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境界迷宮と異界の魔術師 作者:小野崎えいじ
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16 静かな夜

「はぁ……」

 湯船に浸かって気の抜けた声を上げる。冒険者ギルドから帰って来て、早速風呂を沸かした。壁の窪みに魔石を置いて温度を上げ、中水道の水を継ぎ足して温度を下げ……という感じで調整するわけだ。
 今日は少し熱めの湯にした。

 初めてのと言うべきか、久しぶりのと言うべきかは解らないが、迷宮に潜った緊張と疲れを、湯の中に溶かして行ってくれる気がする。

 ――何と言うか。理屈では解っていても、という部分があって。多少頭の中でぐるぐる回っている。
 ああそうだ。ごたごたして錬金術師の情報を貰う事も忘れていたじゃないか。全く。しっかりしないと。
 次ギルドに顔を出した時に、しっかり確認しよう。家具を揃えたり庭を片付けたり。色々やる事は多いし忘れないようにしないとな。

「テオドール様」

 天井を見上げて思索に耽っていると、脱衣所から控えめなノックの音が響いた。
 深呼吸を一つして、気持ちを切り替えていく。
 大丈夫。大丈夫だ。俺はこういう事も呑み込んで、前に進めるさ。

「ん、どうかした?」
「こちらにお着替えを用意しておきました」

 扉ごしに会話する。

「……ありがとう。解ってると思うけど、グレイスも風呂は使ってね」

 と言っておかないと、彼女は家に魔石があって風呂が使えるのに、外に行って沐浴などで済ませたりしてしまいそうなので。
 これが伯爵家だと……使用人が主と同じ浴室を使うなどとんでもないだとか、使用人が同じ食卓で食事を取るなどあってはならないだとか、色々口を酸っぱくする奴もいるのだが。家令とか、キャスリンとか。

 それはそれで一般常識として正しいのかも知れないが、こちらに来てまでそんな堅苦しい生活をする気も無いし、今はそんな事を言ってくる者もいない。対外的に、或いは体面上必要なんだと理解していればそれで十分だろう。母と生活していた頃はそんな事もなかったしな。

「ありがとうございます。ですが、良いのでしょうか?」
「……いいよ。母さんと一緒に暮らしてた時はそうしてただろ」
「そう、ですね。懐かしいです」

 扉の向こうで、彼女は少しだけ笑ったようだった。

「昔は、一緒にお風呂に入ったりした事もありました」
「……そんな事もあったっけ。よく覚えてないなぁ」
「テオドール様はとてもお小さかったですから。覚えていらっしゃらなくても不思議はありません」

 それは5歳以前の話、か。
 俺が覚えてるのは風呂に一緒に入ったと言うより、グレイスに入浴の手伝いをして貰っていた事だな。それも伯爵家に引き取られてから少しの間だけの話だ。
 伯爵家では、使用人は雇用主の子供の入浴と着替えの手伝いをするものだと教えており、グレイスもそれに従っていたけれど……暫くしてどちらももう必要ないと、俺がグレイスに言って断ったんだ。
 理由は言うまでもない。痣や生傷が絶えなくなったからだ。そんな物を、グレイスに見せたくなかった。
 だけど。自分で出来るから手伝わなくて良いと告げた時、グレイスが悲しそうな顔をした事はよく覚えている。

「ああ。もし良かったら、昔のようにお背中をお流ししましょうか?」

 それは――どうなんだろう? グレイスの声は良い事を思いついたという感じの響きではあるんだけど。
 ……それこそもう、入浴の手伝いなんて歳でもないんだけれどな。
 けれど、断った最初の理由が無くなっているし。その事でグレイスに寂しい思いをさせてしまっていたのなら今日ぐらい、別に良いかと言う気もする。

「久しぶりに……それもいいかな」

 俺は頭に載せていた布を腰に巻くと、風呂の縁に座ってそう答えた。

「それでは失礼します」

 肩越しに浴室の扉の方を見やると、グレイスがメイド服の袖を捲って浴室に入ってきた。
 布を湯で濡らし、液状の石鹸を垂らして泡立てて、背中を丁寧に洗ってくれる。
 液体石鹸というか正確には石鹸に似たような物なのだが、これは帰りがけ、市場で買ってきた物だ。
 地下20階辺りから宵闇の森と言われる区画に行けるのだが、そこにサボナツリーと言われる樹が自生している。これの樹液が中々優れ物で、好みの香料や薬剤と混ぜて調合してやると丁度石鹸のように使えるようになるのだ。

「お背中に傷痕があります」
「昔のだよ」

 新しい痣はもう消えているだろうし。
 グレイスに触れられた辺りにあるという傷痕には、心当たりもある。
 ほっそりとした指先が傷痕をなぞるように触れてくる。

「グレイス……ちょっとくすぐったいんだけど」
「……それは……すみません」

 そんな風に謝られたが、何故だか肩越し手を回されて、軽く抱きしめられた。

「……グレイス?」
「――ごめんなさい。これも昔と同じなんです。今日は呪具解放の反動が時々戻ってくる感じでして……こうしていると落ち着くと解っていますから。もう少しだけ、このままでいさせて下さい」

 昔と、同じか。グレイスは狩りから帰って来ると俺を抱きしめたりして二人で眠ったりしていた時がある。
 あの時の事は本当に記憶が曖昧なんだけれど。グレイスの事は覚えている。不安だったけれど、グレイスと一緒なら安心して夜眠れた。
 母が亡くなって、父がそれを知るまでのしばらくの間だ。父はその時タームウィルズにいて不在だったから……母の死を知るのはかなり遅くなったわけだ。
 ともかく誰にも頼らなかった。グレイスは母の真似をするつもりだったのか。解放状態で森へ向かって魔物や動物を狩ってきて……それで食い繋いでいた。
 あの頃グレイスに抱きしめられて眠った理由、か。
 グレイス自身が不安だったとか……俺の事を慮ってくれていたのだとかそんな風に理解していたけれど。

「それに……最近のテオドール様はどこまでも一人で走っていく感じがあります。こうしておかないと、何時かどこか行ってしまいそうで。あまり……ご無理はなさらないで下さいね?」

 不安が……吸血衝動の反動に繋がるのかな? 俺はグレイスに無理させていたりするのだろうか。
 それともグレイスはこうは言っているけれど、俺が今日の事で精神的ダメージを受けているように見えるから、こうしているとか?

「無理なんか、してないよ。……グレイスこそ俺に付き合って迷宮なんかに来て。嫌なら嫌だって言ってくれ」

 俺が一人で迷宮に向かう事を彼女は良しとはしないだろう。それはまあ、理解した。
 だからこそちゃんと本音は聞いておきたいんだ。

「リサ様だって魔物と戦って生計の足しにしていたじゃないですか? 私も、それでいいと思います。ですから迷宮に潜る事そのものには、不満なんて何一つないんですよ。今度はテオドール様とご一緒できるわけですし。私だってずっと……あの家にいる時よりずっと納得出来ます」
「なら……良いけどね」

 暫く背中から抱きしめられていたが、やがてグレイスは離れていき、こう言った。

「ありがとうございます。落ち着いた気がします」
「ん。こっちも落ち着いたよ」
「……やはり、気に病んでおられましたか?」
「……気に病むって程じゃない。グレイスだってそれは同じなんだろ?」
「はい。間違っていたとは思いません」

 それも……グレイスと同じだな。内心でどこまで思っているかとか、お互い敢えて聞くべきじゃないだろうし触れても良い事はない。
 そういう事で納得して先に進む方が良いんだろう。奪われる側にはなりたくないし、だからと言って奪う側に回るというのはもっとない。――あんな連中と同じに堕ちたくはないから。
 肩から温められた湯を掛けられて、背中の泡を流される。

「……髪の毛も洗いましょうか?」
「あー……。じゃあもう、この際だしお願いするよ」

 今日はもう……本当に昔に戻ったつもりでグレイスとゆっくり過ごそうか。
 グレイスに髪を洗ってもらいながら、そんな事を思う。

 この後グレイスも風呂に入るんだろうし。その後は……一緒に料理したりしよう。その辺、グレイスに頼りっぱなしだった昔と違う所だな。
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