番外1020裏 冥府動乱・1
「撃て――! 敵に入り口を自由にさせるな! 支援班! 頭上! 死角を取らせるな!」
禁忌の地――暗闇の平原。
一度は消えていた水晶板モニターからの映像と音声も復活し、テオドールからの合図が来たかと思えば、前線基地は俄かに慌ただしい空気になった。
時を同じくして黒い怪物達も一斉に動き出したのだ。洞穴入り口に殺到するのは予想通り。
ディバウンズ率いる冥精達は外壁上や洞穴入り口に射線の通る正門に位置取り、魔力の弾幕を張る。
冥精達の放つ光弾が暗闇の平原に無数の軌跡を残しながら飛んでいき、結界を焼き切ろうとするかのように突っ込んでいく黒い怪物達に殺到する。
着弾と爆発。爆発音と共に、怒りと憎悪の混ざったような咆哮が響き渡り爆風の中から黒い怪物達が直上へと飛び出してくる。
前線基地から攻撃を仕掛ける射手達とて完全に安全というわけではない。前線基地の動きや狙いを見て取ったからか、射手の死角から攻撃を放ってくる怪物達が現れ出したのだ。
それを察知したディバウンズの対応は――射手に対する攻撃を抑える者達を支援班として分けて対応するというものだ。
機動力、防御能力に優れた天使達から構成された支援班が、昇念石の結界ぎりぎりの範囲内外を出入りして飛び回りながら、射手の背後や死角を取ろうとする黒い怪物達に攻撃を行い、敵から放たれる弾幕に防壁を展開する。
「有利は間違いない、ですが……!」
「めまぐるしいものだな!」
自分達の放つ光弾と、怪物達の放つ牙や爪のような弾丸が飛び交う中で、冥精達はそう声を掛け合い、笑い合う。安全圏はあるが、それでも多勢に無勢。休みなく飛び回るめまぐるしさもある。しかしその笑いに臆したところはない。女王の決意が。力を貸してくれるレイス達の想いが。現世からやって来た者達の好意が。自分達の中から、力を引き出してくれるのだ。
「実体を持つ怪物に注意しろ!」
神気を刀に込めて巨大な斬撃波を放ち、怪物達を両断しながら、ディバウンズが声を響かせる。
そう。牙や爪。目玉等、一部が実体化したような身体を持つ黒い怪物達が増えているのだ。結界内部に攻撃を加えるならば、そうした実体を持っている方が有効打に成りえると……怪物達自身が学習しているのか、それともマスティエルが制御しているのか。そんな中で、洞穴入り口付近に展開された結界の中に食い込んでくる中型の怪物が現れる。
蜘蛛のような身体。頭部はまるで巨大な嘴のような形状で、結界に頭部を組み込ませたかと思うと、身体を結界に焼かれながら嘴を開いて。そこに黒紫色の魔力が収束していく。
砲弾を放とうとするそこに――冥精達の弾幕が集中して嘴蜘蛛を吹き飛ばした。だが、それで終わりではない。二匹、三匹と嘴蜘蛛が渦巻く黒の中から形成されて、今度は洞穴の入り口だけでなく、前線基地の結界に向けても突っ込んできたのだ。
「奴らに撃たせるな! 内部から撃たれれば、恐らく結界そのものへの負荷が大きい!」
「こちらに向かってきた者は私が! 洞穴側は任せました!」
棍棒を担いだ鬼が、矢のような速度で飛び出していく。突っ込んでくる嘴蜘蛛に大上段から棍棒を叩きこんで、頭部を粉砕する。その――嘴蜘蛛の腹から小さな黒い怪物達が飛び出して、針のような弾幕を鬼に放ってくる。
「これしきの事で!」
鬼はそれを自らの肉体に集中させた魔力で打ち払って見せる。返す棍棒で小さな怪物達を纏めて吹き飛ばした。冥精達は鬼の手並みに歓声を漏らしながら絶え間なく弾幕を張り、渦巻く暗雲からは怪物が次々と形成されて。前線基地での攻防は激しさを増していく。
激しさを増しているのは洞穴を抜けた先――神殿の入り口でも同じだった。昇念石の結界とディフェンスフィールド。そして煙の防壁で構築された防御陣地に、無数の怪物達が殺到する。
蠢く暗雲とでも形容すればいいのか。空を埋め尽くすような怪物達を雷光が切り裂いていく。テスディロスだ。
雷光そのものと化したかのように、瘴気の鎧を纏ったテスディロスが槍を構えて駆け抜ける。その軌道上にいた怪物達がテスディロスの通り過ぎた数瞬後に、巨大な電撃に晒され、焼け焦げて虚空に散った。
「いくらでも来るがいい! 貴様らの負の感情は寧ろ心地が良い!」
相性という面で言うなら黒い怪物達はテスディロスやオズグリーヴ達――魔人達と頗る相性がいい。負の想念を核に形成された怪物達は攻撃衝動や憎しみといったものを前面に剥き出しにして襲いかかってくるからだ。それは――魔人にとっての糧でもある。
但し、攻撃面では瘴気が取り立てて有効には機能しない。黒い怪物達は生命ではないからだ。
「だが、無茶はなさいますな! テスディロス殿に何かあってもテオドール公は悲しみますぞ!」
魔力の光弾をばら撒いてテスディロスの支援をしながらも、ウィンベルグが言う。
「そうだな……! 肝に銘じよう!」
ウィンベルグの言葉にテスディロスはそう答えると、ますます全身から雷を漲らせて凄まじい速度で飛翔する。
防御陣地を中心に出入りを繰り返し……攻撃力と機動性能を兼ね備えたテスディロスではあるが深入りはせずに引く。瘴気耐性の高い怪物達の中に、雷に強い者達が混ざり始めたからだ。
自らも雷を纏う、空を泳ぐ魚のような怪物がテスディロスに追随してくる。怪物達は生命ではないが、学習、或いは自己進化、環境適応にも似た変化を見せる。
そこに――凄まじい緑色の炎の奔流が迸った。
デュラハンの大剣による一撃。テスディロスが拳を握りながら手を振れば、軌跡に残された電撃が消失してデュラハンの切り込む道を作る。緑の炎を噴き上げる馬がいななきを上げて、駆け抜けながら一閃を見舞う。
冥府の女王の加護を受け、デュラハンは更に冥精としての力を上げている。
渦巻く緑の炎が大剣の先端から火柱となって、怪物達を焼き払う。デュラハンの力は――単純に怪物達に対して相性がいい。炎に耐性を持たせたとて、これを怪物達が打ち破るのは至難だ。但し――怪物達の力もまた冥精には有効な相性ではある。
対怪物という点で言うなら、攻撃面では魔人達が冥精に譲り、防御面では冥精が魔人達に譲るという事になる――が、撃ち漏らした敵を高速で飛び回るウィンベルグの魔力弾が捉えて。3人は防御陣地の上空で、お互いの背中を守る様に構えを取ると、再び群がりつつある暗雲に向かって突っ込んでいく。
破壊力に優れるテスディロスとデュラハンが蹴散らし、撃ち漏らしをウィンベルグが狩る。そうして陣地を上空から攻められないように立ち回る。それは裏返せば、地上側の支援が行えないという事だ。事実、それで構わないというように怪物達は質ではなく、数で押してくる。
同時に地上からもベルディオーネ女王を中心とした防御陣地を食い破ろうと攻め立てている。
それを阻止するのが――ベルディオーネ女王の守りについた冥精達とオズグリーヴだ。
冥精達が大鎌を、槍を、棍棒を振るい、魔力弾を放って、群がる怪物達を打ち払う。女王の間近で加護を受けて戦う冥精達は魔力が立ち昇る程の力を発揮しているが、それでも多勢に無勢だ。穴を見つけては群がる怪物達。それを埋めるように白い煙が形を変える。
城壁にして槍衾。触れた瞬間に硬質化した槍が飛び出して、怪物達を刺し貫き、トラバサミのように形を変えて食らいつく。
瘴気による影響が怪物達に対して薄いのは既にオズグリーヴも理解している。槍衾やトラバサミのような攻撃にも適応するような変化を見せるが――怪物達は暗雲の中から生まれるにしても、実体化してしまえば不定形というわけではない。
一度何らかの形や性質……方向性を得てしまえば、後からはすぐに変えられないという事だ。それも――オズグリーヴの理解の内だった。
つまりは、形を大きく破壊するのは有効、という事だ。槍衾が刺さったところに煙を送り込んで――内側から炸裂させるように吹き飛ばしていく。
変化と適応。四足の獣の姿を取って飛びかかってきた怪物がトラバサミに捕捉されて内側から爆裂するが、飛び散ったそれが不定形のまま動き出す。
最初からスライムのように性質変化をさせていたという事だろう。そこに――密度の薄い煙が吹き付け、渦を巻く。
「くく、変化や対応力には少しばかり自信がありましてな。どちらが上か比べてみますかな」
笑うオズグリーヴの手にマジックサークルが閃いて。渦を巻いた煙に着火して火柱が上がった。
「――大火より灰は生ず。生まれ出でし土気により、雲より生まれし水気の怪異を討たん!」
矢継ぎ早に印を結んだカイエンが二本の指を揃えて突き出せば、巨大な岩の塊が顕現し、形成されつつあった巨大な怪物に叩きこまれる。巨大な砲弾のような一撃。オズグリーヴが生み出した炎を利用して五行によって土の術を強化した、その結果だ。
暗雲より生まれ、形を変える怪物達を水気と見立てたわけだ。
岩の砲弾によって胸に大穴を空けられて四散した怪物はまたも暗雲に混ざり合って。猛獣達の唸り声とも、怨嗟の声ともつかない声があたりに満ちる。
それは先王と女王、冥精達によって封じ込められた存在が生み出す怨嗟と憎悪だ。
ユウがその声を耳にして、表情を顰める。
「一歩間違えば俺もこうなっていたかも知れんな」
ユウが印を結ぶ。カイエンの放った土気を取り込み、金気を生み出す。様々な武器を持つ、六本の腕がユウの背後――中空に浮かび、嵐のような斬撃を見舞う。
神気を宿す一撃は、ユウの草原の王――武神としての力だ。即席で生み出された腕はかつてのユウが纏った鎧に似た造形をしているが、宝貝とは違う。本人から切り離す事で、統制化に置いた術式に過ぎないという寓意を持たせているわけだ。
土気は金気、金気は水気を生む。五行相生で生み出した水気は――ベルディオーネ女王の隣で祈るような仕草を見せるドルシアへ。
相性の良い力を場に満たして武器とし、場の属性として都合の悪い力は相性の良い味方に渡す事で強化を図る。かつての仙術の源流は冥府にあっても後の世の技術を取り込んで、仙術として研鑽されている。
そして力を送られたドルシアは――アイオーンと切り結んでいる夫、サンダリオの為に祈る。
水の輪がサンダリオの身の周りに浮かぶ。それはネレイド族の――祖霊の力だ。強い水の力を宿した神気。それを駆るのは伴侶や娘達を守る為に生涯研鑽を怠らなかった騎士サンダリオだ。
突っ込んでくるアイオーンの剣が、多節に分かれて鞭のようにしなる。連接剣、蛇剣と呼ばれる、魔法絡みの特殊な武器だ。
まともに受けるのは困難なその一撃を――サンダリオの周りに浮かぶ水の輪が受け止めて勢いを殺す。
踏み込んだサンダリオがアイオーンに切り返しの一撃を見舞う。目の覚めるような斬撃だが、硬質な爪が受け止める。人ならざる反射速度で、飛び回りながらサンダリオと切り結ぶ。死角から降り注ぐ蛇剣の一撃を、目を向けずにサンダリオが避ける。
アイオーンと切り結ぶサンダリオの背後を取ろうとした黒い怪物達は――例外なく水の槍に撃ち貫かれた。サンダリオの纏う水の輪が、時折ドルシアに良く似た姿に変じて、また形を変える。
ドルシアもまた、サンダリオや娘達を守る為に術の研鑽を重ねたのだ。その力は、祖霊として祀られた後も変わらない。
戦況は――冥精達がよく維持していると言えよう。昇念石の結界や個々の能力の高さもあって、数を頼みに押し切る事ができない。先王と同化した攻撃衝動が溜め込んだ負の想念は無尽蔵に等しいが、それを黒い怪物に転化するには工程を必要とするから、兵そのものとはならない。
それだけに、マスティエルやアイオーンを抑えている者達が敗れるような事があれば、勝敗の天秤は大きく傾く。特にアイオーン達は昇念石による結界の影響が少ない。その特性を前面に出して押し込まれれば均衡も崩れてしまうだろう。
戦闘が長期化しても同様だ。怪物達が物量で勝るのは動かしようのない事実であり、疲労する事も仲間が敗れて臆する事もない。消耗させてから押し潰すという戦法を取っていれば、いずれ戦線を支えきれなくなる時はやってくる。
それでも――誰一人として悲壮な気配がないのは、ベルディオーネ女王や共に戦う仲間を信じているからなのだろう。
リネットは飛び回りながらアイオーンと弾幕を応酬する。リネットが相対したアイオーンはクロスボウを左腕に備えた中距離射撃型だ。生前も飛行術や瘴気弾を得意としていたリネットとは高速飛行しながらの射撃戦となった。
弾幕と弾幕。飛び交う魔力弾と魔力弾がぶつかり合って爆ぜる。
リネットの周囲に鳥型の怪物達が追いすがるが――光が閃いたかと思うと一瞬後には八つ裂きに切り裂かれていた。リネットの周囲に浮かんでいた無数の小さな光球が薄い刃となって高速回転したのだ。
この小さな光球は――マジックスレイブをリネットなりに改造したものだ。マジックレギオン、と名付けられたそれは半魔法生物として組み上げられ、条件に合致した時に自動迎撃を行い、或いはリネット本体の意思に合わせて盾にも砲座にもなる。普通のマジックスレイブでは有り得ない特性を付与する事も可能としている。
生前の瘴気を用いた闘法。更に召喚術、転移術、魔法生物使役といった研究の数々をレイスとなってからの特性に合わせて改良を加えたものだ。
使役していた魔法生物こそ失ったものの、今のリネットは単身にして無数の射手と護衛を従える部隊の長のようなものだ。
様々な魔法知識を貪欲に求め、テオドールの魔法制御に極致を見たリネットの技術は――他の魔人達にもない特異性となって昇華されつつあった。
アイオーンの腕から斉射される魔力弾をリネットのマジックレギオンが自動制御で絶妙な角度を付けた盾となって弾き散らす。針穴を通すように弾幕をかいくぐって、易々とアイオーンの懐へと飛び込んだ。
「食らいな」
レイスの大剣に魔力が込められて、至近から振り抜かれる。一条の傷がアイオーンの身体に刻まれる。
が――。後ろに大きく弾かれたアイオーンの姿に、更なる変化が生まれた。関節部がめきめきと音を立てて変形し、悪魔というよりは魔獣じみた姿へ。咆哮と共に爆発的な加速で切り込んでくる。
凄まじい金属音が響き渡った。すれ違いざまにリネットの大剣とアイオーンの右手の剣が激突した音だ。リネットの剣が跳ね上げられた時にはアイオーンは遥か彼方へと遠ざかっている。そのまま、魔獣形態への更なる変異を見せたアイオーンは慣性を無視した鋭角的な動きを見せると矢のような速度で切り込んできた。
片目を見開き、獰猛な笑みを見せたリネットが、魔獣を迎え撃つ。
二度、三度と斬撃が交差する音が響いた。今度は大剣が跳ね上げられるような事もない。マジックレギオンの自動迎撃――機械的な反応を自身の意識に同調させる事で、敵の攻撃――角度、種類を特定する手がかりにし、本体の反応速度を高めているのだ。
「くくっ! 楽しくなってきたじゃあないかッ!」
そうして――リネットの哄笑と魔獣の咆哮が重なり、斬撃と魔力弾の光芒が閃いた。