番外920 冥精と記憶の断片
「精霊の力が濃くて分からなかったのですが……ここは私がいた場所とは、確かに違っているようでありますね……」
と、ランパスは周囲の状況を感知しながらそう言って……今の状況を飲み込んでいるらしかった。
「大分弱っていたようだし何が起こるかも分からなかったから、出現した場所からここまで移動する事にしたんだ。帰れる状況ならその手伝いもするけれど……まずは――自己紹介をしようか」
そう言うと……ランパスは頷いて立ち上がろうとするが、その動きを手で制する。
「まだ病み上がりなんだし、そのままでいいよ」
そう言ってから、俺の方から自己紹介する。
「俺はテオドール=ウィルクラウド=ガートナー=フォレスタニアって言うんだ。現世の事を知っているかは分からないけれど、ヴェルドガル王国フォレスタニア境界公領の領主って事になるね」
「人……。あ、いえ……。てっきり高位精霊のお一人かと……失礼な反応をしてしまったであります」
俺が答えるとランパスは驚きの表情を浮かべて言った。
いやまあ……別にそれは構わないが。苦笑を返しつつも何はともあれという事で、みんながランパスに自己紹介していく。
ランパスとしてはこちらの人数が多いので名前を覚えるのが大変だろうけれど、しっかりと覚えようと耳を傾けているようだ。
というか口調もそうなのだが、精霊らしくないな。宮仕えをしている者もいると聞いたが、そういう背景があるのだろうか?
冥府は人の魂……人格に関わる事が多いから、精霊の性格も人間に近かったりするというのはあるのかも知れないが。
俺達の自己紹介が終わったところでランパスも立ち上がる。
「私の名前――名前は多分、リヴェイラであります」
「多分と仰いますと……」
「その……まだ記憶が曖昧で、さっきから思い出そうとはしているのでありますが……」
グレイスが首を傾げると、リヴェイラは眉根を寄せて俯く。なるほどな……。
オウギには言葉の真贋を見分ける魔道具が組み込まれているが、こちらにも変化は見られない。本当の事を言っていると見て、間違いは無さそうだ。
というか、あんなに弱る程のダメージを受けたのなら記憶喪失のような状態になっても無理はない。
「無理はしなくていいよ。覚えている所から話してくれるかな」
リヴェイラはやや申し訳なさそうな表情で頷くと、曖昧な記憶を辿る様にしてぽつりぽつりと話し始める。
「残っている記憶としては……逃げろ、リヴェイラ、と。多分ですが、私の事を呼ぶ声が強く記憶に残っているのであります。私がその声に振り返った時――白い光が膨れ上がっていて……気が付いたらこの場所にいたであります」
それは……新しい記憶で間違いなさそうだ。その白い光によって現世に吹き飛ばされたのか、それとも名を呼んだ誰かが彼女を避難させたのか。或いは既に逃げようとしていた状況で最後に見たものがそれ、ということも考えられるか。
そもそもその白い光というのもな。自然現象なのか事故なのか。或いは人為的に引き起こされた物なのかも……今の話だけでは何とも言えない。
だが……そういった形で現世に飛んできたとなるとな。
リヴェイラが現世に飛んできた事自体は、その白い光を受けて偶発的なものだったとか、或いはやむなくそうなったという可能性が高い。
爆発事故のような切羽詰まった状況で、その場からいなくなった者を正確に追跡して、追手をかける……というのは中々に難しいというか。
冥府の死者は自由に現世に来られるわけではないし、精霊であるならば何かしら……依代や契約者といったこちらに留まる為の結びつきであるとか、相性の良い場が必要であったりするわけだしな。
それは俺個人としては少しだけ安心できる話かも知れない。俺達や母さん、ガートナー伯爵領やそこにいる誰かを狙っての動きがあったわけではなさそうだ。とはいえ……記憶が曖昧で途切れている事を考えると油断するべきではないか。
それに自然現象、事故や魔法実験の失敗などで終わらず、冥府に関わる異変であれば今後どう転ぶかも分からないからな。楽観視できる状況ではない。
「ん。他に覚えている事はある? 普段見ている景色、みたいなものとか」
「断片的でも、デュラハン達なら心当たりがあるかも知れないものね」
シーラが尋ねるとクラウディアが補足するように言った。その言葉を受けてマルレーンがランタンを差し出し、デュラハン達がこくんと頷く。
「これは?」
「幻影を映し出すランタンなんだ。記憶に浮かんだ物を見せてくれると嬉しい」
リヴェイラは「分かったであります」と頷いてランタンを用いて幻影を映し出していた。振り返った瞬間の、視界を埋め尽くすような白い光は――さっき言っていたものだろう。
音声の入らない幻影は淡々としているが……記憶の中でもホワイトアウトしてしまって背後にあったものが何か分からない、というのは痛いな。
最後に見た記憶と……それからリヴェイラが次に映し出した記憶は――もっと断片的なものだ。素材は青白くてよく分からないものの、宮殿か神殿のような石造りの建物の回廊を――飛行して移動している風景にも見える。回廊を抜けて扉を開けた所で、逆光に誰かの背を映して、振り返る寸前で記憶は途切れていた。
リヴェイラに逃げろ、と言った人物だろうか? 男か女か。死者か精霊かも分からない。それに続いて……幾つかの冥府らしき風景。
花の咲き誇る場所。枯れ木がまばらに生えた殺風景な岩場。対照的だが、どちらも冥府らしい光景と言える。
「思い出せたのは……このぐらいであります」
少し落ち込んだようにリヴェイラが言う。リヴェイラとしては思い出せる事が少なくて残念に感じているのだろうが……。
「いや。今までのやり取りと記憶からでも読み取れる事は多い。参考になったよ」
そう言うとリヴェイラは俯いていた顔を上げ、何かを期待するかのようにこちらを見てくる。
「さっきリヴェイラは、見た目よりも魔力でこの場所が普段いる場所と違うって判断していたみたいだからね。デュラハンの話を聞くと、自由に生きている冥精は地上の精霊と同じように気ままに暮らしているようだし、こういう建物には馴染みがあるって事だと思う」
「口調にしても……リヴェイラが一部の宮仕えをしているランパスだと思えば、さっきの光景と色々辻褄も合うというわけね」
ローズマリーが納得したというように羽扇の向こうで頷く。そうだな。何かしら高位精霊――性質としては管理者と呼んだ方が良いのか。彼らと関わりのある立場だったとするなら現地で情報収集しやすいとも言える。
あの白い光も、公的な場所なら目撃情報があるからすぐに分かるだろうとは思う。なければないで、普段人目が無い場所、と逆説的に言う事ができるし。
「デュラハンとガシャドクロとしては――ああした記憶に心当たりはある?」
尋ねると、二人は思案していたが、やがてそれぞれ通信機で教えてくれる。残念ながら、建物の記憶に関しては分からない、との事である。
デュラハンはあくまで地上を彷徨う魂を冥府に導いたり、死期が近い悪人を迎えに行ったりする役割なので、あまり深い階層に立ち入ることもないそうだ。
つまり先程の記憶からでは場所の特定をするのは難しい、というわけだ。東国出身のガシャドクロもまた、ああした建物は馴染みがなくて分からないという事らしい。まあ……冥府も地域によって違うようだし、リヴェイラも東国側のイメージが反映された場所から来たわけではない、という事ははっきりしたと思う。
他の光景――花畑は入り口付近の浅い階層、寂しげな岩場は冥府なら良くある景色という事で、やはり場所を特定するのは難しいとの事であるが、まあ、リヴェイラがこちらにやって来た経緯を辿るのは、一足飛びにとまではいかないものの、そこまで難しいものではないだろう。