番外946 死霊と天秤
地面と同化させるようにして、サウズを動かしていく。
『死者の国の都……アプロノスという』
デュラハンが教えてくれる。アプロノス、か。
冥府は天国と地獄、死者の国で明確に分かれているそうで、他の階層に向かうための門のようなものもあるらしい。デュラハンも全域は分からないというか、地域柄も出てくるようだな。東国だとまた違った様相になっているのだと思われる。
慎重にサウズで距離を詰めていくと……段々と様子も見えてくる。
都市外壁に大きな門があるが、亡者達はそこに向かって列を作っているようだ。
門の付近に何か――剣呑な姿をしている者がいるな。ぼろぼろの黒いローブを纏っていて顔は窺い知れない。身体の周りに人魂のようなものをいくつも纏わりつかせており、大鎌を肩に担いで浮遊している。
その姿は死神のようでもあり、今は静かに亡者達の列を監視している。
『あれはレイスだな。現世に出現するレイスとはまた違うが、亡者ではある』
「冥府の管理に協力している側に見えるけれど、冥精ではない、という事かしら?」
ローズマリーが尋ねると、デュラハンが手に持った首を縦に動かしてその言葉を肯定する。
悪人ではないにしても生前に作ってしまった大きな業を浄化するために、冥府に協力して働いている立場の者達、という事らしい。
『身体の周りに浮かんでいる人魂のようなものは生前に作った他者――悪人以外の亡者からの恨み辛みだ。当人に業を返す事で、当人に被害を受けた者達の抱えている負の感情を浄化する、と……当のレイス達から聞いた』
「確かに……生きていれば色々あるものね」
イルムヒルトが目を閉じて言う。
確かに、行動の理由や内心を見て悪人と断じる事はできなくとも、恨みを買ってしまうというのは良くある話だ。
大きな業と言っていたから程度の問題もあるのだろうが、そういう因縁を本人に返して消化するというのは……恨みを残してしまった者達を救済するのを兼ねているようにも思う。救済にしても地獄に落ちるような悪人以外の者達が対象なのだろうし。
レイスにしても、生前の行動の理由が正当なものであるのなら、地獄に落ちて苦役を課されるよりは理不尽な物を感じないように思うな。
当人が納得する、しないはともかく、様々な事情を抱える者達を裁き――処遇を決めるというのなら、どこかでそういう決まりだと線引きをしなければならない、というのもあるだろうし。
ともあれ、冥府を管理している側に温情がある、というのは真実のようだ。
「レイスはまあ……敵じゃないにしても秩序を維持する立場があるって言うなら、見つからないように注意する必要があるか」
騎士団というか警備兵というか。そういう位置付けのようだからな。しっかりとサウズを操作していく必要がある。迷彩フィールドは展開したままなので、念のためにここで遁甲札も使っておこう。
調査用魔道具の中に収めてある遁甲札を起動させて、更に距離を詰めていく。みんなも真剣な表情でその様子を見守っているようだ。
「門が開かれてるのは幸いだな」
亡者達の列をそのまま内部に受け入れている。下手に外壁に同化したり、地下潜航で進もうとしてしまうと、結界等が展開されていた場合に引っかかってしまう可能性がある。ここは迷彩フィールドと遁甲札を信じて地上から門をくぐるべきだろう。
ぼんやりと順番待ちしている亡者達と、それを監視するように時折見回しているレイス。列を監視しているからレイスの視線は遠くにあるようだ。それを横目で眺めつつ、ゆっくり外側と門の境界線上に近付く。
そうしてその境界線を越える。もし通行可能な部分にも感知できないような結界が張られていて、それに触れたとなったら、すぐさま地下潜航して一時撤退する事も視野に入れていたが、どうやら大丈夫だったようだ。
探知系の術はどうか。何時でも撤退できるように少しだけその場で留まるが……レイスの動きに不自然な所はないな。
とはいえ、迷彩フィールドと遁甲札頼りの状況は変わらない。見つかっていないのならさっさと壁の向こう側に抜けたいという状況だ。端っこの目立たない場所を移動しつつ進むと、何やら外壁内部の大きな広間のような場所に出た。
外の見張りとは別のレイスが警備についているようだ。レイスの所持する武器は大鎌ではなく大剣だった。広間の中央に光を放つサークル。その脇に大きな黄金の天秤が置かれている。
順番待ちの亡者が広間の中央に進み――サークルの中に立つと天秤が揺れる。その結果に応じて進むべき方向が決まるようで……レイスが指を差した方向に亡者達はおずおずと進んでいく。
『簡易の判別だな。天秤の傾きが大きい者は別の場所に進んで更なる精査を受けて、処遇が決まる』
と、デュラハンが教えてくれる。
なるほどな……。ここでも判別を行い、冥府の管理が円滑に進むようにしているわけだ。
天秤が均衡を保つ者――つまり善人でも悪人でもない者は、そのまま真っ直ぐ前に進むように促されている。真っ直ぐ進むと外壁内部を通過して死者の国の内部に進めるようだ。
とりあえずではあるが、サウズが進むのもそちらで良いだろう。
天国と地獄はセキュリティ回りが厳しそうだし、事情次第で潜入を考えるにしても、それは情報収集の後で良い。
「本当は私が名乗り出て事情を聞ければ良いのでありますが」
「まあ……それは仕方ないし気にする必要はないよ。管理側の内紛で敵対勢力がいるかも知れないとか、色んな可能性を考えたら情報収集は必要だし」
リヴェイラは記憶の断片から判断するに管理側に属していたようではあるが、だからと言って事情が分からない段階で正直に名乗り出ても、彼女の立場が良くなるとは限らない。
かといってその辺の事を調べずに水面下で問題が進行してしまうような事も避けたい。だから……しっかりと状況を見極めてから動くべきだろう。
真っ直ぐ進むよう促された亡者達と共に進めば……ようやく都市の内部に入る事ができた。まずは周辺に同化するようにして姿を隠し、都市内部の状況確認に努める。
薄暗い街並みだ。枯れ木や古めかしい石造りの建物があり、遠くの通りを亡者達や冥精達が行き来している。フードのついた衣服を纏っている亡者が多いのは……生前と変わってしまった自分の見た目を気にする者が多いから、という事らしい。
それに、あちこちに骨が転がっているな。骨塚のように山と積まれている場所もあった。
『あれらの骨は半霊体の抜け殻のようなものだ。未練や執着から解き放たれて器を必要としなくなった者。魂が薄れ、漂白された者。そうした者達の器が残る』
「何も入り口に骨塚を作らなくても良いような気もするけれど」
『門の近辺に置かれる理由もある』
クラウディアが言うと、デュラハンがそう答えた。
あちらこちらから嘆くような声やすすり泣く声があって。骨塚が作られるのもそれが理由であるらしい。
膝を突いたり顔を覆ったりして嗚咽を漏らす亡者達の声。傍らにはレイス。亡者達を見つめながら静かに佇んでいるが、レイスはどうやら説明する役も担っているようだ。
簡易の審判を終えて都市内部に入ると、次第に干渉の影響も抜けて自意識が戻ってくるらしい。そうした者達はレイスから説明を受けたり、周囲の状況から自分の死を理解し、ああして嘆いたりするとの事だ。
『だから、都市の正門は嘆きの門と呼ばれている』
と、デュラハンが通信機に打ち込む。嘆きの門か。状況から見ると確かにな。
ここで嘆いている亡者達も……次第に状況や冥府のルールを受け入れて、街の奥に向かうらしい。流石に亡者達としても門の近辺で新参の亡者が嘆いているのを見ていたくはないようで、だから抜け殻も嘆きの門近辺に集められたりするわけだ。
ともあれ……内部への潜入は何とかなった。死者の国故に色々馴染みのない光景が広がっているが、それでも亡者達は生前の暮らしを模倣して日々を過ごしているとの事だ。情報収集も期待できる状況になってきた。このまま調査を続けていくとしよう。