番外868 術に込められた想いは
「相変わらず綺麗な場所ですね」
「それに、良い天気です」
グレイスが砂浜を見て微笑み、アシュレイが背伸びするようにして心地良さそうに大きく息を吸い込むと、マルレーンもにこにこしながら手を広げて深呼吸する。まだ暑くはないので爽やかな空気だ。
「こんな場所があったのですね。静かで素敵です」
エレナも入り江の様子に上機嫌そうだ。
海側に向けて搭乗口を開き、みんなで砂浜に出て、少しの間ゆっくりとさせてもらう事にした。大型ポッドの試運転や離着陸が目的だが、折角ここまで来たわけだし、工房の仕事の合間のちょっとした息抜きといったところか。
土魔法で砂を固めて一時的な日除けとテーブルと椅子を作ったところで、改造ティアーズ達がポッドからティーセットを運んできてくれた。
「ありがとう」
と、礼を言うとティアーズ達が身体を傾かせて頷くように返事をする。
そんなティアーズ達の動きに、みんなも表情を綻ばせる。ティールも海を見てややテンションが上がっているようだ。
「良いよ。少しの間のんびりするから泳いできたらいい」
そう伝えると、ティールは楽しそうに声を上げて海へと走って行った。うむ。
「ん。魚がいたらよろしく」
シーラが言うとティールが海面に顔を出し、フリッパーを振って応じる。シーラとしては滞在時間の都合上、今日の所は釣りまではしないという事だろう。釣りはじっくりと焦らずがシーラのスタイルらしいので。
「僕達は軽くその辺りを一周してこようかな」
と、アルバートが背伸びをしながら笑う。大型ポッド開発もこれで一段落だからな。割と開放的な気分になっているのかも知れない。
「それじゃ、ティアーズを護衛に連れて行くと良いよ。まあ、見える範囲は生命反応を見ても魔力反応を見ても、安全だと思うけど」
「ああ。ありがとう」
「では少し行ってきますわね」
そう言って、ティアーズと砂浜の散策に行くアルバートとオフィーリアである。オフィーリアはアルバートと腕を組んだりして……二人の仲も相変わらず良好なようだな。
そうしている内にコルリスとアンバーが貝殻やら蟹やらを砂の中から見つけ出して集めてきたり、ティールが魚を氷の箱の中に閉じ込めて持ってきたりもして……。
砂のソファに腰かけてお茶を飲む時間は賑やかながらものんびりとしたものだ。
そうしてイルムヒルトの奏でるリュートとセラフィナやカルセドネとシトリアの歌声を聞きながら暫くの間の息抜きをさせてもらうのであった。
工房の仕事やヘリアンサス号の航行も順調で……俺も改めて幻影劇場の仕事に着手する事になった。例の親子連れ向けの童話詰め合わせセットだ。
今までの幻影劇場は歴史を基にしたものを作ってきたが、魔物も登場するし戦いもあるので小さな子供が鑑賞するのは向いていないと思っている。幸いタームウィルズとフォレスタニアは冒険者が多いので人気もあるが、折角シネマコンプレックスにして上映場が余っているのだ。色々な客層を呼び込めるならそれに越したことはない。
童話だけでなく昔話等も混ぜたりしている。他の幻影劇と同じぐらいの時間で一周する短編集となる予定だ。短編集となると、導入で状況説明をしたりという事が多くなるので、ナレーションが便利だ。なのでみんなにそれの録音を協力してもらう。
よくある昔々あるところに、という部分だとか後日談を語ったりする部分だな。
みんなも割と楽しそうにナレーション役をやってくれた。子供向けという事もあり、みんなの語り口や声色、表情も優しいもので……それを間近で聞いたり見たりできるのは俺としては役得である。
「ふふ。子供が生まれたら童話や昔話も読んで聞かせてあげたいところね」
ステファニアはナレーション役の収録が一段落したところで微笑みを見せる。
「そう考えるとその時に向けての練習にもなるかも知れないわね」
と、ローズマリーが小さく笑う。まあ、ローズマリーは実際演技も得意なので読み聞かせも得意分野ではあると思うが。
「何かしらの役もやってみる?」
「そうね。このお話の魔女あたりには自信があるわよ」
そう言ってにやりと笑うローズマリーである。この辺の好みは変わらずといった雰囲気であるが。
そんな調子でみんなと一緒に諸々の仕事を進める日々を送る。春も過ぎ、段々と夏らしい気候になってきた頃合いの事だった。
シーラとイルムヒルトは水晶球で自身の状態を確かめるのが朝の日課になっているのだが……。
「んー。それじゃあ見てみるわね」
そう前置きしてイルムヒルトが水晶球に触れると光って反応を示したのだ。イルムヒルトは少し驚いた表情で、何度か水晶球にタッチする。それに合わせて明滅する水晶球を見て、みんなが喜びに沸いた。
「んっ、おめでとう、イルムヒルト」
「おめでとうございます……!」
「おめでとう!」
と、みんなから拍手と祝福の声があがる。おお……。ローズマリーに続いてイルムヒルトも。
「マリーの時から少し間があったからかな。光るとやっぱり嬉しいな」
いつも光るのが突然だからというのもあるが……こうして光った時に俺やみんなの間に喜びが広がっていくのが……とても嬉しく感じる。
「うんっ。私も嬉しいわ……!」
イルムヒルトも水晶球を机の上に置くとにこにことした屈託のない笑みを浮かべて両手を広げて抱きついてくる。イルムヒルトは穏やかで朗らかな性格だが、感情表現をする時は素直というかストレートだ。真正面から抱きしめられて柔らかな感触に顔が半分ほど埋まりそうになる。
「っと……サンドラ院長達にも知らせないとね」
少しの間抱擁した後でそう言うと、イルムヒルトは笑顔のままで頷いた。そうして抱擁の後で耳と尻尾で喜びを露わにしているシーラとハイタッチをしたり、マルレーンとにこにこ抱擁しあったり、クラウディアに抱きついて髪を撫でられたりと、イルムヒルトはかなり楽しそうな様子だ。
「ん。後は――私も続く」
拳を握って気合を入れているシーラである。そうだな。うん。
「人化の術はどうするのがいいのでしょうか?」
少し落ち着いたところでエレナが首を傾げる。
「封印術もだけれど、迷宮核の試算だとどっちでも大丈夫ではあるみたいだよ。ただ、解除しておいた方が体調や体力的に楽とか、そういうのはあるかも知れない」
「んー。それなら、テオドール君が迷惑じゃなければ人化の術を解いておこうかしら」
「それで良いと思うよ。迷惑なんてことはないし、俺としても安心できる」
そう答えるとイルムヒルトは笑顔で頷いて、人化の術を解いていた。やはりラミアの姿でいるのが楽なのか、それとも単純に嬉しさから気分がいいのか。心地良さそうに腕や尻尾の先を伸ばしたりしているが。
イルムヒルトと結婚するにあたり、人とラミアの子供についても調べたが……男の子だと人間かナーガが半々。女の子だとほぼラミアとして生まれるそうだ。
異種族間で子供が生まれるというのも冷静になると不思議な話ではあるけれどな。まあきちんと水晶球も反応したのでよしとしよう。
因みに人化の術と懐妊については各地で人化の術を用いたまま子を成したという逸話もあり、解除しなくても子供がきちんと生まれたという実例はあるようで。
みんなにも言ったが迷宮核でのシミュレーションでも大丈夫だったしな。その辺に影響を与えないように最初から術式が組み立てられているところを見るに……人化の術を編み出した者も、人と一緒にいる為に術を考案したのかも知れない。まあ、魔物で人化の術が使えればどの種族とでも、というわけではないようだけれど。グレイスの指輪に刻まれた封印術の基も母さんが生活の為に作った物だしな。
「そう考えると……素敵な話かも知れないわね」
「本当に……。私もリサ様にいつも助けられているのを感じます」
人化の術や封印術についてそうした考えを口にすると、クラウディアが微笑んでそう言った。グレイスも指輪に触れて、穏やかな表情で目を閉じるのであった。