番外960 冥府の邂逅
「それに……自分の身は自分で守りたいって思ってるんだ。亡者はもう死なないから自衛の必要はないのかも知れないけれど」
「まあ……それについちゃ同感だね。死なないとは言っても、精神に過度な負担がかかれば廃人のようになっちまうこともある。現状に抗う気概みたいな物も必要だろうよ」
ああ。確かに、今まで見て来た亡者の中にもいたか。何が過度な負担……ストレスになるかは人それぞれだとは思うが。……まあ、そうだな。現状に抗う気概、か。俺も頷いて言葉を続ける。
「少し前に、レイスのみんなが冥精に呼ばれて街から少なくなってたって事があったって聞いた。冥精達も神経質になってるところがあるようだし……何かやばいことがあっても、冥精と繋がりがあればすぐに分かるし、自分で戦えるだろ」
そう言うとレイスは腕組みしながら街並みを見回しつつ言う。
「……そうだな。お前は色々調べて考えた上で話に来たようだが。それがお前の考え方だと言うなら否定はしないし、同時にあたしの立場からはそれに対する解答はできない」
レイスはそこまで言ってから一呼吸置き、真っ直ぐに俺を見ながら付け加える。真っ暗なフードで表情は伺えないが。
「だがまあ。一般論で言うなら、備えるってのは重要だ。冥精達から必要とされるだけの力があるなら、或いは肩を並べる事もあるかも知れない」
そこまで言ってから、また警備の仕事に戻るレイス。今のは……言葉の中に裏の意味を込めたという印象だ。備えが必要な何かの事態が進行している、という事になるか。
そして立場から言える事、言えない事には明確な一線を引く、というわけだ。
「……子供の言う事だ、なんて馬鹿にはしないんだな」
「魔術師ってのは、侮れないもんだからな。後、意地って奴もな」
と、肩を竦めてレイスが言った。確かに、そうかも知れない。
しかしそうなるとどうしたものか。レイスは実力を見せれば、と言った。自分の方から口利き等の便宜は図ったりしないという意思表示でもあるだろう。
実力次第で冥精達に認められるかもとなるのなら、もう少しリスクを釣りあげて踏み込む事も考えるべきだろうか。
変装したままで冥精達に協力するとなると……冥精達が作っている台帳に偽装を施したりだとか、そういう事も視野に入れる事になるが。ここまで見て来たものを考えると、心情的にはあまり冥精に対してはそうした行動を取りたくないとも思う。
白い光や爆発についてもっと直接的に問えれば話が早いのだがな。そうなると何処でどうやってそれを知った、という話になってしまう。
そうやって思索を巡らせていると……突然地面が振動し、周辺の環境魔力に変化が起こったのが分かった。
地震――いや、これは――?
鳴動と共に、地面から湧き立つように――あちこちから黒い靄のようなものが溢れてくる。そうして、空中で黒い靄が集まって、角の生えた頭蓋のような姿になる。目に炎を宿して――奇声や哄笑を上げて空を飛び回る。鬼火――とでも言えば良いのか。
「小僧! お前はどっかに隠れてな!」
それを見たレイスの行動は早かった。肩に担いでいた大剣を手に、手近にいた鬼火に斬りかかっていく。鬼火は身体に魔力を纏うと高速で飛び回り、レイスの手にした大剣と火花を散らして打ち合う。口から黒い輝き――光弾をばら撒く鬼火。いくつもの光芒が弾けて剣戟の音と爆裂音、逃げ惑う亡者達の悲鳴が響き渡る。
混沌とした事態だが――冥精とレイス達は対処に動くまでが早く、迷いがない。これ――これこそが対処に追われている事態の正体か。それを裏付けるように、他のレイス達も冥精達と協力して対処に当たっているようだ。
俺も建物の上から飛び降りて、事態に対処する。
「どこでもいい! すぐ家の中へ入って隠れろ!」
鬼火に牽制の土の弾丸を放ち、そう声を上げると、子供達は家の中に飛び込んでいく。魔力反応からすると、家の中には鬼火達はいないようだしな。一先ずはこれで良い。
「お前らの相手は俺だ!」
大声を上げて鎌を振り回して、鬼火達の注意が自分に向くように誘導しているレイスの姿も見える。ランパス達も魔力弾を撃ったり亡者達に干渉して迅速な避難をさせたり……ブラックドッグも空を四足で駆けて、手にしたシャベルや牙で鬼火達と空中戦を繰り広げていた。
『我らはどうしますか? 出撃して援護を?』
「そうだな。迷彩フィールドを展開して――いや」
オズグリーヴの言葉に答えかけた所で、更に状況が動いた。塔の頂上や外壁のランパス達が昇念石を手に、祈りを捧げるような仕草をすると、彼女達の手にする石を起点に緑色の波動が都全域に広がっていく。波動を浴びた鬼火達の動きが明らかに鈍り、レイス達が攻勢に転じる。
予めこういう事態に備えて対処方法を練っていた、という印象だが、それだけに効果は劇的だ。拮抗していたように見えたが、あっという間に鬼火達が駆逐されていく。これなら――程無くして。
と、そこで悲鳴が聞こえた。ランパス達の魔力弾を受けて落ちた鬼火と、路地から逃げようと走ってきた子供が正面から出くわしてしまったのだ。
まだ――鬼火は健在だ。咆哮を上げて子供達に向かって口を大きく開く。口腔内部に溜まっていく魔力の渦――!
「ちいっ!」
レイスが舌打ちする。正面から打ち合っていた鬼火から大剣に食いつかれて、動けない。それを見て取って間に合わないと判断した刹那に、俺も動いていた。
レビテーションと魔力光推進を組み合わせて、最大、最速の速度で子供達と鬼火達の間に割って入る。杖に魔力を纏って、吐き出された閃光を弾き飛ばす。返す刀で鬼火の横面に余剰魔力の火花を散らすウロボロスを叩き込めば、鬼火が砕け散り、元の黒い靄となって霧散した。
「お前は――」
目の前の鬼火を斬り伏せたレイスがこちらを見て、驚いたように固まっている。
……目立たないようにしようとは思っていたが……今の状況は仕方がないか。レイスや冥精の反応如何では遁甲札を使って撤退も視野に入れないといけない。
或いはいっそ、腹を括って話をして、このまま必要な情報を得てしまうか。リヴェイラの事は伏せたままで情報を引き出せると良いのだが。
カドケウスに通信機を操作してもらい、その旨を納骨堂や作戦室のみんなにも伝えると『対応して撤退なりなんなり、すぐに動けるようにしておこう』とテスディロスが言って、ユイ達も頷いていた。
幸い……変装そのものが見切られたわけではないから、再度見た目等を変えて突入する事だってできるはずだ。
周囲の戦闘は――概ね収束に向かっているようだな。突然の出来事ではあったが、地面の鳴動も収まっているし、辺りの環境魔力も先程より清浄になっている。非常事態が続くというわけではないなら……一先ずは安心していいのか。
「お前らは、もう家に帰んな。まだ危険がないってわけじゃないからな」
こちらに飛んできたレイスは事態が収束に向かっている事を確認しつつ、地面に降り立つと、まだ腰を抜かしている子供達にそう言った。子供達はこくこくと慌てた調子で頷くと、小走りに駆けて建物の中に入っていく。
「さて……」
レイスは俺に向き直る。俺もある程度今後の展開に覚悟を決めてレイスと向かい合った。が……レイスの口から飛び出してきたのは少し俺の予想とは異なる言葉だった。
「あー……。あんたも死んじまったか。まあ……そう言うもんなのかも知れないねえ」
どこか残念そうな声色でそう言うと、後頭部を掻くような仕草を見せるレイス。
「どこかで会ってる?」
「まあな。あんたは多分あたしの事を知ってるだろうから、今の境遇を意外に思うかも知れないが……冥府から見るとあたしらって存在はそういうもんなんだとさ。あんたから見て印象が変わったように思うなら、業から解放されているから、かも知れないね」
そう言って。レイスは自分の顔に手をやった。顔を覆っていた暗闇が薄れるように消えて……その下にあるレイスの素顔――霊体の顔が露わになる。
ああ――。そういう事か。彼ら――彼女らは、生まれながらに呪いを受けた身であるが故に、生前の行いは払いきれないような大きな業ではあるが、罪として裁くのは違う、と。だからレイスとして選ばれる事になる。そして……生前の呪いからも解放されているわけか。
だから目の前のレイスは……さっきの俺の動きから、俺の正体に察しがついたのだろう。
「……リネットか」
「ああ。久しぶりだねぇ」
そう言って――魔人リネットはにやりとした笑みを見せるのであった。