番外947 亡者達への祈り
死者の都アプロノスは――嘆きの門から離れるとそれなりに賑わいがあった。
確かに亡者達は生前の暮らしを模倣しているらしい。石造りの家々が立ち並び、通りを亡者達が行き交う。挨拶を交わす者もいれば、ただただ立ち尽くしたまま動かない者もいる。独り言をぶつぶつと呟く者も。
他種族――エルフや獣人、友好的な魔物の亡者も混ざっていて……まさに死者の国といった風情だ。骨犬、ゾンビ猫、その他の魔物がうろついていたりするな。
「動物がいるのは良いとして……危険な魔物の亡者はどこに行くのでしょう?」
エレナが首を傾げるとデュラハンが教えてくれる。
『生前から理性のない存在は――冥府では脅威ではない。生命としての活動に準ずるものであるが故に生前の凶暴さは無くしている。大抵の場合は荒野に放逐されて……そのまま薄れていく。冥府にとって扱いが難しいのは、やはり強い理性を持つ種族だろう』
……なるほどな。肉体的欲求や本能に根差した行動原理一辺倒では肉体からの欲求がなければ。
恨み辛みが強い悪霊は力も大きいと考えると、その辺は納得いく。凶暴な魔物であったとしても、逆に霊体としては……強い弱いというよりは何も残っていない、と言った方が良いか。
理性があるからこそ、生前との感覚の違いに戸惑ったり、自分の境遇を悲しんだりする事になる。強い情動を抱える者であるほど霊体として力が強い、という事になるだろうか。
サウズが進んでいくと広場に出たが――そこでは複数の亡者達を率いるランパスが身振り手振りをしながら、何やら講義をしていた。
「だから――冥福を祈ったり、墓前に黙祷を捧げてくれたり。そういうものは貴方達の活力になるわ」
と、デュラハン達から聞いたのと同じ情報を亡者達に伝えているようだ。
『比較的話が通じる新参の亡者達だな。ああした者達には冥府での過ごし方を冥精が伝える事になる』
亡者達は嘆きの門から立ち直ってきた新参の亡者、という事か。
「私達としては、貴方達にここで静かに暮らしてもらう事を望んでいるの。何かをしてもいいし、何もしなくてもいい。お腹は空かないし凍える事もないもの。けれど――今感じている気持ちや辛い気持ち、悲しかった事、心残りに向かい合って整理していく事をお勧めするわ」
そう言ってランパスは緑色に光る宝石のようなものを取り出す。
「それ、は?」
しわがれたような、たどたどしい口調で亡者の一人が尋ねると、ランパスは静かに答える。
「これは昇念石。貴方達が抱える生前の執着や心残りの一つに整理を付けたりした時、私達が昇華させた想いから作り出す事ができるものなの。貴方達にとってはこの石を生み出す行為自体が魂の核の精錬に繋がり、次の生で恵まれた力が宿るかも知れない。私達にとっても利用価値があって……だから通貨のようにも使えるわ」
そんなやり取りを見ているとデュラハンが補足説明してくれた。
昇念石は冥精であれば力を引き出す事ができるとか、精錬された魂は原初の渦に戻っても一粒の雫としてより大きな力を集めて生まれ変わるらしい、とか。
「現世に残してきた大切な人達の幸せを祈ったりしても良いわ。そうした気持ちが本当なら最初から昇華されているし、気持ちが薄れる事もなく、たくさん石を作れたりするし」
「……ああ――」
ランパスの言葉に、亡者達は感動したような声を上げて、手を合わせて家族か友人か。大切な人達の為に祈るような仕草を見せていた。ランパスはその様子を見て静かに頷く。
……魂の精錬か。なるほどな。互いにとって利益があるというか、冥府自体が罪に対する罰を与えたり、次の生を静かに待つ事ができるような仕組みになっているのだろう。
「確かに……生まれ変われば記憶は無くなってしまう。想いの昇華や魂の精錬に価値があると見るかどうかは貴方達の考え次第だけれど……ずっと昔からこの場所はあるわ。魂は何度もこの場所に来て、また旅立っていく。だからその事を、私達は何度でも貴方達に伝えるの」
生きている時も亡くなった後も。一生懸命歩みを積み重ねておくのは無駄にはならない、と。
「気持ちの上でも楽になるし、やっておいて損はない、かも知れないわね。本当は……立ち直れなかった子達も助けてあげたいのだけれど」
そう言って、ランパスは少し寂しそうな表情を見せた。そんなランパスの言葉や表情は優しさを感じさせるもので。何度でも伝えるというその言葉に、リヴェイラも何か感じ入るように静かに目を閉じていた。記憶を失っていても、人の魂を見守る冥精である事は変わらない。今の言葉や死者の国の在り方には思う所があるのだろう。
生前の善行で向かう事のできる天国や、悪行によって罰を受ける地獄はまた状況というかルールが違うのだろうけれど、少なくともこの階層――死者の国ではそう、という事のようだ。
死者の国の亡者達は、良くも悪くも善行も悪行も積んでいない普通の者達だが……それ故に、死という事実や抱えている自分の想いに耐えられない者も一定数いる。
そうした霊だとか冥府に来る前に未練、恨みを残して地上を彷徨っていた魂は先程街角で見た通り、ただ立ち尽くしたり、独り言を呟いたりという状態になってしまう傾向があるそうだ。
レイスの成立に必要な要点――仕方のない事情と大きな業を共に抱えたケースというのも中々レアそうだしな。
一方でレイス自身も冥府の為に働く事は魂の精錬に繋がっている気がするから、単純に任務を負うだけというわけでもなさそうだが。
ともかく、立ち直れなくなった亡者は、生前の暮らしを模倣したりするわけでも魂の精錬に努めるわけでもなく……ただ魂が漂白され、生まれ変わるのをただ待つだけになる、という事らしい。
『ああした者達は死者同士では大人しくしていても、生者を感知すれば襲いかかってくる可能性が高いな』
「まあ……そういう事なら生者であるだけで羨んだり憎んだり、というのもあるかも知れないな」
ランパスが言ったように、少しでも心が安らぐようにと……そう思う。
するとモニターの向こうで「立ち直れなかった亡者達」がぴくりと動いたり、「おお……」と声を漏らして空を見上げたりして。ああ、こういう形でも、祈りは届くか。
「今のは……管理側に察知される、かな?」
『いや……。問題はないと思う。冥精達はそうした想いを尊むべきものだと考えていて干渉はしないし、広い範囲に祈りがある事も、無いわけではない』
デュラハンがそう請け負ってくれる。それを聞いたみんなも頷くと「それじゃあ」と目を閉じて黙祷を捧げていた。俺も改めて彼らの冥福を祈る。
ランパスも水晶板モニターの向こうで「こうやって死者に想いを馳せてくれる優しい人もたまにいるの。神官さんや巫女さんかな?」と、忘我の亡者達が広い範囲で癒されているのを見て嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
しばらく黙祷を続けていたが、やがて一人また一人と顔を上げる。
「テオドール殿や皆さんは――お優しい方達であります」
「うんうん」
リヴェイラが嬉しそうな表情を浮かべて、ユイやマルレーンが揃ってこくこくと頷く。
「まあ、ああいう話を聞いちゃうとね」
と、小さく苦笑して答える。こういう話は……そうだな。月神殿の皆に伝えるのも良いかも知れない。
「――ん。さっきの情報を整理すると、生者が近付いて刺激した時に危険かどうか、ある程度見分けがつく」
「逆に言うと……社交的な亡者は、生者相手であっても話が出来るかしら」
シーラが言うと、クラウディアも目を閉じて頷いていた。それはあるかも知れない。
「あまり戦いたくない相手だから、その辺の見極めは重要だね。対話が可能な相手なら、直接情報収集できるかな。まあ……会話ができるとしても生者が冥府に潜入しているっていう情報は極力伏せたい所ではあるけれど」
せめて冥府で起こった事件や背景に関して何か掴めるまでは、こちらの事は秘密にしておきたい。
言葉を交わしている冥精や亡者達がそれらしいことを言っていないか注意を払いつつ、街中を移動していく。
情報収集と同時に……もう一つ確認しておくべき事があるな。
「どこか街中に、人や冥精から身を隠せるような場所はないかな?」
デュラハンにそう尋ねると少しの間思案していたようだが、やがて頷いた。
『嘆きの門の近くに、骨塚に集めた骨を収める地下納骨堂がある。手狭になった古い区画ならば身を隠す事もできるだろう。皆には些か陰鬱な場所に感じるかも知れないが、危険はない』
骨塚に関しては納骨堂の拡張待ちで集められていたり、この場所が冥府である事を新参の亡者に理解しやすくする為であったりといった理由から、嘆きの門の近辺に集めてあるという話だ。
古い区画だというなら、尚の事亡者や冥精が足を運ぶ事もあるまい。
デュラハンは流石というか。色々良い情報を持っている。あくまで冥府に案内する役だから入口付近しか情報を持っていないとデュラハン自身は言っていたけれど、死者の国限定なら十分な情報量だ。
「安全で人目もないなら十分だ。それ以上あれこれ注文を付ける気はないよ」
魂が漂白されて残された骨に関しては半霊体の抜け殻と、そう言っていた。
そこに魂も何もない正真正銘の抜け殻だというのであれば悪霊や呪いであるとかそういうものとも無縁だし。
そう答えるとデュラハンは首を大きく動かすと『では案内しよう』と頷いた。
というわけで情報収集をしながら嘆きの門がある方向に移動する。
すぐさま移動するわけではないが場所を確認しておいて拠点化が可能かどうか、現地で俺達が調査を進めるならどう動くのが良いのか等、サウズで情報収集をしながら下見をしておきたい。詳細な地図も作っておけばもしもの時の逃走等もしやすくなるだろう。
「大丈夫だと思うけど、納骨堂内部で環境魔力も調べておこう」
「念には念を入れて、ですね」
俺の言葉にグレイスが頷く。
デュラハンの口ぶりやこれまで得た情報からだと大丈夫そうではあるが、一応、という事で。