番外1054 水脈と滝と
丸いプールのような、地下水脈への入口は澄んだ色の水を湛えていた。
縦穴になっているというか、奥底の方はぼんやりと光っていて、中々幻想的な雰囲気があるな。水中活動用の魔法を用いてから魔道具を起動し、地下水脈へと入る。
何というか……海水そのものが魔力を含んでいるわけだ。魔力を活力に変えられる魔物なら海での活動には困らないだろうが……なまじ魔力溜まりという区切りがない分、大物ばかりが潜んでいる危険海域になってしまっているというのが魔界の海の現状だな。
泡に包まれてゆっくりと下降していく。先導するオービルがゆっくりと進んでいるのは魔道具の操作感覚に慣れる意味合いもあるのだろう。
ティールは泡の魔道具は使っていないが水中呼吸の術は施しているし、自前でもそうした術は使える。大きな縦穴の外周部を泳いで、既にテンションが上がっている様子だが。
「素晴らしい泳ぎですね。この方はルーンガルドの水の友ですか?」
オービルがティールを見て嬉しそうに尋ねてくる。水の友……水棲系の友好的な種族を魔界ではそう呼称するわけだな。海が過酷な環境なので多種族で協力し合う風土なのかも知れない。魔王国の理念自体がそうだけれど。
「そうですね。ルーンガルドの……寒い地方の海の出身で、マギアペンギンのティールと言います。種族名については、知られていなかったのを僕が名付けたものなので恐縮ではありますが」
オービルにティールを紹介すると心地良さそうに泳いでいたティールも戻ってきて、オービルにフリッパーを差し出し、握手を交わしていた。
『楽しそうな事よな。魔界の地下水脈には興味があるな』
と、表情を綻ばせるエルドレーネ女王。その言葉に御前やネレイド、深みの魚人族といった水に縁の深い面々も水晶板の向こうで頷いていたりする。
「おお……。こんなにも沢山の水の友がいらっしゃるとは。そう言えば、ルーンガルドは外海で自由に泳げると聞き及んだのですが本当ですか?」
「はい。一部魔力溜まりと呼ばれる場所があって、そこは魔界の海と同様に危険海域という扱いですが……そうした場所を避ければ船舶も航行できますし、あちこちに海に棲んでいる種族がいますね」
「それはますます興味深い」
『そういう事ならば海の都の映像を見せたり魔界の水の友を招いたりするのも良さそうだ』
オービルとのやりとりにエルドレーネ女王が言うとオービルも「許可が頂けるのであれば、是非」と応じていた。
「現時点では誰でも自由に行き来とまでは言えぬが、交流に関しては余としても奨励したいな。ルーンガルドとの交流が進んでこその国交であり絆であろうよ」
「おお、では」
「うむ。水の民からもルーンガルドを訪問する者を募ってみるのが良いのではないかな」
というメギアストラ女王の言葉にオービルが嬉しそうに目を細めてこくこくと頷く。モニターの向こうでもシャルロッテが小さく拳を握って、呼応するように頷いていたりするが。
やがて、縦穴の底が見えてくる。横方向にまだ穴が続いているようだが、縦穴の底には警備なのか、武装した門番が立っていた。
何というか、一言で表すならば海老の姿をした兵士だ。昆虫――インセクタス族も魔界では変異点の作用によってか大型化して二足歩行になっていたが、その辺は海の……甲殻類でも同様であるらしい。海老なので足も多いけれど、人間で言うところの腕と脚に当たる部分が一対ずつ大きく発達し、尻尾も遊泳に適したように後方に伸びている。大きなグレイブのような武装をしているがロブスターの鋏を模したような武器なので良く似合う。
「来訪をお待ちしておりました。シュリンプル族のムーレイと申します」
門番のムーレイはそう言ってお辞儀をする。「初めまして」とこちらも挨拶を返すと、ムーレイはオービルに頷いて、横方向に繋がる穴に案内するような仕草を見せた。
「ようこそ、水脈都市クシュガナへ」
そうして、横穴を進むと――いきなり視界が開けた。
「ああ――これは」
「おお……」
『綺麗……』
と、あちこちから感動の声が漏れる。曲がり角で一気に視界が開けるように造ってあるのは恐らく、こういう反応になるのを意図したものだろう。水脈を利用して造られた都市だというから、どんなものかと思っていたが、広々としていて解放感がある上に、明るい場所だった。
都市部の高所にいきなり出たのだ。縦穴から更に下に広がる大空洞に出た、という方が正確か。都市部が一望できるのだが、天井部分に何か――光る柱のようなものがある。あの光が入口の縦穴にも少し差し込んでいたようだ。
眼下の広々とした空間に水中の街並みが広がっているのが見て取れる。魔界の一般的な建築様式とはまた違う――尖塔や神殿状の建物を中心部に配置し、限られたスペースを有効利用するように縦方向に家々が建てられている。
まあ、そうだな。水の中なら泳げば上下にも移動できるし、落下する恐れもない。広々としているとはいえ空間は有限なのでできるだけ有効活用しようという方向で発展するのは当然の話だ。
特筆するなら――水の色が違って見える帯がある事か。壁には俺達が出てきた場所以外にも幾つか穴があり、そこから違う色の水が滝のように街に流れ込み、まるで陸上の街のように水路を形成して――また壁の穴から出て行ってるように見える。
その水路に紐で繋がれた樽を浮かべ、仰向けのまま流れに乗って穴の中へと消えていくケイブオッター。ああして水路を使って別の拠点まで移動しているのだろう。
水路の水の色が違う、というのは……。
「あれは潮境、でしょうか?」
そんな話を文献で読んだ事がある。成分や水温等が違う水域の水同士が接すると、混ざり合わずに色がくっきり分かれて見える事があるのだそうな。海上や川でも起こるし、深海や水中でも起こり得る現象であるらしい。
「おお、よく御存じですな。含まれている成分が違うので、周囲の水とは混ざり合う事もなく明確に色が分かれるというわけです。紋様魔法も使って都市内部の水質を浄化しつつ、物流に利用しても流れや成分が混ざり合わないように補強したり、水路の流れで壁が侵食されないように強化や修復したり、色々と手を加えてはいますが、自然の形を残すようにもしていますな」
なるほど。まさか水中で滝や川のような流れを見るとは思わなかった。色々と幻想的な光景だ。水路の流れには環境に適応したストリームクリルなる生き物……恐らく魔界産のオキアミや魚も乗ってやってくるそうで、食糧関係における一助にもなっているのだとか。魔力が潤沢だから魔物系の種族は小食で済むにしても、そうした下支えしてくれる生き物がいるというのは有難いのだろう。
「天井の柱が光っているのは何でしょうか?」
アシュレイが首を傾げて尋ねる。
「あれは微細な生き物が巣を形成しているのです。習性を利用して明かり代わりに利用しているわけですね」
微細な生き物……。夜光虫のような、発光するプランクトンの類だろうか。意図的にコロニーを造らせて、照明にしているわけだ。
『所変わると同じ水中の都市でも色々違っていて、本当に興味深いですね。私達も是非交流したいところです』
ネレイド族の族長であるモルガンが言うと、エルドレーネ女王や深みの魚人族の長老レンフォスも感心した表情のまま頷く。
『海の民、水の友の集まりを、というわけですな』
『そうさな。実に楽しそうだ』
ラスノーテやキュテリアもフォレスタニア城に遊びに来ているようで、そんなエルドレーネ女王とレンフォスのやり取りに笑顔を見せている。
一通り高所から見える部分の解説を行ったところで、頃合いを見計らって都市内部から出迎えの面々も近付いてくるのが見て取れた。では、水脈都市の観光と行こうか。