番外1035 選んで出した答えに
中層、下層の様子を見て知り合いになった面々にも挨拶をしつつ、上層の塔に戻ってくる。上層でもまだお祭りが続いている印象で、住民達が各々草の上や塔の窓辺に腰かけたりして楽器を持ち出し、ランパスや小天使達と一緒に歌ったり演奏したり……咲き誇っている花を眺めて楽しむというような、和やかな光景があちらこちらで見られた。
そうした光景を横目に眺め、手を振られたり振り返したりしつつ、中央の塔に戻る。
『現世側での準備はできていますよ』
と、中央の塔に入ったところで水晶板モニターを確認すると、グレイスが教えてくれた。
「ふむ。リサ殿は現世の知り合いと少し話があるという事だったな」
「はい。私が今後どうするにしても、いずれは現世で顕現できるようになるようですから……その前に話をしておきたい人がいるのです」
ベル女王が尋ねると母さんが落ち着いた様子で応じる。
母さんの選択としては、このまま現世に戻るか、それとも冥府に留まるか。これについては、祈りにベル女王が応じて応援として駆けつけた点と、神格を有している上に精霊化が起こっているという、諸々の特殊な事情があるからこその選択肢だろう。
普通ならば冥府に来た死者が現世に戻るという事はできないそうだ。但し冥精であれば条件さえ整えば現世側に顕現する事が可能だから、母さんの場合はその辺を制限する意味がない。だからこそ自由意思に任せる、という話になるわけだ。
いずれにせよ現世に留まっても冥府に身を置いても、精霊としての力が蓄積されてやがて現世でも顕現できるようになる……という点は変わらない。
母さんとしてはその際に予想される混乱というか余波というか……現世に生きている人達の関係性を心配しているわけだな。
そうして、水晶板モニターを配置している塔の一角まで戻る。割り当てられた大部屋ではなく、その近くにある少し小さめの部屋だ。
現世からの映像を中継している水晶板には、母さんと話をするために待っている面々が映し出されていた。
「ああ、ヘンリー。キャスリン様も」
『久しぶりだな。リサ』
『ご無沙汰しております』
父さんと、深々と一礼するキャスリンである。
『では、わたくし達は一旦席を外すわね』
『ん。また後で』
ローズマリーとシーラがそう言って、みんなは作戦室から一旦退出していった。
親同士の話だからという事で俺も席を外すべきかと思っていたからその辺も聞いてみたが、父さんやキャスリンは、俺にも同席していて欲しいという事だった。
俺と母さんが腰を落ち着けると、父さん達も頷いて。そうして父さんが落ち着いた様子で目を細める。
『本当に……こうして顔を合わせて話をするのは久しぶりだな、リサ』
「ええ。ヘンリーも元気そうで何よりだわ。キャスリン様もお元気そうで良かった」
『そうですね。体調は良い、と思います』
キャスリンは母さんの言葉に頷いて……それから表情を曇らせて頭を下げた。
『リサ様にもテオドール様にも、無礼では済まされない事をしてしまいました。お話ができるという事で、改めてお詫びの気持ちをしっかりとお伝えしておきたいと思い、こうして同席させて頂いた次第です』
キャスリンのその言葉に、母さんは静かに応じる。
「霊体だからこそ……生者からの気持ちは伝わるのでしょうね。キャスリン様のお気持ちは前から伝わっていました。そのお言葉に偽りがない事も分かっています。テオとも……先に和解が済んでいる。謝罪の言葉は確かに受け取りました。それから――」
そこで一旦言葉を切り、母さんは僅かな間瞑目する。それから、口を開いた。
「それから、貴女の不安も」
キャスリンが、少し驚いたように顔を上げる。母さんは静かに笑って、首を横に振る。
「責めたりしているわけではないんですよ。私は、こうして一度死んだ身で……生きている人達は前に進まないわけにはいかない。あの日から、それぞれの想いを抱えて、前に進んで行ったのだと思います。テオも、グレイスも、ヘンリーも。そして、貴女も」
それぞれの想いを抱えて、苦しんで、悩んで。不安や弱さから道を間違えてしまう者もいて。だから。だからこそ、各々が辿り着いた答えを尊重しているし、それを蔑ろにするような事はしたくないのだと……そう母さんは伝える。
『リサ……』
父さんも、母さんのその言葉に、少し表情を曇らせる。母さんが何を言いたいかを察したのだろう。母さんは、父さんを見て穏やかに笑って、それから言葉を続けた。
「ですから、私とこうして話ができるとしても……選んで出した答えに、どうか迷う事のないように。それを、ヘンリーとキャスリン様に伝えたくて、こうして話をする機会を設けて貰ったの。どうか、ヘンリーはキャスリン様を。キャスリン様はヘンリーの事を、大切にしてあげて下さい」
それが……現世に戻る事で起こる余波というわけだ。
父さんも、母さんが亡くなってから悲しみを抱えていただろうし、キャスリンもまた、父さんへの想いや母さんへのコンプレックスを抱えて、実家――先代ブロデリック侯爵からの指示との板挟みになっていた。
父さんが俺の事を母さんの忘れ形見として思いやる事が、不安だったのだろう。
裏切っている事を後ろめたく思いながらも、既に行動はしてしまっている。後継ぎのため、ブロデリックのためという理由が俺に対して辛く当たる事を後押しする理由にもなってしまった。一度タガが外れれば自分では後戻りもできなくて。
だけれど、ザディアスの陰謀で伯爵領が襲撃を受けた時にキャスリンは父さんを刺客から庇おうとしたから。その想いだけは本物だったと理解したから、俺はキャスリンとも和解した。
きっと、父さんに対する愛情が無かったのなら、俺も謝罪は受け入れなかっただろう。
そうして、あの日から父さんとキャスリンは関係を築き直してきた。それを、母さんは尊重している。死者である自分が戻る事で、その関係性が変わって欲しくはないと。そう言っているのだ。
母さんからその言葉を伝えられたキャスリンは……驚いたような表情をしていたが、やがてぽろぽろと涙を零す。嗚咽混じりに、母さんに尋ねる。
『それ、で、それで良いのです、か? あな、たは……。わたくしが、わたくしの心が、弱いから……』
その言葉に、母さんは首を横に振る。
「我慢している、とかそういうわけではないんですよ。私が死者であるからかも知れませんが……テオと、テオの大切な人達、シルヴァトリアのみんなや、ヘンリーや貴女が元気で笑顔でいてくれたら、それで幸せなんですから。少し変な話ですが……貴女が私の事も悼む想いを向けてくれて、それで……その事が嬉しいと感じられた。貴女の事は……私にとっても大切なものだと、そう、思えたから」
目を細める母さんに、キャスリンはまだ嗚咽を漏らしながらもこくんと頷く。それから、父さんとも向き合って。
『リサ。私は……いや、後悔の言葉は口にはしないようにしよう。リサが、前に進むようにと言うのなら。ただ……テオにも辛い思いをさせて、それに気付かず見過ごしてしまった事だけは、君に謝らせて欲しい』
そんな父さんの言葉。その言葉を受けて、母さんは静かに頷く。それから顔を上げて微笑んだ。
「出会った頃の事、覚えているかしら。色んな立場の人達の気持ちを分かるためにって、冒険者として登録すれば色んな仕事をこなす事ができるからって、学舎に身を置きながらも色んな仕事を受けていたわね」
『それは……ああ。色んな目線を持つ事で、気持ちを理解できるようになると、そう思っての行動だった。君に出会ったのも冒険者の仕事を一緒に受けた時だったな』
「薬の材料の採取だったわね。あの頃から、あなたの良い所は変わっていないわ。テオが傷付いたのは、確かに悲しかったし気掛かりだったけれど……死睡の王の襲撃で領地も被害を受けたからあなたが一生懸命だったのも、知っているもの。あなたが領地の人達を大切に思って、その為に行動している事は、ずっと一貫している」
父さんと母さんの馴れ初め、か。父さんがダリルと共に農作業をして領民の生活を伝えたように。実地で触れて当人達の苦労やそこから生じる問題を見据える、というのは父さんの領主としてのやり方でもあるのだろう。冒険者としての仕事を通じて父さんが関わった人達の笑顔を見て……母さんは父さんを優しい人だと評した。
ザディアスのやり方等への不信感もあって、父さんのような人もいるのだと。母さんはシルヴァトリアの皆の高潔さを、父さんに重ねて見たのかも知れない。
父さんは――本当に優しい人は母さんで、行く道を支えて貰って勇気をもらったのに、自分はそれに見合うものを返せなかったと……そうこぼしていた事がある。母さんの墓前で涙を流していたのも、見て、知っている。
目を閉じる父さんに、母さんは言葉を続ける。
「ヘンリー。今の私にとって気掛かりな事はあなたとキャスリン様の事なの。あなたも私の事で気に病まないで、自分を許してあげて。隣にいる人達を大切にして、前に進んで行って欲しいと、そう願っているわ」
『……隣にいる人達を、か。確かにそうだな』
父さんは母さんに向かい合い、そうして真っ直ぐに見据えて頷き合う。そうしてキャスリンと寄り添う父さんに、母さんは柔らかな笑みを浮かべるのであった。