番外919 冥府の在り方
ガートナー伯爵領の状況を監視している水晶板モニターについては――ティアーズ達やアピラシアの働き蜂達が24時間体制で監視任務についてくれているので何か変化があればすぐに知らせてくれるとして。
ランパスが眠っている間に、色々と話し合いを進める。仮に冥府において……実際に赴いて問題解決に当たる必要が出てきた場合、何か特別な準備が必要になるのか、という内容だ。
これについては、デュラハンとガシャドクロの見解が大いに参考になるだろう。
二人とも……冥府に出自を持つ精霊だからだ。
『まず、自分の知っている常世について話をする』
と、デュラハンが通信機に直接文字を打って教えてくれる。タイピングは不慣れな様子ではあるが、大事な事とはいえマルレーンを通して翻訳してもらうよりは自分が文字を打った方が良いだろう、との事だ。自分の頭部を胸の前において、通信機を見ながら両手で文字を打ってくれた。
デュラハンが言うには、常世は大きく分けて三つに分かれているらしい。
生前善行を積んだ者、或いは多くの人から慕われた善良なる者達の魂が向かう場所。
そこに流れて行った多くの魂は穏やかな時間を過ごすとされる。望むのであれば魂を漂白し、次の生へと向かう事も可能なのだとか。
死後に神格化した者、或いは祖霊、英霊等として祀られたりした者は現世との結びつきが強いので精霊界――常世の流れというか強制力のようなものが働かず、そのまま現世に留まって影響を及ぼしたりする事もあるという。
実例として、パルテニアラやグランティオスの慈母は神格化しているか。母さんも――そうなのかも知れない。月の民やネレイド族も祖霊を祀っているから……そうした実例の一つだろう。
一方でドラフデニア王国に出現した黒い悪霊のように邪法や執着や怨恨を理由に現世に留まってしまう例もある。こういう場合は回りに被害を出すようならアンデッドとして退治される事もあるし、鎮魂や慰霊等を通して本人が死を受け入れて改めて冥府に向かうというケースも多いようだ。
「天国、楽土、楽園……まあ地域によって呼ばれ方に差異はあるのでしょうけれど」
ローズマリーが顎に手をやって思案しながら言う。そういう場所で間違いない、とデュラハンとガシャドクロは頷いて応じた。
二つ目の場所は――善人でもないが悪人でもない、普通の暮らしをしていた者達。そんな者達の魂が流れ着く場所なのだとか。静かに死を受け入れ、魂達が漂白されていく場所……という事だそうな。
いずれにしてもまっさらに戻っていく、というのは変わらないか。システムとしてそうなっているというよりは、生物の普遍的な死後への想いを受けて精霊界がそうした性質を持った、という方が正しいようだが。
まあ……そうなってくると当然というか何というか、最後の三つ目の場所は地獄、という事になってくる。
重い罪を犯した悪人の魂が生前の罪を贖う場所で、そこには生前の罪の重さを量る高位精霊が存在しているらしい。同じ冥府の精霊というならデュラハンの場合は彷徨う魂の案内人としての役割を担っているし、ガシャドクロは死の世界への恐れが生み出した精霊であり妖怪だが……それと同様に裁判官――閻魔大王のような役割を担う存在もいる、という事なのだろう。
魂に染み付いた業と、本人の記憶や集合意識を元に功罪の軽重を量り、向かう先を決めるのだとか。罪の重さに応じて更に向かう先も変わってくるらしいが、デュラハンによれば温情を見せる精霊でもあるそうな。
生きる為に仕方なく犯した罪で、それを悔いる気持ちを持っているならば、殊更重い罰を言い渡すような事はしないとか。
そうなると……所謂奈落や地獄に向かうのは余程の悪人という事になるのだろうな。
『そうした階層には己の罪を認められず、生者を憎むようになった亡者も多いという。生身で向かうのは、そういう意味では危険かも知れない』
と、デュラハンが教えてくれた。亡者の種類も色々で、こちらで言うアンデッドが自然に徘徊しているような状況と考えればいいとの事だ。
まあ……確かに怨恨からアンデッドに変わった存在というのは生者を積極的に襲う傾向があるな。それらについては現世を彷徨っている霊魂が変質したものという事になるのだろうが。
「まあ……そういう亡者も、隠蔽魔法や偽装の魔法があれば目を誤魔化す事はできるかな。場所としては厄介そうだけれど何とかなると思う」
そう言うとみんなも安堵したような様子を見せる。例えば、冥府の精霊に似た気配を身に纏い、ウィズとキマイラコートに変装を手伝って貰えば生者である事は誤魔化す事も可能だろう。
ガシャドクロも教えてくれたが、ヨモツヘグイという概念もあるそうだ。常世の食べ物を食べてしまうと現世に戻って来られなくなるのだとか。
もしあちら側に向かうのなら、現世の食べ物を持ち込んでおいて、向こうでの飲食はしない、というのが賢明なのだろう。そうした説明にみんなも真剣な表情で頷いていた。
「とりあえず、向こうに渡る事は可能なのね」
『精霊に近しい力を持ち、ウロボロスによる魔力波長の制御ができるテオドール公ならば、我の力に同調して冥府に転移する事も特に問題はないだろう』
イルムヒルトが尋ねると、デュラハンが頷いて教えてくれる。
そうなると……移動の際には覚醒状態になっておく必要があるかな。必要に応じて双方向移動の補助的な魔道具を作るというのは有りかも知れない。セキュリティ回りはきっちりしておく必要があるが。
「ランパスさんは、どういった精霊なんですか?」
『冥府の環境から自然発生した精霊だ。基本的には自由に暮らしているが、その性質からより高位の精霊に使役される事もあるな』
アシュレイが首を傾げると、デュラハンからはそんな返答があった。
使役されて宮仕えのようになっている者もいる。と。
魂の行先を決める冥府の性質もあって、ランパスのように小さな精霊であっても冥精であるから死者に対して干渉力や強制力を働かせる事が可能なのだそうな。実際デュラハンもそうだしな。
そうやって冥府の性質や注意すべき事柄について話をしていたが……当人であるランパスがうめき声を上げて小さく目蓋を開いた。
「ああ、気が付いたかな?」
ルスキニアが嬉しそうな声を漏らす。
「ここ、は――」
と、掛けてあった毛布から抜け出すようにして上体を起こし、傍らで容態を診ていたティエーラ達に気付いて驚いたような表情を浮かべる。
「え、ええ? こ、この場所は……? わ、私は一体、どうなったでありますか……!?」
何というか、中々特徴的な口調のランパスであるが。やや混乱している様子だ。立ち上がろうとして、まだ回復しきっていないのか、身体がふらついている様子であった。ティエーラはそんなランパスの身体をそっと支えて、安心させるように微笑む。
「大丈夫ですよ。この場所にはあなたに危害を加えようとするような者はいませんので、安心して下さい」
「は、はい」
と、ティエーラの言葉にランパスは緊張しながらも答えていた。少し脱力したように寝具の上にぺたりと座り込んで、それから少し自分の体調を確かめるように手を握ったり身体に触れたりしていたが、やがて大丈夫というように顔を上げて頷いた。
「大丈夫かの?」
「大丈夫であります。その……まだよく状況を飲み込めてはいないでありますが……お話ぐらいはできると思うであります」
プロフィオンが尋ねると、ランパスが答える。
「驚かないで聞いて。ここは現世で……あなたは、とあるお墓に現れたの」
コルティエーラも静かな口調でランパスに伝えていく。
「現世……でありますか……?」
ランパスはコルティエーラの言葉を反芻すると、やはり、驚いたような表情であちこち見回していた。現世に飛んできたのは、当人としては思いもしない出来事という事なのだろうか。まだ分からないばかりなので病み上がりで無理をさせない程度に聞き込みをしたい所ではあるが……さて。