157 女神シュアス
まず食事を済ませて、居間に移動する。
みんな揃ったところで、クラウディアがぽつりぽつりと口を開いた。
「私が知っていることを話すわ。……昔。ずっと昔にね。この大地は大きな災害に見舞われたの。私が生まれるよりも前の話よ」
「災害?」
「魔力嵐――。多くの生き物が死に絶え、生き延びたのは魔力に高い耐性を持ったものだけと言われているわ。だから魔物はより凶暴化し、暴れ回るようになった」
それは……どれほど昔の話なのか。魔力嵐なんて話は聞いたことが無い。BFOでも無かった情報だ。
「凶暴化した魔物や魔力嵐から逃れるために、地下に潜って生き延びた者もいるけれど……ともかく、一度地上は壊滅したと考えてくれていいわ」
「では、迷宮を作った……クラウディア様と関わりのある方も地下へ?」
そうだな。だから迷宮が作られたという流れはある程度納得がいく。
だがグレイスの問いに、クラウディアは首を横に振った。
「いいえ。彼らがいたのは――月よ」
クラウディアは一瞬言い淀み、そして口にした。
月――。月か。だから……太陽神ではなく、月の女神だと?
「かつて月より地上を支配した月の民。けれど月の民もまた、地上が無ければその暮らしが成り立たなかった。だからこそ、壊滅した地上と人々の暮らしを再生させる役割を担う者が必要だったの」
「それで、女神シュアスが地上に来たと?」
「……正確には、後世で女神と呼ばれるようになったのね。どういうわけか神格化されてしまったのよ」
クラウディアは苦笑する。シュアスと迷宮の関わりを、否定しなかった。
「あなた達がタームウィルズ大迷宮と呼んでいるものは……月の民を核とし、組み上げられた術式に従って動き続ける月の船だわ。シュアスはその意志により、迷宮全体の方向性を決定するの」
迷宮――月の船が地上再生の役割を担うというのは分かる気がする。
膨大な魔力を集め、様々な物資を合成して供給し続ける迷宮。それは明らかに、その地に住まう者達のために作られたシステムだろうから。
魔力を集めることで世界を浄化し、船の周囲に居住空間を整備する。そして物資の供給までを一手に担っているわけだ。
魔物と戦いの中で迷宮に入った者を鍛え上げる機構。それは破壊された世界で人間を庇護しながらも、魔物との戦いを生き抜く力を与えるために……だろうか。
迷宮の目的。それは人間社会の再生と強化でもある。魔人に人間社会を破壊されるのは目的に反するというわけだ。だから――クラウディアは魔人との戦いに力を貸してくれている。
「迷宮に魔物が出るのは? 物資の供給と防衛だけなら、戦わなきゃならないのは意味がない。確かに迷宮内で戦闘すれば成長しやすくなるけど、戦闘訓練であるっていうのも……少し違う気がするし」
「あくまでも魔物との戦闘訓練のために作られたものではあるのよ」
クラウディアは目を閉じて、嘆息する。
「魔物は、戦闘訓練区画のみに発生するようになっていたわ。けれどある日、迷宮そのものの管理権を手に入れようと深奥に侵入を試みた人間がいてね。その人間はラストガーディアンにより排除されたけれど……その戦闘の余波なのか、侵入者の改竄なのか、術式に齟齬が生まれた」
そうして、迷宮全域に魔物が湧き出るようになってしまったと。クラウディアは語る。
更に悪いことに、戦闘訓練用の魔物は迷宮核として縛られるシュアスの、不満や怒り、絶望といった負の感情を吸い上げ破壊衝動に転化して発散させる役割を持たされていた。
迷宮が正常に動いている限り、戦闘訓練の形で鬱屈を発散できるというのは有効で、合理的だったのかも知れない。世界再生は膨大な時間がかかる仕事。迷宮と主の心身を健全に保ち続けるための機構でもあったそうだから。
世界再生の役割を終えれば戦闘訓練の必要も無くなり――やがてシュアスも解放される――はずだった。
……なるほどな。迷宮の真実など、おいそれとは話せないわけだ。深奥への侵入を拒む理由だって解る。
「最奥の間に通じる道は月光神殿と共に塞がれて……ラストガーディアンの警戒態勢も解けないまま。辿り着いたとしても、あれは近付く者全てを殺して回るわ。道が封印される前に、私も何度も侵入を試みたけれど、器を破壊されては再生してを何度も繰り返した」
それは、迷宮が健在である限り、クラウディア自身もほとんど不死に近いというのを意味しているだろうか。
「そのうちに、最奥の間への到達は諦めたの。私が絶望に囚われれば囚われるほど、迷宮の魔物達も酷く暴れるから」
「それはつまり……クラウディアが女神シュアスということで合っているのかな?」
「……ええ」
クラウディアは観念したように、目を閉じてはっきりと頷いた。皆が、息を呑む。
ガルディニスはクラウディアを指して、迷宮の主と言った。そしてクラウディア自身も眷属というにはあまりシュアスを敬っているようには見えない。
クラウディアの態度や普段の言い回しもそうだ。クラウディア自身がシュアスだとするなら、事あるごとに自分などと卑下していたことがぴったりと嵌ってくる。
「正確には船の管理権を持つ……月の民の王族、シュアストラス家の者よ。だから私などが女神なんて呼ばれるのは、おこがましいことだわ」
クラウディアは自分の罪を告白するように、言う。
自分を責めているのは――間違いないのだろう。迷宮の魔物が人を傷付けることを、気に病んでいたから。
「こんな話を聞いたうえで……私に協力してくれる気に、なる? 私の心が強くあれば、迷宮に湧き出る魔物達だってもっと大人しくなるかも知れないのに。迷宮の村の住人だって……私がもっとしっかりしていれば……」
クラウディアは視線を落として呟くように、言う。
「俺の考えは、前に言った通りだ」
言うと、クラウディアは目を見開いて顔を上げた。
前にクラウディアに言った言葉は、変わらない。何も。
迷宮の核であり主。とは言っても、それは迷宮を維持するために必要なもので。
迷宮に魔物が作り出されること、魔物の動きそのものをどうにかすることは、恐らくクラウディアにもできない。その責を、彼女に求めるのは違う。
迷宮の成り立ちも、クラウディアの在り方も否定しない。
必要なことだったから、クラウディアが引き受けた。だけど、裏切った馬鹿がいた。それをどうにかしようとして力及ばず。そのことを悔いている相手に、俺みたいに生きている奴が何を責めろというのか。
迷宮村のことだってそう。制約の多いクラウディアにできる範囲で村の住人達を保護しようとしていただけだ。
「クラウディア様は――やはり女神様だと思います」
イルムヒルトが言うと、みんなが頷いた。
「お一人でずっと戦っていらしたのですね」
「貴族として……尊敬に値する行いだと思います」
グレイスとアシュレイが言う。
マルレーンがクラウディアの手に触れた。
「クラウディアさま。そんな悲しそうなお顔しないでください」
「イルムヒルトを守ろうとしてくれた。そのことに感謝してる」
「うん。元気出して」
シーラも、セラフィナも。クラウディアを否定する者はいない。
「ありがとう……」
クラウディアは俯いて目を閉じる。その頬に涙が伝った。
さて……。問題を根本から解決する方法は何か。
ラストガーディアンの破壊か。齟齬を起こした術式の再構築か。
クラウディアが求めるものは、あくまで村の住人達の生きていける場所を作ることだ。ラストガーディアンの破壊などという危険な行為までは、俺達に望みはしないだろう。
それでもだ。迷宮が正常に動き出し、クラウディア自身が迷宮から解放されれば。それらの問題も、クラウディアの悩みにも。全てにケリがつく。
月光神殿の、更に奥……か。




