番外1059 名も無き竜と魔術師の物語
「あの頃はまだ名前もなかったな。あれはそう……丁度あの頃、余の留守中に住処に忍び込んで蓄えていた魔石を奪った犯人を探していた時の事。住処に残った臭いは蛮族のそれを示していた」
森の上空を飛翔する若かりし、というよりは幼い頃のメギアストラ女王――というよりもまだ名前の無い竜の姿が幻影として映し出される。犯人は蛮族だという。となると洞窟に忍び込んで空き巣を狙うあたり、やはりゴブリンあたりが犯人の候補としてあがるだろう。元々洞窟暮らしだし、宝石や魔石を一族の財宝として収集する性質がある。
そうした財宝は一般のゴブリンでは役立てられないが、群れの中にシャーマンやロードといった上位種が出て来ると話が変わる。集めているゴブリンにとっては本能的なもので当人達に自覚がないだろうが……それらは将来的に戦略物資になる、という事だ。
竜にとって魔石等を収集するのは本能的なもののようだ。寓意的に見れば宝物庫というのは王たる者の力の象徴でもあるから、竜の力を強化する場を整えるという事にも繋がるのだろう。
だからこそ、竜の財産を持ち出すと怒るというわけだ。魔王として年月を重ねた今のメギアストラ女王よりも、昔の彼女は竜らしい性質を残している印象があるな。姿も頭部周りにメギアストラ女王の面影はあるが、今の形態とは大分違う。
竜の形態は千差万別。脱皮の時に環境、生き方によって形態や特性も変化していくそうな。
幻影に映し出されている名無しの竜は風魔法を操って臭いを収集しつつ森を探索していたようだが……やがて変化が起こった。森の一角を目指して方向を変え、目的意識を持った動きでどんどん速度を上げていく。
そうして、森の外れにいたゴブリンの一団目掛けて、迷いなく飛び込む。交差は一瞬。空からの襲撃。鋭い後ろ足の爪と鋼のような尾がまとめてゴブリン達を薙ぎ払っていた。その威力は他種族にとっては暴風や天災のようなものだ。何体もいたゴブリン達は横合いから飛び込まれて一気に吹き飛ばされた。その直後、地上に降り立った竜の閃光のような吐息が、杖を掲げてマジックサークルを展開しようとしていたゴブリンシャーマンを吹き飛ばす。
最初の攻撃から生き残ったゴブリン達は悲鳴を上げながら逃げ出していたが、竜は何もせずにその背を見送る。他の生き残りに竜に手出しをする事はリスクでしかないと教える、メッセンジャーとしての役割を残したのだろう。
そうして竜は悠々とシャーマンに近付くと、腰に吊るしていた袋に爪をかけ、中に入った魔石を確認して満足そうに頷いた。
「ふむ。これでいい」
「高位の竜、とは……」
と、声を漏らす者がいて。そこで初めて竜はその人物に視線を向けた。竜を見て驚きの表情を浮かべている。ディアボロス族の女性だ。杖を手にしていてローブを身に纏っているあたり、魔術師なのだろう。歳の頃は見た目で言うなら10代後半から20代前半ぐらい、だろうか。ローブも血や泥で汚れていて、随分と疲弊した様子だった。
「ほう。流暢に言葉を操る者というのは初めて見るな。ディアボロス族、だったか」
竜もまた、そのディアボロス族の魔術師に興味を持ったらしい。好奇心が勝ったという事なのだろう。魔術師は驚きの表情を浮かべていたが、やがて真剣な表情を浮かべて居住まいを正し、竜に一礼する。
「危ないところを、助けてもらった……。ありがとうと礼を、言わせて欲しい。私の名はセリア……という」
「別にそなたを助けたわけではないが……まあ、よかろう。我が名は――まだ無いな。成竜になってから名乗るものゆえ。ところで、怪我をしているのか?」
セリアの肩口には、矢が突き刺さっているようだった。邪魔にならないよう、出血しないように折ってあるようだったが、応急処置である事は傍目にも見て取れる。満足な手当も済んでいない。
「ああ。この連中とは、別の……」
そう言いながらもセリアは膝から崩れ落ちるように、前のめりになって倒れてしまう。竜は首を傾げたが、遠くから聞こえてくる声を感じ取ると、そちらに僅かに視線をやり、それからセリアを掴んで飛び立ったのであった。
「――助けたのは、気まぐれだった。礼を言った事もそうだが、興味もあったし悪い印象もなかったからだ。あの女を探せだとかいう言葉が遠くから聞こえたから、恐らくセリアはその連中に追われていたのだろう」
メギアストラ女王が遠くを見るような目になって言う。
そうしてセリアが次に意識を取り戻したのは、それから暫くしてからの事だという。
巣穴に連れ帰り……そもそも竜であるから治癒術を必要とせず、知識もなかったが、それでもセリアが命の危機に瀕している事は分かった。だから代わりに矢を抜いてから指先を牙で少し傷つけて、竜の血を傷口にかけたのだという。
それだけでも他種族であれ傷を癒す効果があるというのは卵の殻から得た知識で分かっていたのだと……そうメギアストラ女王は語る。
「目を覚ましたセリアは戸惑っていたが、落ち着いてからは色々話をしたな。話をする事のできる種というのは初めて会ったし、余の知らない世界――別の種族の暮らし等に興味が湧いたのだな。余が知っているのは卵から得られた知識だけ。生きるための方法は知っていた。他種族の知識もあったが、それらがどういう暮らしをしているかは知らなかったのでな」
好奇心旺盛な事が、当時のメギアストラ女王の個性、だろうか。
セリアは目を覚ましてから、助けてくれた事や傷口が再生を始めていた事に驚いていたらしい。
竜の血肉となるなら、蛮族に殺される最期や刺客に殺されて自分の死を利用されるよりは名誉があるだろうかなどと思って、あの場でも礼を言ったのは開き直りに近い感情であったそうで、割と覚悟を決めていたらしいが。
「セリアは理知的で博識だった。そういう性格もあって、話をして知らない事を知るのは、楽しかったな。歌や絵だとか、知識の上である事は知ってはいたが、セリアの実演してくれたものは心地が良かった」
そうやって話をしている内に、セリア自身にも興味が湧き……そうして当時セリアが抱えていた事情も知ったのだという。セリアがすぐに事情を話さなかったのは……やはり自分が竜だからというのもあったのかも知れないなとメギアストラ女王は語る。
信頼関係を構築しなければ、目的のためにここから出て行きたいといったところでどうなるか分からないだろうから、というわけだ。
「和平と同盟の使者なのだと。そう言っていたよ。当時魔王国と対立していた部族の出身だったそうだ」
幻影が当時の大まかな地図を映し出す。中央にあるのが魔王国。別の色を付けられている隣国がセリアの陣営だろうか。道が描かれ、セリアと出会った大凡の場所にも印がつけてある。
本来ならばそのまま魔王国に向かう予定だったらしい。だが、事もあろうに護衛が裏切ったのだそうな。徹底抗戦を唱える派閥があって、その息がかかった者達であったらしい。
穏健派、和平派の重鎮の娘であるセリアを、魔王国出身の者の仕業に見せかけて暗殺するつもりだったという。肩に刺さっていた矢も魔王国から調達された矢で、偽装用の工作だった。
「私に勤めを果たさせてはくれないだろうか? 貴女の所には、必ずお礼に戻ってくる」
セリアは、そう名前の無い竜に言ったそうだ。
「礼など。これまでのそなたとの話だけで見返りとしては十分だ。しかし、傷が癒えるまで待っていては手遅れになるのではないか? 我が背に乗せてその国まで送り届けてやろう」
その言葉にセリアは目を瞬かせて、その反応がおかしくて竜は楽しそうに笑った。
――それが魔王国と、メギアストラ女王との馴れ初めにも繋がったらしい。
セリアを送って行ったがやはり大騒ぎになり当代の魔王が出て来る事態になった。幻影では竜の背に乗ったセリアが慌てて魔王に説明して、当時の魔王がその慌てぶりに笑っている姿が映し出されているが。
ともあれ、そうしてメギアストラ女王は当時の魔王やジオグランタとの知己も得たのだという。
「魔王国とセリアの部族は無事に同盟を結び……後に魔王の理念と共に魔王国の一員として迎えられた。分離した抗戦派が別の国と結び付き、戦火が広がったりといった混乱もあったが、あの戦乱ではセリアが凄まじい活躍ぶりを見せてな。ともあれ、今の余がこういう性格になったのも……当時の魔王や次代の魔王となったセリアや……ジオとの付き合いが続いたからでもある」
ああ。そういう事だったのか。セリアは次代の魔王になったというが、出会ってから数年後には近隣諸国の中でも有数の魔術師となっていたらしい。頭角を現したのは、メギアストラ女王の血が影響した可能性もあるか。
そうして戦乱の様子やそこでの活躍をメギアストラ女王は懐かしそうに語る。大魔法で敵軍の先頭に立つゴーレムを粉砕するセリアの姿や、兵士達を説得しているセリアの姿がメギアストラ女王の話に合わせて次々と幻影として映し出される。蜂起した敵国の兵士達を、味方に引き込むために説得に向かった場面の姿であるらしい。
こうした多方面での活躍ぶりならば、魔王として選ばれるのも納得といったところか。
「セリアとメギアストラは、仲が良かったものね」
懐かしそうにジオグランタが微笑み、メギアストラ女王も穏やかに笑って頷く。
メギアストラ女王にとって魔王国は……古い友人達の遺してくれた国でもあるわけだ。そしてメギアストラ女王の今の性格や……竜としての独自の性質も、ジオグランタやセリア達との付き合いの中で形成されたものなのだろう。