番外882 月の欠片
「――ああ、待っていましたよ、テオドール公」
「これは、オーレリア陛下。お待たせしてしまったようで」
「いえ。私はソムニウムに詰めていただけですから」
一礼するとオーレリア女王はそう言って小さく笑って応じる。
シルン伯爵領の魔力送信塔から月へと飛ぶと、月の離宮ソムニウムには既にオーレリア女王がやってきていた。
グレイス達は――今日は留守番だ。月は重力等、環境がかなり変わるから一緒にというのは少しばかり心配だったというのもある。オリハルコンを受け取って戻るだけなので、まあ大きな問題もないだろう。
その代わり、水晶板モニターを用意してみんなと話をできるようにしてあるし、護衛として動物組や魔法生物組が一緒だ。カドケウスとバロールは向こうで留守番中ではあるが。
「奥様達も元気そうで何よりです」
と、オーレリア女王はゴーレムに微笑む。頭部のあたりに水晶板モニターを組み込んであるのだ。こちらの映像、音声も向こうに中継できる。
『ご無沙汰しております、オーレリア陛下』
『ふふ、オーレリアも元気そうね』
と、ステファニアが一礼し、クラウディアが微笑む。少し遠巻きにすることでみんな一緒に映像に入るようにして、モニターから微笑んでいるグレイス達である。
「では、早速参りましょうか」
挨拶を終えたところでオーレリア女王が俺をソムニウムの奥へと案内してくれる。
「一度は月の民も眠りについて活動を縮小しましたからね。オリハルコンの精製に必要な設備も当時は機能停止しましたが……月の都から離れる際にソムニウムに移されました。ひとたび壊れて移設されたものとはいえ、伝統と歴史の分だけ、良いものが仕上がりますからね」
「確かに、魔法絡みの品はそうしたところがありますね」
ルーンガルドでは時を経て歴史を積み重ねる事でより性能を増す、というような事例が報告されている。製造に携わった人々の想いが篭り、更に今の世代の者達からも伝統や歴史のある代物と見るから信仰に近い感情を向けられる。
地上と断絶された月の民は将来の為の存亡をかけ、当時の月の総力、資源を結集させて月の船を建造した。
迷宮核については……元々月の都に在ったいくつかの資源生成装置の一つに改修を施したものであったらしい。
生命を生み出す力――ルーンガルドからの魔力供給がなければ大型の資源生成装置も能力に見合ったものにならない。生命体の魔力で稼働させる事は可能だが――月の民達からの魔力供給だけでは大型装置本来の力を発揮し切れず、宝の持ち腐れだった。だからこそ地上の再建用として白羽の矢が立ったわけだ。
そうして、ソムニウムの回廊を進んでいくと大きな石の門の前にやってくる。オーレリア女王がレイピアを手にして、目の前で構えると門に光が走って、石と石が擦れるような音を立てながら左右に開いていく。なるほどな。オリハルコンのレイピアが鍵になっているわけか。
「この場所は――秘匿性の高い物の保管庫になっていて、普段は閉ざされています。オリハルコンを精製する設備等もここにあり、有事の際の避難所としても機能します。この場所なら安全ですから」
と、扉が開いたその先にはまだ回廊が奥まで続いており、幾つかの部屋が連なっているようだ。
『宝物庫や禁書庫のようなものかしら』
「ええ。その他にも秘匿したい技術が使われている設備も収められているわ。月の精霊様と交信する魔道具も、一時的にこの場所に運び込んであります。受け渡しに際してお話をしたいとの事ですので」
と、ローズマリーの呟きに答えるオーレリア女王である。そうして通された場所は床から壁、天井に至るまで魔法陣の描かれた広間だった。中央に長方形をした物体が据え付けられている。広間の隣に通じる部屋があるようで、そこから強い魔力反応を感じる。
『こんにちは、また来てくれて嬉しいわ』
広間には先程オーレリア女王が言っていた通り、月の精霊との交信設備が置かれていた。月の精霊が微笑み、ご先祖様達が嬉しそうにその背後で明滅している。
「こんにちは。皆さんも元気そうで安心しました」
『ふふ、魂の自分達が元気と言っていいのか疑問だなと、みんなが笑っているわ』
そう返答すると月の精霊が楽しそうに笑ってご先祖様達の言葉を翻訳してくれる。その言葉に俺も小さく笑った。
水晶板越しにグレイス達も挨拶したり動物組や魔法生物組も手を振ったりお辞儀したりして。ご先祖様達はまた明滅して応じていた。
さて。挨拶も終わったところで、改めて設備を見やる。周囲の魔法陣の働きや設備の形状を観察すると、どういうものなのか何となく見えてくる。
「たたら場……? あれは炉でしょうか?」
「そうです。オリハルコンを精製するために必要な設備ですね。まあ……地上からの魔力供給がないと動かしても維持するのが大変なのですが」
魔力送信塔があるから今は問題無く動かせるというわけだ。
ふいごの代わりに魔法陣。精錬する為の炎は魔力の炎といった所だろうか。ウロボロスに組み込まれたオリハルコンは対話したからこそ鍛えられたわけだが、原石から形にするならばこうした設備が必要になるのだろう。
「例の物はこっちに」
オーレリア女王は隣の小部屋に案内してくれる。
強い魔力は隣の部屋から――オリハルコンの魔力波長だな、これは。ウロボロスを通して共振するような感覚がある。
隣の部屋を覗くと、台座の上に金色の輝きを放つやや縦長の八面体の物体が浮かんでいた。大きな――オリハルコンの塊だ。精製して形を整えただけで対話を経ていないので術式を組み込んだりといった機能を持たせたりは出来ない状態だが……それでも相当な魔力と膨大な容量を保有しているのが分かる。
『凄いですね……』
『オリハルコンか……。綺麗だわ』
アシュレイが目を丸くし、イルムヒルトも頷く。
「どうぞ、受け取ってください」
オーレリア女王がオリハルコンに手を翳すと燐光を放ちながらこちらに流れてくる。こちらも受け止めるように手を翳すと、オリハルコンは空中に留まる。
「確かに、お預かりしました」
そうしてそのまま、オリハルコンの塊と共にたたら場に戻る。オリハルコンの塊は……何というか対話の場所に連れて行って欲しいというように、俺に追随してくる。
「しかし……これだけの量を確保するのは大変だったのでは?」
「精製前の鉱石も……管理の意味もあって蓄えてありましたからね。そうでなければ月の精霊様のお力を借りる事になっていたかも知れません」
『ふふ。オーレリアも義理堅い事ね』
月の精霊に一度起きてもらい、新たに月の鉱脈を活性化させてオリハルコンの原石を生成する……。月の精霊としても管理する月の民としても新たな鉱脈ができてしまうような事態は避けたいだろうしな。
「では――このオリハルコンは責任を持って魔界に届けます。ジオと共に対話し、魔界を安定させるという正しい目的の為に役立てると誓います」
そう伝えると月の精霊とオーレリア女王は真剣な表情で静かに頷いた。
『ええ。欠片をよろしくお願いするわね』
「魔界の迷宮……出来上がりを楽しみにしていますよ」
ジオグランタと共に対話を終えた後……このオリハルコンを迷宮核にする過程に関してはまあ、既存の迷宮核と連動させて制御術式回りをコピーしてやればいい。現管理者であるティエーラの許可があれば可能だ。
まあ……魔界側に設置してからも色々と初期設定や調整が必要なところはあるが……その辺は何とかなるだろう。
そうして俺はオーレリア女王と月の精霊に見送られる形で、同行者やオリハルコンと共にルーンガルドへと帰還したのであった。
いつも拙作をお読みいただきありがとうございます!
コミカライズ版境界迷宮と異界の魔術師第6話が配信開始となっております。
詳細は活動報告にて記載しておりますので楽しんで頂けたら幸いです!