番外1031 今に交わる想い
『ああ――。お父さん、お母さん』
「グレイス……。大きくなったのだね……」
「ずっと、心配だったのよ。良かった、本当、に」
グレイスが涙ぐみながら声をかけたのはフラムスティード伯爵夫妻――エルリッヒとティアナだ。オーガスト率いる吸血鬼達に追われる身となり、その逃亡生活の中で亡くなった両名であるが、生前の行いであるとか、その吸血鬼達に抗ったという点が上層に迎えられた理由だろうか。
水晶板モニター越しにグレイスの姿を認めて、目に涙を溜めて嗚咽混じりに声を上げる。やはり二人とも、それぞれグレイスに少し面影があるか。
「もっと――顔をよく見せて」
『はい、お母さん』
泣きながら笑って、グレイスとティアナはモニター越しに顔を近付ける。水晶板越しに手を重ねるようにして。それをエルリッヒが穏やかな表情で見守っていたが、やがて二人が落ち着いた頃合いを見計らって口を開く。
「今思い返してみれば、だが……。私達は死後もお前の事が気掛かりだったのだろうな。山中に逃げ込んだお前を、しばらく見守っていた、ように思う」
『……お父さん』
「グレイスがあの方と幼い頃のテオドール様に出会って、それで少しだけ安心して……そうして気が付いたら冥府にいたの」
なるほど、な。ずっと……ずっと昔の出来事。俺にとって物心がついてからの記憶というのは、母さんとグレイスがいる優しくて温かなものだ。それがずっと続くのだと思っていた。
俺の記憶もおぼろげな程の幼い頃の出来事を見て、二人は安心したのだと言う。それは……そうだとするなら、良かった。エルリッヒとティアナがこの世に迷ってしまうような事がなくて良かったのだと、そう思う。
「ですから、貴女やテオドール公にはとても感謝しているのです」
「本当に……ありがとうございました」
フラムスティード伯爵夫妻が母さんや俺にも礼を言う。
「いいえ。私も……グレイスがいてくれたからとても助けられたので」
「僕だって……グレイスがいなかったら、立ち直れなかった、かも知れません」
『リサ様……テオ……』
母さんも少し涙目になりつつ、二人に微笑みを返し、グレイスも微笑みながら目を閉じる。
『お父様……お母様……』
「ああ、アシュレイ……」
「ふふ、立派になって」
アシュレイと、先代のシルン男爵夫妻、ジョエルとモリーン。モニター越しにお互いの姿を見つめ合い、涙を流して喜び合っていた。アシュレイは――母親似、かな?
『お兄様もケンネルも……みんな、みんな元気でいます。私も、こうして。テオドール様のお陰で、最近ではすっかり身体も良くなって――』
今までの事をアシュレイが身振り手振りを交えながら伝える。泣き笑いのまま力瘤を作ってみせるアシュレイに、二人はうんうんと目に涙を浮かべながら頷いていた。
エリオットが帰って来た事とか、ケンネルや家臣達、領民のみんなの事。それに俺と結婚して、みんなとの毎日が楽しく穏やかに過ぎている事などを、一生懸命に伝えているようだ。そんなアシュレイの姿に相槌を打つ先代シルン男爵夫妻である。
「パトリシア殿が死睡の王を止めてくれた事と、ケンネルが私達の亡骸を前に、エリオットとアシュレイを支えて盛り立てていくと……そう誓っているのを見た。眠っているアシュレイの髪を撫で、モリーンと顔を見合わせあって頷いて……。そこまでが、私達が現世で覚えている事、だな」
ジョエルは目頭を少し抑えながらも、現世で覚えている事について話をする。アシュレイはこくんと頷く。
「すっかり領主として立派になったのね、アシュレイ」
「そうだな……。自慢の娘だ」
『まだ、まだですお父様、お母様。私はみんなに支えられてばかりで……』
と、涙を浮かべながらも微笑み合う。
セシリア達は水晶板モニターの向こうでも少し貰い泣きしていたが、エリオットやケンネルとも中継の用意を進めているようだ。
『ん……。この子が、私の親友の、イルムヒルト』
『初めまして。お話ができて……嬉しいです』
「ああ……。俺はバルトロという。シーラが……元気そうで良かった。イルムヒルト嬢の事は、最後に見て、そうだな。覚えていると思う」
「ふふ。私は、ルシアというの。イルムヒルトさんも、ありがとう」
『助けられていたのは、私の方でもありますから』
と、シーラとイルムヒルトがシーラの両親に挨拶をする。バルトロとルシアはいずれも人寄りの姿をした、猫獣人の夫婦だ。
揃って盗賊ギルドの出身で、先代ギルド長の護衛であった。先代ギルド長と共に……内部の抗争に巻き込まれて命を落としたと盗賊ギルドのイザベラからは聞いている。
……先代の盗賊ギルド長の評判であるとか、揃ってレイスとしての立場を得ているのを見るに、義に厚い人物なのではないだろうか。
やはり、シーラの事が心配で見守っていたらしいが。シーラが孤児院で迎えられ、イルムヒルトとも仲良くなっているところまで覚えている、との事らしい。
状況が良くなって安心できれば、冥府に呼ばれる、という事なのかな。心残りは誰にでもあるのかも知れないが。
孤児院に行ってからの思い出であるとか、俺と出会ってからの事とか。シーラも耳と尻尾を動かしながら二人に伝えて……それに反応するシーラの両親の耳と尻尾の動きから見える感情が、俺にも分かるのが微笑ましい。
『だから……ちゃんとテオドールと一緒に仇は討った』
「ああ。その想いは、冥府にいる俺達にも伝わってきていたな。テオドール公にもお礼を言わねばならないな」
バルトロとルシアが俺に向き直ると、丁寧に一礼してくる。
「娘達を助けてくれて、ありがとう。月女神様にもお礼を申し上げねば」
「お礼を言います。私達の仇を討ってくれた事もですが」
「そうだな。お陰で溜飲が下った」
「それなら……良かったです。僕の方こそ二人には沢山助けられていますから」
二人にそう答えると耳と尻尾を反応させながら頷いていた。バルトロの方はあまり表情に出ないタイプかな。その辺、シーラに似ている気がする。
『お、かあさん……』
『久しぶりです、母上』
「うん。よかった、マルレーンもアルバートも……ああ……」
そう言って、モニター越しに手を重ね合って触れ合うマルレーンと第三王妃エステル。そしてそれを見守るアルバートとオフィーリア。
マルレーンに盛られた毒を術で肩代わりして……そうして亡くなってしまったのがエステルだ。元は――月神殿の巫女見習いだったという事だが、髪の色や面影はマルレーンに良く似ている。アルバートの方は、メルヴィン王に似ている、かな。
『……ずっと……伝え、たかったの。たすけてくれて、ありがとうって……。くるしい思いをさせて、ごめんなさいって』
「いいえ、いいえ。違うわ、マルレーン。私がしたかったから、そうしたの。だからね。私はマルレーンが無事で、アルバートも元気で……こうしてまたお話できる事が……とても嬉しいのよ」
『うん……。おかあ、さん』
エステルの言葉に、マルレーンが声を漏らし、アルバートは目を閉じて頷く。エステルは胸のあたりに手をやって、静かに言葉を続ける。
「マルレーンが私の事で心を痛めてしまうんじゃないかとか、アルバートは……悲しむだろうけど我慢して何とかしようとしてしまう子だからとか、とても不安だった。けれど……二人はこんなに立派になって。アルバートも、マルレーンの事を守ってくれて、ありがとう」
『僕、は……そんなに大した事が、できたわけじゃない、かな。父上が支えてくれて、オフィーリアも一緒にいてくれて、テオ君も助けてくれた。……守れたとするなら、それは皆がいてくれたからなんだ』
アルバートが言うと、エステルは涙を指で拭いながら微笑む。
「ふふ。あの人やテオドール様。それに……ローズマリー様やステファニア様にもお礼を言わないと」
『……わたくし、にも?』
突然水を向けられてローズマリーは不思議そうに首を傾げる。エステルははっきりと頷いて、言葉を続けた。
「あなた達は……事件の後、私のために祈ってくれた事があったわ」
『……そんな事も、あったかも知れないわね』
ローズマリーは羽扇で表情を隠してそんな風に言う。ステファニアは隠す理由もないというように、微笑んで首肯し、それからローズマリーに尋ねる。
『事件後にマリーがアルバート達の動向を探ったという噂も、犯人を捜す為だったのでしょう?』
『まあ……わたくし達の派閥が絡んでいるというように見られるのも癪だったものでね。犯人が王宮の中にいるのなら自衛のためでもあるし、理由は色々あるわ』
ステファニアが尋ねると、ローズマリーはそんな風に答えていた。マルレーンはそんなやり取りに涙をぬぐいながら微笑んで言った。
『今は、毎日楽しくて、みんな優しいよ』
「うん……うん。良かった」
エステルも何度も頷きながら、マルレーンの言葉に答える。
「シュアス様のお導きにも、感謝します」
『私は……彼女達ほど大した事ができていたわけでもないと思うのだけれど』
「いいえ。シュアス様が皆に優しさを示して下さったから。そしてマルレーンが神殿に護られていたから、私もマルレーンや巫女頭のペネロープ様の祈りが届くたび、冥府で安心ができたのです」
エステルからそう言われて、クラウディアは少し照れたように頬を赤らめていた。そう。そうだな。クラウディアが月の船で地上に降りて、様々な物を未来に繋いでくれたからというのは確かにそうだ。
『――ああ、お父様、お母様。それにバスカール様も……』
「エルメントルード……。長い間、苦労をかけたね」
「本当に……バスカール殿もエルメントルードを、よく守ってくれました」
「勿体ないお言葉です」
エレナもまた、両親や恩師とモニター越しに向かい合って、再会を喜び合っていた。エレナの両親ヴィンスタインとフィオナはベシュメルクの王族に連なる人物だ。血の繋がりがあるからエレナが刻印の巫女姫として選ばれた。
そして二人ともベシュメルクの事情を知っているからこそ、ガブリエラの祖母ではなく、エレナの事をエルメントルードと呼ぶ。
それが……彼女にとってどれだけ嬉しい事だろうか。この時代に、知っている人達がいなくなってしまって。だけれど両親と恩師には再会できて。
3人はベシュメルクの真実を知っていて、魔界の封印を守るために生涯尽力したからこそ上層に迎えられたのだろう。生前の行いが清廉だったのは想像に難くない。
バスカールも船でエレナを逃がし、最後まで……いや、死後も命がけでエレナを守った人物だしな。
「あの子が、こんなにも大きくなった姿を見る事ができるなんて……」
『お母様……』
フィオナは身体が弱くエレナが幼い頃に亡くなったそうだ。エレナが眠っていた期間も含めて、本当に長い時間をかけての親子の再会という事になるか。3人はモニター越しに目を潤ませ、バスカールとパルテニアラが静かに、穏やかな表情でそれを見守っている様子だ。
ヴィンスタインに関しては……自分でも死因がよく分かっていないらしい。書斎で仕事をしていて、眠くなってそのまま……という事だった。眠るように書斎で亡くなっていたというが。
ヴィンスタインもまた、ベシュメルクの伝統を守るために不遜な態度のザナエルクに苦言を呈した事があるそうだ。エレナが親という後ろ盾を無くしたからザナエルクの野心が首をもたげたのか、それとも刻印の巫女を手中にして専横する為に暗闘した結果なのか。それは定かではない。呪法があるから、そうした事もできてしまうしな。
バスカールはそんなヴィンスタインと親交があったために、エレナを色々と気にかけていたらしい。様々な術式を教え、ザナエルクの動きがあからさまになるとエレナを保護する立場に回った。
「一番大変な時に守ってやれなくて、済まないと思っている」
『そんな事は、ありません。バスカール様に、お父様とお母様は清廉な方だったと……そう聞かされていたからこそ、私も、私もそうあろうと振る舞う事ができたのです』
「でしたら……貴女は私達の誇りです」
エレナの言葉に、フィオナがそう言って。親子は涙を流す。
暫くそうしていたが、やがて落ち着くと、エレナは静かに見守っていたバスカールにも言った。
『バスカール様にも感謝しています。私が、信じる道をそのままに進む事ができたのは、バスカール様が導いて下さったからで……。けれど、私が至らなかったから、あんなことに……』
悲しそうな表情を見せるエレナに、バスカールは優しそうな笑みを見せた。
「後悔なさることはありますまい。姫を御守りできたことは儂にとっても誇りなのですから。パルテニアラ様も……姫を御守りして下さったこと、深く感謝します」
『よい。妾こそ、そなた達に重荷を背負わせてしまった』
かぶりを振るパルテニアラに、3人は首を横に振る。
「いいえ。パルテニアラ様の高潔さが……今に繋がっているのです。かつて過ちを犯したとはいえ、誇りを胸に行動する事ができたのは、パルテニアラ様のお陰なのですから」
『そう、か』
目を閉じるパルテニアラである。
そうして、喜び合っているみんなである。
本当に……みんなも色々な背景を抱えて、そうして今は平和に暮らしているというのを改めて実感できるというか。俺が母さんと再会できたように……みんなもそれぞれの大切な家族と再会できて……その事は、本当に良かった。
天井を見上げて、それから目を閉じる。ああ。みんなの涙に、俺の感情も大分揺さぶられているけれど……術式はしっかりと維持しておかないとな。