番外991 地の底にあるものは
「話は分かった。さて。どうやら……妾も事情を話さねばならぬようだ」
ベル女王こと、ベルディオーネ女王はリヴェイラの様子に優しげな微笑みを見せていたが、やがて気持ちを切り替え、こちらを見やる。
「現世にいるそなたらの仲間にも伝えた方がよい話、なのだろうな。信用できる相手であるなら、生者に明かしても問題が生じるわけではないからな」
「そういう事でしたら、この場所に魔道具を持ってきましょう」
「いや、よい。妾が書庫に赴き――あの簡易の食堂で人払いをするのが良いだろう。妾が健在である事を見せた方が、皆も安心するであろうし」
なるほど。そういう事なら俺に否やはない。
簡易の食堂――俺達が少し手を加えた部屋だが、あの場所は結界も張ってあるし、書庫回りに人員も集めてあるから警備態勢も分厚い。その辺はベル女王もリヴェイラから記憶を伝えて貰い、分かった上で言っているのだろう。
ベル女王と共に部屋を出ると、レブルタールや警備の天使達が明るい表情を浮かべる。
「ああ、陛下……! お目覚めになられましたか……!」
「そなたらにも心配をかけたな。もう妾は大丈夫だ。皆を安心させる意味でも書庫側に赴いて話をして来ようと思ってな」
「それは……きっと皆も喜ぶでしょう」
と、レブルタール達も笑顔で応じる。
門番をしている天使達はそのまま女王の部屋の警備。レブルタールが同行して天使達への伝令と護衛役を担う、という事になった。
そうしてベル女王と共に書庫へと移動する。女王の部屋に続く廊下を警備している天使達にレブルタールが事情を説明し、その内の一人が先行して伝えに行くと言って、笑顔で走っていく。塔の内部を進んでいくと冥精達がベル女王に笑顔で挨拶をしていた。
冥精達にとってベル女王という存在がどれだけ大きいのかが分かる気がするな。それだけに目を覚まさないという状況は、冥精達としてもかなり心配だったのではないだろうか。
そうして俺達は書庫の近くに設けた簡易食堂に戻ってきた。
人払いと防音の術式を施したところで、レブルタールが一礼して退出していく。腰を落ち着けてからベル女王と向かい合う。
「さて……。では事情を話すという約束であったな。妾の書いた文書にもあの洞穴の奥にある物の来歴は纏めてある。解析をしているというのであれば、そなた達に伏せる理由もないというもの」
「古文書に関しては――門外不出のものだったでしょうか?」
「いや。妾が目を覚ますかどうか不透明な状況では、あの書物に解を求めるのも詮方無き事。それに先程も言ったが、生者であればあれについて知ってもすぐに問題が起こるというわけでもない。そなたらは信用できるし、危険性を最初から伝えてあれば、現世であれ常世であれ、喧伝して回るという事もなかろう」
裏を返すなら……冥精の間で情報が広まると問題があるという事か。
全ての生者はいつか冥府に来る事になるから、すぐに問題が起こるというわけではないという言い回しも分かる気がする。という事は、現世でも情報を広めるわけにはいかない、という事になるか。
それに亡者の場合は知っていても広めなければ大丈夫、という事になるのかな? 実際、プルネリウスとて事情を知っているわけだしな。
「あれの来歴は――遥か昔に遡る。あの書物も何かの折に妾がいなくなった時の備えや、時の流れの中で記憶が薄れ行くのを繋ぎ止める為に記したものだ。まあ、忘れてしまうという事は無かったがな」
ベル女王は眉根を寄せる。忌まわしい記憶を思い出そうかとするように。
「生者にとって死とは恐ろしいものだ。過去も未来もそれは変わりあるまい。故に遥か古より、冥府――この精霊界は形作られ、現世に寄り添うようにして存在してきた。だが……当時は冥府を支配する者が違ったのだな。我が父君こそが冥府を治めていた」
ベル女王の父親……冥府の王という事になるのかな。
「重要なのは冥精達の性質も精霊界の主に合わせて少し変わる、という点だ。生者達の向ける死への想い。そして精霊界の主の性質が冥府に影響を及ぼす。今は妾が主として存在しているから冥精達の性格も穏やかな傾向にあるし、裁きの裁量に冥精達以外の者の意見が採用されているが……当時はそうではなかった」
ベル女王の父親が精霊界の主だった当時に関しては――やはり死後の裁きといった概念もあったが、統治者の性格による冥精の性格の違いであるとか人々の死生観の違いもあって、下層に落とされる者に対する罰に関しては、今よりもっと苛烈なものであったらしい。
「妾は妾の信じるように今の冥府の在り方を目指したが……罪に対する苛烈な罰を望む者もいよう。良し悪しはそれぞれの視点によって変わるのであろうし……我が父君も妾より罪人に対して苛烈であれど、決して慈悲を知らぬ暴君というわけでは無かった。だがある日、冥府に変化が訪れる」
ベル女王の父は根源の渦に関する研究を進めていたそうだ。根源の渦に干渉や制御をする事によって、生者の重ねてしまう罪そのものを減らす事ができないかと考えたらしい。
「つまりは、輪廻する生物の質に変化を与える事ができないか、と考えたわけだな。理知を持つ者ならば生存競争の原理から解き放たれて、助け合う事もできるはずだ、とな。そうなれば、冥府の在り様も変えやすくなるだろうと」
冥府の主とは即ち、人ならぬ冥府神として、罪を裁く事を宿命づけられた身であり、冥精は人の死に寄り添うが故に思考形態も通常の精霊とは違う。
だからこそ、流れに手を加えようと考えたのだろう。新生し、罪を重ね、戻ってくる亡者達。永劫に続く冥府の在り方に父君は疲れてしまったのかもしれないと、ベル女王は目を閉じたまま、忌々しそうにかぶりを振る。
「それは……」
「その通りだ。察しの通り……ろくな結果にならなかった。現世でも魔法技術の発展に伴い、同じような過ちがいくつかあったようだが、冥府の方が先んじていたとは皮肉なものよな」
俺の曇らせた表情を見て、ベル女王は頷く。みんなも固唾を飲んでベル女王の話に聞き入っているようだった。
根源の渦の性質をより詳しく調べる為に、内部で活動し、様々な魔力、魂の動きを検知できる装置――ゴーレムのようなものを構築して送り込んだそうだ。それが失敗だったと、ベル女王は語る。
「ゴーレムが伝えてくる情報は有益なものだったが……根源の渦がそれを変質させてしまったそうだ。あの渦は――死と生を結ぶもので、生命種全体の集合意識、無意識と繋がっていると言えば良いのか。当時も仮説はいくつか立てられたようだが……はっきりとしたことは言えない。あれ自体に悪意があるわけではないが、触れるには危険な性質だったという事だな」
要するに根源の渦はそれに触れた魂に対し――亡者になる時に欠けてしまい、生者にとっては必要なものを吹き込む性質を持つ、らしい。
即ち食らいて地に満ちよという、生存本能に根差したような衝動だ。確かに、生物に必要なもので利己的な性質になるのは致し方ないから……確かにそれは罪の根源と言えるかも知れない。
では、それに触れてしまった異物はどうなるのか? 情報収集する性質を持つが故に……戻って来た時には手が付けられない化物になってしまっていたそうだ。
「生存本能に従ってあらゆるものを侵食する怪物。自己が活動するための領域を増やすのが生物の本質であり、性であるが故にそうなったのだろう。そして取り込んだ情報量が多かったばかりに侵食する対象は冥精、亡者であれ関係がなかった。本体から分れた小さな個体は冥精達でも対処は可能ではあったが、大本は、どうしようもない」
そして――冥府を二分する騒乱となったと……ベル女王は語る。
「父君も事態解決の為に直接動く事になった。高位精霊が戦えば影響は多大だが、背に腹は代えられぬ」
結果は――相討ちだった。というよりも、仮に直接的な戦いに勝ちの目がなくとも、小さな個体が冥精を取り込んだ場合に攻撃性がかなり薄まる事に活路を見出していたそうだ。
冥精としての性質を傾けて、巨大な生存本能に匹敵する存在を取り込ませる。融合する事で拮抗、相殺させるというわけだ。
「まだ幼かった妾は……父の最期を見届けた。後の事を頼まれたよ。制御のできない怪物はこれで消えるが、自分もきっと変質してしまうだろう、とな。我が意志が残っている間に地の底に自らを封じよと。そう父君は妾に伝え、眠りについた」