと、居並ぶ面々だけでなくモニターで中継映像を見ていた面々も拍手を送ってくれる。画廊の入口は二重扉にして空気が混ざらないようエントランスを造る必要があったので、折角だから内部に丸々騙し絵を描いたというわけだ。
「いきなり驚かされてしまったな」
「余らは話には聞いていたが……いきなりそれが来るとは思っていなかったし、実際に目にして見ると素晴らしい出来よな」
エルドレーネ女王とメルヴィン王が楽しそうに笑う。
「このまま内部に進んで頂いて問題ありません。上を通る必要のある騙し絵の表面は、透明な保護塗料の皮膜で覆われていてしっかり保護されていますから」
表面の汚れや傷は、浄化や修繕の術式を用いれば元通りというわけだ。
というわけで集まった面々がやや恐る恐るといった様子でエントランス内部に入る。
「なるほど……。扉を開けた所からなら自然に見える、という意味が分かりました」
「中に入ってしまうと、確かに不自然に見えますな」
ムーレイが頷き、ボルケオールが同意する。適切な鑑賞用の地点から移動すると、不自然に伸びたり縮んだりしたように描かれていて、平面上の絵に過ぎないと言うのが実感できるというわけだ。
そうして廊下側の扉を閉ざすと……単なる絵だと思われていた魚が動き出し、またも驚きの声が上がった。
「わあ……」
リジーが魚を目で追って、感動の声を漏らす。
壁や床に埋め込まれた、顔料で構成されたゴーレムだな。魚の絵自体は、シグリッタが描いたものが元になっている。後はハイダーやシーカーの同化技術により、決まったルートの表面の色を入れ替える事で、壁や床の中を魚が泳いでいるように見せかけているわけだ。やや特殊だが、アニメーション方式ではあるかな。これは騙し絵の上のように、既に絵の描かれている部分にのみ採用している方式だ。
そうして色とりどりの魚が泳いでいき、洞窟の入口の周囲を囲うように集まる。こっちが順路だと教えてくれている……或いは画廊に来た面々を歓迎している、といったように見える。
「いやあ、出来上がりを見ると素晴らしいですね……!」
と、ミリアムも目を輝かせている。
「では――画廊の内部も見ていきましょうか」
そう言って、洞窟入口に偽装された扉を開ければ――そこはまたがらりと雰囲気の違う場所だった。
光量が抑えられ、魔法の間接照明が壁や柱に飾られた絵を照らす……そんな落ち着いた雰囲気の空間だ。如何にも画廊といった印象だな。
絵はテーマごとに分けられて展示されている。騙し絵も要所要所に仕込んであるので見て回りながら楽しんでもらえたらというところだ。