番外1024 奈落の巨獣
「では……始めようか!」
ベル女王が冥精達と共に昇念石を掲げ、マジックサークルを展開する。眩い輝きが昇念石に宿り、そこから地面や壁、天井を這うように遺跡全体に向かって光が広がって行った。結界が構築されて禁忌の地の遺跡外周や地面等、全体が結界で覆われて閉ざされる。
と、同時に神殿の大結界がベル女王の術式によって解かれていく。ベル女王が展開しているのは契約魔法等も含まれたマジックサークルだ。大結界はベル女王やリヴェイラならば解けるというのが分かる。だとするなら、マスティエルはリヴェイラの身柄を抑えて大結界を解く事を考えていた、というのも有り得るが……まあ、マスティエルの考えを探っても今更な話か。
再びベル女王が光の波を放ち、それが神殿まで到達する。
一瞬の静寂があった。神殿が輝きを放ち、虚空に光の粒が立ち昇るように散ったかと思うと、神殿内部から強烈な魔力が広がり、禁忌の地全体を揺るがすような地震が起こる。
次の瞬間、建物の中から黒い光とでも言えば良いのか、幾条もの暗黒の閃光や雷が建材の間から漏れるように広がる。風のように吹き付けてくる魔力と強まる地震の中で……神殿が崩壊して、土煙が神殿のあった場所を覆い尽くした。
その土煙の中に……何かがいる。
震動が収まると同時に遺跡を揺るがすような咆哮が響き渡り、1本、2本と……うねるような巨大な柱のような影が垣間見えた。いや……柱、ではないな。蛇か龍のような何かだ。
「敵の姿が分かるまでは迂闊に踏み込むな……! 煙が晴れ、敵の姿が見えるようになるまで、十分に注意して備えよ!」
プルネリウスが声を響かせ、全員が神殿に油断なく構えを取る。段々と土煙が晴れていき、全体像が見えてくる。でかい、な。膨れ上がる魔力と共に身体まで膨張しているのか。元の神殿よりも巨大になっている。
生物的な特徴も備えているが……生物とはとても呼べまい。亡者、アンデッドに近い。
腐り落ちた肉や筋の隙間のあちこちからゴーレムの白いフレームが見えている様は、まるで骨が覗いているようだ。漆黒の液体が身体から零れて周囲に巻き散らかされて、白煙を上げている。
5本の長い首。蛇か龍かと思ったそれは、それぞれ違う巨大な獣の頭蓋骨のような頭部を備えていて、アンデッドという印象を後押ししている。
本来渦から生物に分け与えられるはずの衝動が、押し固められて冥府に落ちたとするなら、形を成した姿が猛獣であり、冥府で生じたが故にアンデッドでもあるというのは納得がいく。
長い首は四足の巨獣の胴体へと繋がっていて……そしてその長い首と首の間に巨人の上半身が生えていた。これも半端に肉が腐り落ちたアンデッドだ。腕には巨大な剣のようなものが握られている。
巨人の額の部分から更にマスティエルに似た人型の胸像のようなものが生えている。やはりアンデッドのようだが、マスティエルの胸像からは先程向かい合っていた時のような、理性が感じられない。化身が戻れるならその意識が全身を掌握したのかも知れないが、今やその表情には憎悪のようなものだけが張り付いていた。
獣の首や巨人が共に身じろぎをすると……一斉に天高く、獣のような咆哮を上げる。
びりびりと咆哮が遺跡を揺るがし――そしてそれが収まると同時に、ベル女王が号令を下した。
「総員、奮起せよ! マスティエル本体を討伐し、共に常世の平穏を築こうぞッ!」
「おおおおおおおッ!」
みんながマスティエルの咆哮を打ち消すように鬨の声を上げ、総員での攻撃が開始された。ベル女王とリヴェイラが祈るような仕草を見せると、冥精達が身体に淡い輝きを纏い、更に力が増大していく。
「行くぞッ!」
「我らは後ろ足を!」
冥精達の放った魔力弾が分かれた班ごとに別々の場所に降り注ぎ、爆発を起こす。巨体である事はある程度想定されていたので、分散して攻撃しやすい位置を攻撃するという手筈になっている。
巨獣はまたも苛立たしげに咆哮を響かせると、巨獣の胴体や首、身体のあちこちからめきめきと獣の口腔や感情を宿さない目のようなものを生じさせる。そしてそこから魔力の弾丸を全方位の空に向かって撃ち返してきた。
弾幕。魔力弾による対空砲火は要塞や戦艦さながらだ。降り注ぐ魔力弾と迎え撃つ魔力弾が光の尾を引いて飛んでいき、ぶつかり合って弾け散る。
「やはり――干渉は利かない、か! 亡者のような姿をしていても本質的に違うものなのだな!」
天使の内1人が昇念石を掲げながら、そう声を響かせる。半霊体ではないか。そうであっても異質な変異を遂げているという事か。
俺も――飛び交う魔力弾の中を突っ切って巨人に向かって突っかけていた。
奴のそれぞれの意識がどうなっているのか知らないが、最も強い魔力反応をそこから感じるからだ。
雷撃を叩き込めば、巨人とマスティエルがそれを浴びて苦悶とも憤怒ともつかない声を響かせる。
怯んだように見えたのも一瞬の事。鬱陶しそうに腕を払えば雷撃がかき消されるように散った。剣に魔力が集中。俺に向かって巨人が視線を向けてきた次の瞬間、離れた位置にガシャドクロが顕現する。小さな状態では機動力に劣る。デュラハンに背負ってもらって移動し、射線の通る位置から囮、兼砲台の役割を担う。
マスティエルの化身との戦の際はいざという時に巨体による敵の引き付けを想定し、小さな姿でベル女王の護衛についていたが、今は戦力を温存しておく必要もない。
離れた位置から口腔を開き、巨人に向かって閃光を浴びせかけるガシャドクロ。ガシャドクロは、出現の瞬間に遁甲札を起動している。先程化身を破った俺に注意を引き付けてからの、完璧な不意打ち。遺跡を白々と照らすような大閃光が巨人の背中を捉えて爆発を起こすが……それでも巨人には痛打とまではいかなかったようだ。
身体を僅かに揺らして、憤怒の形相で振り返った時にはガシャドクロも小さな身体になってデュラハンと共に走り去っている。
「そっちに気を取られている暇があるのかッ?」
続けざまに俺の魔法も構築されていた。
構築したのは第9階級、火、土複合魔法メテオハンマー。視界を埋め尽くす程の、赤熱した大岩が俺の頭上に形成されて、振り下ろすウロボロスの動きに連動して凄まじい速度で撃ち込まれる。このタイミングでは……巨人には躱せない。受けられない。
獣の頭蓋――こちらに注意を向けていた魔獣の首がメテオハンマーを撃墜しようと大きく顎を開いて口腔内に閃光を宿していたが――それが放たれる事は無かった。同時に大爆発が起こって2つの魔獣の首が大きく弾かれたからだ。
結果としてメテオハンマーは巨人の肩口に激突。赤熱した巨石は激突の衝撃でバラバラになって……その身体のあちこちに降り注ぎ、更に細かく砕けて流星雨となって炸裂する。最初の激突の衝撃で巨獣の脚が浮き、神殿の残骸を粉砕するようにして、その巨体全体が揺らいだ。僅かの間、冥精達への応射も止まって、あちこち降り注ぐ魔力弾が爆発を起こす。
それでも――奴の動きが止まる事はない。すぐに踏み止まると全体への反撃を繰り出してくる。
俺の攻撃に合わせて魔獣の首の妨害をしたのはヴァルロスとベリスティオだ。大重力弾と真っ白な閃光を叩き込んだ。二人は俺が巨人を標的として見定めたのと同様、強烈な魔力反応を宿す魔獣の首を目標として見定めたのだろう。
「魔人ではなくなった、か。だがまあ、大体は理解した」
「ふむ。久しぶりの戦いだが、相手としては不足はなかろう」
重力翼を展開するヴァルロスと、周囲に輝きを無数に浮かべるベリスティオ。
既に他の首にもテスディロスや煙の鎧を纏うオズグリーヴ。ゼヴィオンやルセリアージュといった面々が向かっているのが見える。
そういう作戦だ。注意を引いては攻撃する者を次々入れ替えて、皆で奴のリソース、意識を分散させて、頭を上げさせない。的を絞らせない。黒い怪物達も使役する力はなく、侵食の能力も封じているので奴1体に集中できる。
特に強力な部位がある場合は対抗できる担当者がつくという作戦であったが……まあ、ゼヴィオンは実に活き活きとした様子で膨れ上がる火球を首に叩き込んで、放たれる暗黒の吐息を回避したりしていた。
あちらはあちらで、信じて任せる。
俺は俺で、巨人の相手と行こう。奴もまた完全に俺を標的として見定めているようだ。
化身であるマスティエルを消し飛ばしたからか、それとも先程のメテオハンマーが怒りや警戒を引き出したか。
だが、これでいい。こいつに関しては俺が担当して釘付けにしておかないと、犠牲者を出しかねない力を宿しているようだしな。
「来いッ」
余剰魔力を散らすウロボロスを構えてそう言うと、額に浮かぶマスティエルが応じるように咆哮を上げる。マジックサークルが無数に閃いて。そのまま巨人と共に俺に向かって躍り掛かってきた。