番外999 冥府の下層にて
デュラハンによれば外壁内の各階層に続く通路や転移門には鏡と天秤で審問を受けた亡者の列があるそうだが……こうしてベル女王やプルネリウスといった面々が下層に向かう際にはきちんと別に連絡通路があるとの事なので、そちらを使わせてもらう。
審問の手を止めたりするとリカバリが大変そうだしな。何かしらのトラブルがあった場合も干渉を受けている亡者達が意識を取り戻したりしたら混乱があるだろうし、重要人物との連絡通路を分けるというのは必要だろう。
外壁内部の通路を進み、下層に続く転移門までやってくる。普段使い用ではないという事で、機能停止しているようだが、ベル女王が手を翳すと転移門が起動して魔力が宿った。
「先行して転移門の先の様子を見て参ります」
保全部隊の天使達が言う。転移門の先はまだ冥精達の管理下にある施設だが、ベル女王が一緒だから冥精達も慎重になっているのが窺えるな。
「では、よろしくお願いします」
「お任せ下さい」
保全部隊の一部がハイダーを受け取り、先行して転移門を潜る。水晶板モニターの光が収まると……下層の冥精に歓迎される天使達の姿が映し出された。
「大丈夫なようですね」
「うむ」
そうして俺達とベル女王が続いて転移門を潜る。
「それじゃ行こう」
「はい、であります」
リヴェイラはユイがぴったりと護衛している。殿をテスディロスやオズグリーヴ、保全部隊の面々が引き受けてくれた。
全員が転移門を潜って下層に移動した事を確認する。
「お待ちしておりました」
と、そこでベル女王や俺達を出迎える為に声をかけてくれたのは下層の冥精達だ。
所謂地獄の鬼や悪魔で見た目もそれらしい姿をしている。筋肉質な姿をした鬼達。様々な動物の顔に翼の生えた悪魔達。
地上に出没する悪魔――邪精霊とは見た目が似ていても魔力波長や性質が全然違うな。獄卒や刑吏としての役割を担う、きちんとした冥精達だ。鬼達も……西国のオーガと比べると人のサイズに近くて小柄で理知的な感じがあるか。
ヒタカの受肉した鬼達と比べた場合は……やはり純然たる精霊としての気配が強いだろうか。赤鬼、青鬼、黒鬼に小鬼達と、色んなバリエーションがあるようで。
「まあ、見た目はやや厳ついが真面目な連中でな」
ベル女王がそんな風に紹介してくれる。まあ、そうだな。罪人を相手取るわけだし強面でないと務まらないかも知れない。現世の者達がそういうイメージを抱いているという……裏返しでもあるが。
「よろしくお願いします」
ベル女王の言葉を受けて、鬼や悪魔達は折り目正しく挨拶をしてくる。
「こちらこそよろしくお願いします」
「テオドール公の噂はかねがね。ああ、勿論良い意味で、ですぞ。悪魔というか、邪精霊も滅ぼしてくださっているお方ですからな。我らに似た姿で悪意をばらまく連中をも成敗して下さった事には、溜飲が下るというものです」
握手をすると冥精達がそんな風に言った。
「なるほど……。下層ではそれで有名なわけですか」
と、苦笑してから、少し気になったので尋ねてみる。
「そういえば、現世で滅ぼされた邪精霊というのは、どういう扱いになるのですか?」
悪魔や夢魔といった面々を倒してきているが、それが知られているというのは連中も冥府に送られたりしたのだろうか?
「普通の罪人と変わりませんな。現世に留まれない程に損傷を受ければ、冥府に落ちて来た時には精霊としての規模が非常に矮小になっております故。規模が元通りにならないよう牢獄に閉ざしてそのまま刑罰を、という事になります」
なるほどな。同じ精霊のカテゴリと言えど対処するノウハウもあるし容赦もしないというわけだ。負の想念に耐性がある冥精は、邪精霊に対しては好相性かも知れない。
ともあれ、下層の冥精達も友好的で安心である。お互い自己紹介が終わったところで、ベル女王が言った。
「では――現地へ向かうとしようか」
「重要な施設付近は昇念石で守られておりますが、道中は何時あれらの怪物が出現してもおかしくはありません。十分にお気を付け下さい」
「うむ」
施設の外に出たらそこはもう危険地帯、という事になるな。
環境魔力についてはどうか。下層は囚人がいるから負の想念を溜めてはいるものの、昇念石での浄化もあって、中層とそこまで大きく変わる、というものでもないそうな。調べ物をしている間に調査用魔道具で先んじて下層の入り口付近の魔力を天使に採取して貰っているが、この結果も問題がない。
引き続きヨモツヘグイにだけ気を付けていれば……少なくとも洞穴の前までは大丈夫だろう。
通路を通り、施設を出るが――外に出たという印象はなかった。広々とはしているが、地下世界といった感じの空間が広がっていたからだ。
篝火はあるが、暗い。同行者に暗視の魔法を施すと、更に詳細に周囲の様子も見えてくる。
やはり――洞窟内部という印象だな。洞窟外壁に沿うように大きな門があって、そこを三つ首と二首の、二頭の大きな黒犬が守っているのが見えた。
ケルベロスとオルトロスか。やはり、冥精ではあるようだ。俺達に同行しているベリウスを見ると、お互い普通にお辞儀をし合ったりして。冥精達から話を通してもらっているのか。かなり頭が良さそうというか、普通に言葉も通じそうだ。
開け放たれた門の向こうには――あちこちに小さな穴が続いていて……施設からのろのろとした足取りで歩いていく亡者の列が穴の奥に進んでいくのが見える。牢獄に囚われて罰を受ける……罪人達か。
『こんな非常時でも下層の仕事は手を止められないのね。大変だわ』
ティアーズが保持している水晶板モニターの向こうでステファニアが言った。
「大変ではありますが致し方ない事ですな。非常時だからと亡者が冥府に来る事を拒んでは、現世に亡者が溢れる事になってしまいます」
「収監までの護衛と通常の任務とで厄介ではありますが……上層や中層からの応援もあって、現状では一先ずどうにかなっていますよ。昇念石の蓄えが十分にあるのは、やはり女王陛下のご慧眼でしょう」
その言葉に、下層の冥精達が答える。
現状では何とかなっている、と。とはいえ、昇念石も消費していくわけで、いつまでも維持できるというものでもあるまい。
それに……仮に冥府が閉鎖されるとなれば、現世がゾンビ映画のような事態になってしまうだろうからな。早い段階で対処に動く事を決めたのは、やはり正解だったと言えよう。
しかし、下層がこういう構造だと流石にシリウス号での移動は難しいか。下層の拠点や禁忌の地のある場所等、開けた空間もあるそうだが、現状ではこのまま移動していくしかないかな。
その事を伝えると、モニターの向こうでアルファが残念そうにかぶりを振っていた。ラヴィーネやコルリス、ティールが近くに行って慰めたりしているようだが。
「ふむ。どこから敵が出てくるのか分からない現状では、死角が増えてしまうから迂闊に絨毯も使えませんな」
その言葉を受けて、オズグリーヴが言う。空飛ぶ絨毯はオズグリーヴの私物だ。ハルバロニスの技術を源流としているようではあるが。
シリウス号が使えるかどうか分からなかったから絨毯も冥府に持ち込んでいるが、現状では確かに使うと危険かも知れないな。
「全員が乗れるわけでもないし、ここは歩いていくしかないかな」
「隘路やその出入り口は昇念石で守る予定であるし、致命的な事にはなりにくいだろう。あくまで黒い怪物達が相手であればの話だから油断はできないが」
ベル女王が言う。そうだな……。まだ正体の分からない敵もいるという事を考えれば、油断は禁物だ。警戒すべきところはきっちり警戒しながら進んでいくとしよう。