番外988 女王の真実
「今の事態を考えると……注意喚起も兼ねて、あの時あった事をまず伝える必要があるか」
プルネリウスは思案した後にそう口にした。みんな固唾を飲んでプルネリウスに注視している。同行者だけでなく、フォレスタニア城のみんなも俺達に何かあった時にバックアップができるよう、モニター越しに一緒に話を聞けるようにしてもらっている、という状態だ。
「任務の事を調べたようだから、その事を前提で話をするが――あの時私とリヴェイラは任務の為に護衛達を待たせ、施設の奥に向かったのだ。奥の扉を開錠し、手順通りに進めようとしたが……恐らく防衛機能に何らかの手が加えられていたのだな。正規の手順を取ろうとすると防衛用の術式が発動してしまうよう、細工がされていた」
「それは――施設の事情を知る者……或いはどこかで知り得た者が罠を仕掛けた、という事になりますか」
プルネリウスに尋ねると、目を閉じて「恐らくは」と肯定する。
上層での襲撃と照らしてみても暗躍している者がいる、というのは間違いなさそうだ。目的その他はまだ見えないところがあるが。
「あの時――私は防衛機能の発動を見て取って、咄嗟にリヴェイラの避難を優先させた。防御術式を構築しても、耐え切れないと判断しての事だな。衝撃によって記憶喪失になってしまったという話を聞くに……結局は私の一手は間に合わなかったのかも知れないが」
「……推測が間違っていないなら、保全部隊全員が倒れてしまった場合、プルネリウスさん達を計略にかけた誰かが何らかの目的を遂げる事を恐れたといったところでしょうか?」
「そうだな。敵の事が頭を過ぎったからこそ、そういう対応になったと言える」
全員が倒れてしまえば「敵」が目的を遂げるのも容易だろう。そしてプルネリウスは、リヴェイラこそが最重要だと思っていた、という事になる。
リヴェイラが俺達の所に現れたのは――やはり冥精としての性質が母さんの墓所に引き寄せられた、という事かも知れない。冥精が現世で顕現できる場所というのも限られるし、ランパス達は冥府に携わるからと陰や邪に属する、というわけではない。故人の冥福を祈り、過去の思い出を懐かしむような、そんな場こそが冥精達にとって相性の良い場所だ。
場の魔力の高まりにしてもあの場で祈りを捧げていた面々を考えると現世で最も冥精と相性の良い場所だった、という事なのかも知れない。
「そして……ここまで聞いて分かったと思うが、保全任務において最も重要な役割を担うのは、私ではないのだ。極論、私は防衛機能で倒れたとしても、リヴェイラさえ無事ならばそれで良かった、はずだったのだが……」
プルネリウスはそこまで言って首を横に振る。驚いたのはリヴェイラだ。
「わ、私が重要、なのでありますか? あまり、こういう言い方や考え方は好きではないのでありますが、誤解を招きそうな言い方になってしまいそうではありますが、代役を立てるだけなら他の方でも良さそうなものでありますが」
少し戸惑ったようにリヴェイラが尋ねる。確かにな。代わりを立てればいい、という価値観の是非はともかくとして、その辺の事は誰しも疑問に思うところだ。俺としてはリヴェイラが何らかの条件を満たしていて代役の立てようもないだとか、そんな風に推測もしたが……。
「それは……疑問ではあるだろうな」
プルネリウスはそこで一旦言葉を切り、何かを考えていたようだがやがてリヴェイラを見据えて尋ねる。
「リヴェイラは、テオドール殿達の事を、どう思っている? 率直な意見を聞かせてもらいたい」
その表情は真剣なもので。何らかの意図を持って重要な事を尋ねている……気がする。リヴェイラもそれを感じ取ったのか、プルネリウスの問いに居住まいを正して、思案を巡らすと、真っ直ぐにその顔を見返して答える。
「大切な人達、であります。私が何もわからず不安な時に励ましてくれて、手を取って道を示してくれた人達――。場合によっては冥府の方々を敵に回す覚悟で、この場所まで私を連れてきてくれたであります」
リヴェイラはそう言って、自分の胸のあたりに手を当てる。
「その事には、本当に感謝をしているのであります。だから……だからこそ、冥府に危機が迫っていて、私にできる事があるのなら。使命とかそういう理由ではなく、そんなみんなが平和に暮らしていけるように、力を尽くしたいと……そう思っているのであります」
「そう、か」
プルネリウスはリヴェイラの言葉を受けて、感じ入る様に遠くを見るような目になった。
「だとするなら、テオドール殿達には伝えぬというわけにもいかない、のだろうな。施設に絡んだ事について詳しく話す権限は私にはないが――」
プルネリウスには話すべきかどうかという迷いがあるように見えた。迷うという事は、プルネリウス個人としては伝えたいと思っているという事だろうが自分に許されている権限を越えるかどうかぎりぎり、というところか。
プルネリウスにそれらの権限を与えているのは冥府の女王だろう。女王が目を覚まさない内に話して良いものなのかどうか、判断が難しいのだろうが。
遠くを見ていたプルネリウスが視線を戻した時、その表情にはどこか覚悟めいたものがあった。
「しかしそういう事であれば、あの方についてお話しないというわけにもいかぬ、か。リヴェイラ……いえ。リヴェイラ陛下。貴女は、女王陛下の化身なのです。そのようにした理由については語る権限を持ちませんが……今は保全任務に必要だからそうしていたとだけお伝えしておきましょう。化身は代理ではなく、本人と同じだからこそ、できる事があるのだと」
その言葉に――リヴェイラは数瞬の間を置いて目を見開く。ああ……そうか。そういう事か。……女王も眠りについたままの理由についても幾つか仮説が浮かぶ。
リヴェイラの迷宮核による解析もそうだ。リヴェイラには迷宮核でも解析が及ばない部分があった。何かが欠けていて、それが記憶喪失の引き金になったのではないか、或いは記憶の欠落こそが解析不能部分として欠けてしまっているのではないかと……そういった推測に繋げていたが、リヴェイラが女王本体から分離した化身だったからなのだろう。
ダメージを受けて欠けたのではなく、本体と接合するために元々そうだったと考えれば辻褄は合う。
高位精霊は人から見て神に近しい存在で、何かしらの理由があって化身――アバターを造り出して活動するという事も不可能ではないのだろう。
ただ、本体に比べれば不安定な状態かも知れない。ダメージを受けて記憶喪失になってしまったのも……リヴェイラがアバターであるが故、だろうか? 或いは本体に封印術式が及び、一時的に切り離されてしまったからこそリヴェイラが以前の記憶を思い出せない、という可能性もあるが。
だけれど……そうか。プルネリウスが権限を越えるかどうか迷って、伝えようと判断した理由も、分かる気がする。
「……だとするなら、私が女王様の所に戻れば、女王様は目を覚ますでありますか?」
「原因は幾つか考えられますが……化身に主体が移ってしまっているから女王陛下が目を覚まさないという事であれば、統合される事でお目覚めになるかと。先程テオドール殿達との関係を聞いたのは、良い関係を築いておいでの様子だったからです。これからの話……本体に戻る事もきちんと伝えて、納得してもらった方がお互いに良いからと、そう思ったからこそですな」
プルネリウスが何か決意したような表情のリヴェイラに答える。そう。そうだな。きっとリヴェイラの言葉は女王の言葉でもある。だから権限を越えた部分を判断するには、リヴェイラの今の気持ちを確かめる必要があった。
だが、そうだとするなら、俺もはっきりさせる為に聞いておく必要がある。
「……本体に戻った時。或いは女王陛下が目を覚ます事の出来る状態になった時、リヴェイラ自身の人格や記憶についてはどうなるのですか?」
俺がそう尋ねるとリヴェイラが少し表情を曇らせ、ユイや――みんながはっとして俺やリヴェイラ、プルネリウスそれぞれに視線を送る。
「それは――通常通りであれば問題ない、はずだが……今回のような事は初めてでな。女王陛下から化身は独立して行動できるよう、作り出す折に性格をある程度決めていると伺っている。そして、女王陛下本人が元々持っている要素を備えていなければ化身足りえない」
それに本来なら化身の見たもの、聞いた事は女王にも届いているそうだ。だからこそ化身と言えど、本人と変わりないとも言える、とプルネリウスは語った。
そして、その事を秘匿するために、プルネリウスはリヴェイラを普通のランパスとして扱うように演じていたらしい。今まで保全任務に同行していたランパスも……恐らくは女王の化身だったのだろう。
なるほどな。化身の作り方についてはまだよく分からないが、表向きの性格や立ち居振る舞いが女王と違って見えても、それは対外的な部分に現れるものでしかなく、記憶や本質的な性格は共有しているという事になるか。
プルネリウスの言葉にリヴェイラは遠くを見るような目になる。
「私が女王様の化身で、それが冥府や現世の今後の為になるというのなら、きっと……目覚めてもらうのは当然なのだと思うのであります」
「……リヴェイラちゃん。でも、それは通常ならって」
『リヴェイラさん……』
みんなも不安げだ。
そうだな……。本体が封印状態に陥る事でアバターが一時的に切り離されてしまったのだとか、主体が一時的にリヴェイラに行っているから目覚めないと仮定して、その後に独自の道を歩んだとするなら、それはもう独立した存在と言えるのではないだろうか。
リヴェイラが本体と共有されない状態の折に独立独歩で動いていたとするなら……その間の記憶は上位存在に戻った時に、どうなるのかが不明瞭だ。ましてや、本来なら想定していなかったイレギュラーな事態なのだ。
最初から、リヴェイラにアバターという自覚があって、本体もそれを認識していればこんな心配もいらなかったのかも知れないが、一時的にとはいえ独立して歩んでいたリヴェイラという存在は、統合された時にその同一性、記憶はどうなるのかという懸念がある。
だから、プルネリウスもそこに気付いて、誤魔化さずに教えてくれたのだろう。
ユイやグレイスの心配げな声やみんなの表情を受けて―ーリヴェイラは努めて明るく笑った。そうして首を横に振る。
「ずっと不安だったのであります。もし記憶が戻った時に、今の自分が思いもしないような酷い事をしていたらどうしようとか。テオドール殿やユイ殿や……フォレスタニアの皆と……今まで通りの関係でいられるのか……とか。けれどそういう事なら、きっと私も胸を張って還れるであります。何より、必要な事、でありますから」
ああ……。記憶が戻った時に、知らない自分が……今までの関係を続けていけないような自分がそこにいたらどうしようと。きっとリヴェイラは、そんな不安も抱いていたのだろう。
女王は冥精達に慕われている。胸を張る事はできる。そして必要な事かも知れない。
だけれどそれだけではないはずだ。今のリヴェイラが感じている気持ちや不安を、軽んじるような事はしたくない。
俺達とリヴェイラが出会ってからの今までは、決して長い時間ではないけれど、共に過ごしてここまで来ているのだから。自我のあるリヴェイラはリヴェイラとして、そのままであって欲しい。
「……どうかな。リヴェイラはリヴェイラのままでいられる、かも知れない」
そう言うと、リヴェイラが……そしてみんなが驚いたような表情でこちらを見てくる。そうだ。高位精霊というのは、そういう事ができると俺は知っている。ティエーラとコルティエーラ。それにジオグランタもそうだった。
「高位精霊は元々一つの存在であっても、別個の存在として分ける事が可能だっていう事例が実際にあるからね。リヴェイラをそのまま独立した存在として残す事も、できると思う」
意識の主体が移っているのだとしても、封印状態で女王が動けないのだとしても。どちらであっても何とかなる、はずだ。まずリヴェイラという存在を固定し、主体が移っているのであれば女王の意識が戻るように状態を変えればいいのだし、封印状態なのが原因なのであればそれを解けばいい。
後は……自然に引き寄せられて統合されないよう、リヴェイラの状態を魔法的に維持しながら女王を説得する、と。
そうした考えを説明すると、リヴェイラは呆然とした面持ちで尋ねてくる。
「このまま……みんなと一緒にいられる、でありますか?」
「……そう。そうだな。恐らくその話、女王陛下ならばお許しになるだろう。あの方はお優しい」
プルネリウスは静かに、けれど優しげな表情でリヴェイラを見て首肯する。
「なら、問題はないね。後はどうにかする。して見せる」
はっきりとそう言うと、リヴェイラの表情に喜びの色が浮かんだ。
「リヴェイラちゃん……!」
ユイが嬉しそうな声を上げ、涙を浮かべるリヴェイラを受け止めるように抱擁し合う。嗚咽を漏らすけれど、それは決して悲しみではなくて。
そんなユイとリヴェイラを見て、みんなも安堵したように表情を綻ばせるのであった。
いつも拙作をお読み頂き、誠にありがとうございます!
お陰様で書籍版境界迷宮と異界の魔術師11巻と、コミック版1巻の発売日を迎える事ができました!
こうして無事に刊行する事が出来たのも読者の皆様の応援のお陰です! 誠にありがとうございます!
今後ともウェブ版、書籍版、コミック版共々頑張っていきたいと思いますので、応援頂けたら嬉しく思います……!
また書籍版の主要登場人物のラフイラストを活動報告にて掲載しておりますので、こちらも楽しんで頂ければ幸いです!