番外979 保全任務の記録
冥府は半霊体――亡者を上層以外から現世に干渉できないように作用する。冥府から戻って来られたということ自体、冥府に属する亡者ではないという事の証明なのだそうな。
俺自身や同行した面々も魔力波長を調べて確認してみたが半霊体――冥府の影響を受けていない事も分かったのでこの辺は安心だ。
一緒に風呂に入ったり、自身の魔力が平常である事を確認してから、みんなと普段通りの生活をしていく。みんなで一緒に風呂に入って……それから寝室に向かう。
夜着に着替えたみんなはほんのりと肌も紅潮していて、石鹸の良い匂いも鼻孔をくすぐって……それがとても安心できる。
寝台の上に身体を横たえて軽く伸びをする。
「テオとこうして、いつも通りでいられるのは嬉しいですね」
「留守番だったり行先が冥府だったり……私達としても普段と勝手が違ったものね」
俺の姿にグレイスとステファニアが小さく肩を震わせてそう言った。
「そうだね。俺も冥府だとやっぱり緊張してたのかな。まだ、問題が解決しているわけじゃないけれど、こうしてみんなと一緒にいられるのは安心するし嬉しいよ」
「ん。たっぷり鋭気を養っていって」
そんな風に言って両手を広げ、抱擁の構えを見せるシーラである。そんなシーラを見てマルレーンもにこにこと両手を広げる。俺も笑って応じてシーラやマルレーン……それからみんなと優しく抱擁や口付けを交わす。
「ええと、その……」
「また冥府に行く事になるのだしね」
「まあ、そうね……うん」
エレナが顔を赤らめ、クラウディアやローズマリーも少し気恥ずかしそうに咳払いをする。そんな風にしてゆっくりと時間を使って循環錬気を行っていくのであった。
みんなも子供達も健康状態は良好だ。循環錬気に時間を使った事もあって目を覚ますと俺自身の魔力のコンディションも含めて充実したものになっていた。
「やっぱりみんなと循環錬気をすると気力も魔力も絶好調になるかな」
朝の挨拶を交わしてから掌に軽く魔力を集中させてそう言うと、みんなもにこにことして頷く。
「ふふ。それは私達も、かな。日が少し空いたけれど、だからこそ今日の朝は特に身体が軽くなってるのが分かるもの」
イルムヒルトは胸のあたりに手をやって微笑む。
なるほどな。間が空いた分、効果が強く実感できるというわけだ。
俺達のお互いへの気持ちとか、複数人で循環錬気をする事とか……そうした要素もまた効果を高めるものでもあるし。
俺が体調を万全にできたのと同様に、みんなの調子も更に良くなったのなら俺としては言う事はない。
そうして食堂でユイ達と合流して朝食をとったりしてから、作戦室に移動する。
『おはようございます、で合っているでしょうか』
『あー。そっちは朝のようだな』
水晶板モニターで顔を合わせるとシェスケルとリネットがそれぞれ口を開く。冥府に昼夜はないが、シェスケルはこちらの流儀に合わせてくれたわけだ。
「うん。おはよう」
『ふふ、おはよう……!』
こちらも挨拶を返すと、気怠そうなリネットの肩のあたりからヘスペリアも顔を出して元気に挨拶をしてくる。司書天使達も俺達と朝の挨拶をしてからレブルタールを呼びに出て行った。
暫くするとレブルタールも顔を出し、彼女ともおはようと言葉を交わす。
『はい。おはようございます』
と、レブルタールはにこやかに頷いてから、少し真剣な表情になる。
『ディバウンズ様への連絡はしておきました。すぐには動けないという返答ではありますが、リヴェイラさんの発見は喜ばしいと仰っていたそうです』
リヴェイラの他にもまだ一人、行方不明者がいるらしいからな。冥精だから餓えや渇水が理由で衰弱するという事はないようだが……洞穴の中だから楽観視はできない。
レブルタールからの業務連絡に頷き、そうして書庫にある古文書の解読と資料の読み込みを行っていく事となった。
「ティアーズ。古文書を開いてくれるかな?」
「それでは、私達は保全任務の資料の方を見ていきます」
俺達が指示を出すと、ティアーズやハイダー、シーカー達が動き出す。
「古文書の文字は――分からないわね。今まで見たことのない……未知の文字のようだわ」
ローズマリーがティアーズの広げた古文書の内容を見て呟くように言う。ローズマリーは作戦室に何冊か手帳を持ってきている。今まで知識を得てきた古代文字の単語等々、意味する所が記してあったりするのだ。
『ああ……。確か、その古代文字で記された資料もあったはずです。古い時代の保全任務の資料だったと思いますが』
「ふむ……。古文書はテオドールが解析にかけるのよね? わたくしはそちらの資料を確認させてもらおうかしら。流石に未知の古代文字で暗号化は時間がかかってしまいそうだものね」
シェスケルの言葉に、ローズマリーは顎に手をやって思案する姿を見せる。
「では、私とパルテニアラ様でベシュメルク関連の古代文字の書物を調べるというのが良さそうですね」
「ふむ。適材適所というわけだな」
エレナの言葉にパルテニアラが頷く。
「分かった。じゃあ、古文書の方は任せて貰っていいかな?」
「そうね。私達の手には余りそうだわ。月の民の古代文字があれば私が対応できるから」
と、クラウディア。では、分担は決まりだな。古代文字も時代時代や場所で色々だが、クラウディアやパルテニアラはそれぞれの専門分野だし、ローズマリーは対応の幅が広い。
そんなわけで資料の読み込みだけでなく、ティアーズ達に指示を出して目録や書棚から関連する書物を探す等、それぞれに役割を担う。
『リヴェイラさんは……ティアーズ君、ですか? この子を通して私が上層を案内しましょう』
「ティアーズの操作は私がするね」
「ありがとうであります……!」
ユイの操作するティアーズに付き添ってレブルタールが上層を案内してくれるというわけだ。リヴェイラはユイやレブルタールに感激した面持ちでお礼を言っていた。
そんなわけでみんなが一斉に動く。俺も古文書を開いて――まずは残らずウィズに映像として古文書の内容を記憶してもらう。後は迷宮核に持ち込んで纏めて解析にかける、と。
頻出する単語なりなんなり、読み解くための規則性を見出したり、特徴を掴む事ができるはずだ。
昨日迷宮核に入力したデータの解析作業については――結果が出たら迷宮核から通知がくるようにしてある。
「通知は私が受け取りましょう。テオドールは作業に集中していて大丈夫ですよ」
と、そんな風にティエーラが申し出てくれているので、俺は俺で自分の作業を進めていけばいい、というわけだな。
水晶板モニターが映し出す映像を追っていると、みんなも古い時代の資料を解読していく。保全任務の記録に関してはその時代時代で定期的に施設の状態を確かめ、必要だと認められたら準備し、参加した人員や気付いた事、改善点等を記述したりと……まあ、作業日誌と呼ぶのがぴったりくる印象がある。
「――手順さえ守っていれば施設の保全作業に危険はなく安全である。このため、作業に随伴する人員には手順、決まりをしっかりと通知し、その順守させる事」
クラウディアが呟くように資料を読む。安全、ね。実際はこうして事故なり事件なりが起きたわけだが。
それにどうも……保全記録に関しては色々細かく記述していても肝心な部分を伏せているようだ。記述した者が誰なのか分からないが、改善点にしても実情や背景が分からないように表現に気を遣っている印象がある。冥精達の調査が難航するのも分かるというか。書物から事実を追うならば、古文書の解読が鍵になってくるか。それとも、記述者の隙がどこかに残されている、だろうか?