番外852 昼に見る月
歌劇場では月の歌姫ダリアと子供達の合唱団による公演が行われた。
ダリアについては月でも指折りの歌唱力を持つとオーレリア女王が言っていたが、この辺は流石というか。かなり音域が広くて歌唱の技法が幅広い。ラミアやハーピー、セイレーンは生来音楽センスがあるが、そうした種族を除いた中では技量は随一かも知れないな。
イルムヒルトにとっても良い刺激になっているようで途中でうずうずしているのが分かったというか。
合唱団もかなり練習を積んだようで、それぞれのパートで音階を合わせ、聴いていて心地の良い歌声を披露してくれた。
ダリアと合唱団は更に合同で合唱を披露し……子供達の歌声をダリアが合いの手を入れるようにフォローしたり、ダリアの歌声のバックコーラスを子供達が行ったりと、それぞれを補い合うような公演もしてくれた。ダリアも楽しげで人柄の良さが窺えると言うか。
そして……公演が終わった後でオーレリア女王がお互いを紹介してくれた。
「初めまして。名高き境界公と奥方様達……尊き姫君様にもお目通りが叶い、歌を披露できて、大変うれしく思っております」
「こちらこそ。ダリアさん達の歌声は聴いていて心地良かったですし、技量も凄かったです」
「ふふ。境界劇場のお噂は耳にしております。そんな皆様方の刺激になれば私達としても嬉しいですよ」
そんな風に挨拶をしてから歌劇場も貸し切りに近い状態だったので、俺達とダリア、合唱団の子供達でそのまま舞台上で話をさせてもらう。
「もしお時間があればでいいのだけれど……ダリアさん達と、もっと音楽の話をしてみたいわ」
「ああ。それは嬉しいです」
イルムヒルトが言うとダリアも表情を綻ばせる。そうして交流の時間となった。イルムヒルトがリュートを奏でるとダリア達が少し驚いた顔をした後で歌声を響かせる。素朴で安心するような音色で……それに合わせた歌声も先程のような本格的なものというよりは、どこかほのぼのとした優しげなものだった。
「月の民の子守歌をご存じとは」
「これは――クラウディア様に習ったものなの」
イルムヒルトが言うと、ダリア達は納得したというような表情を見せる。
「ずっと離れている場所でお互いに伝わっていたというのは……何というか素敵ですね」
と、ダリアが表情を綻ばせる。
「ん。前にもそんな話題が出た」
「ハーピー達やセイレーン達の集落でも迷宮村と同じ楽曲があれば系譜が分かるかもっていう話だね」
シーラの言葉に頷くとダリア達は興味深そうにしていた。実際、他の種族の集落にも同じ旋律の曲が伝わっていたという事例も交流の中で確認していたりするが。
かつて迷宮村に避難した部族と関わりがあったとか、魔力嵐が落ち着いた後になって迷宮村から出て行った者達の末裔であるとか、その辺りだろうと推測されるが。
そうして同様に月に伝わる曲を何曲か合わせたり、迷宮村の他の種族に伝わる曲を聴かせたり、魔力楽器を一緒に演奏したりして、ダリア達と音楽交流の時間を過ごすのであった。
ダリア達とはまた後日、ドミニクやユスティア、シリルを交えて話をしようという事で約束を交わした。今度は彼女達がルーンガルドを訪れてくる事になりそうだ。
迷宮村やハーピー、セイレーンの集落の面々とも話の合いそうな印象だったし、貿易等はあまり大規模では行えないが、文化交流は歓迎だとオーレリア女王も笑っていた。
そうして……月のあちこちを訪れたり、夫婦水入らずの時間をのんびりと過ごしたりして、月での新婚旅行を満喫させてもらう。
地上と通信もできるので異常がない事も執務が順調な事も把握できて……心置きなくみんなとの時間や月の観光を楽しませてもらった。
メギアストラ女王は執務もあるので一足先に帰る事になり、みんなでソムニウムまで見送りに行き……そこから更に数日の滞在を経て、俺達もルーンガルドへ帰る日がやってきた。浮石で地下道を通りソムニウムの転移門に向かう。
「滞在中はお世話になりました。色々と僕達に合わせて準備を進めて下さった事もそうですが、丁寧な案内までして下さって感謝しています。お陰様で滞在中は楽しかったし、居心地も良かったですよ」
「ふふ。折角の新婚旅行だものね。楽しいものになったのであれば私としても幸いです」
俺の言葉にオーレリア女王が微笑むとマルレーンやエルナータがにこにことしながら頷き、みんなも微笑ましそうな表情になる。
「本当に……思い出深い新婚旅行になったと思います」
「私にとってもそうですよ。懐かしい顔触れに会えて……嬉しかった」
エレナの言葉にオーレリア女王がそう言うと、クラウディアも口元に穏やかな笑みを浮かべて目を閉じる。
「そうね。父上や母上にも会えたし、月の精霊と、私達がこの地に来た経緯も分かった。これからの事も楽しみだわ」
夢の世界と交信するための魔道具もこれから作る予定だからな。それが完成すれば月の精霊だけでなく、ご先祖様とももう少し気軽に顔を合わせられるようになるだろう。
ハロルドとシンシアにも仕事の補助用の魔道具を届けに行く約束もしているし……ヘリアンサス号もそろそろヒタカノクニに到着する頃合いだ。帰ったら執務をこなしつつ、開拓船や工房の仕事にも力を入れていくとしよう。
「ルージェントもまたね」
と、月面から採取した砂や石が敷き詰められた箱に収まるルージェントにエスティータが微笑みかける。ルージェントはこくんと頷いて、喜びを表すように振動していた。これからルーンガルドに向かうのが楽しみ、という事らしい。箱に魔石とレビテーションを仕込んでいるし、箱を移動させるためにメダルゴーレムも仕込んでいるので重力対策面でも当面は安心だろう。
「それではまた会いましょう」
「はい。またお会いしましょう」
そうやって言葉を交わし――俺達はシルン伯爵領の魔力送信塔へと転移門で飛んだのであった。
光に包まれて、目を開くと周囲に森と青い空が広がっていた。ルーンガルドに戻ってきたのだ。土の匂いと森の空気。ルーンガルドに降りるのは初めてなルージェントが、周囲を見回して目を瞬かせ、口をパカッと開いてから興奮したように身体を揺らしながら振動していた。
そんなルージェントの様子を見てアルディベラが笑い、そうしてしみじみとした様子で言う。
「いやはや、魔界以上に過酷な環境であろうに。あの地に基盤を築いて暮らしているというのは凄いものだな」
「妾達も苦労したものだが……月の精霊との約束を守ってのものというのは……正直妾からすると眩しく感じるものではある」
そんなアルディベラの感想に、パルテニアラも同意する。
魔界に飲みこまれたベシュメルクの前身……エルベルーレは王の失敗が原因だしな。そういう意味では大義がなかった、とパルテニアラは感じるところなのかも知れないが……それを言うならベシュメルクは建国の時点でエルベルーレ王のやり方を否定し、袂を分かっている。
「ベシュメルクの方達は――パルテニアラ様を眩しく感じていたと思いますよ」
パルテニアラは少し目を見開いてから穏やかに笑い、空を見上げた。
「――そう、だと良いな」
パルテニアラの見上げたその先には昼間に見える白い月が空に浮かんでいて。あの場所からこちらへ転移してきたのだと、何だか少し不思議な気分になる。
「私にとってもそうです。パルテニアラ様や私の師もそうですし、テオドール様も……えっと、その眩しいと言いますか素敵な人で……」
エレナは勢いに乗せて言ったが、途中で俺の事も言及しようとして少し頬を赤くして口ごもってしまう。そんなエレナの様子にみんなもくすくすと笑って、少しほのぼのとした雰囲気になった。
「ん。それじゃあ、タームウィルズに帰ろうか」
「はい……!」
俺の言葉にグレイス達……みんなが微笑んで頷く。そうして人数が揃っている事を確認してから俺達はタームウィルズへと飛んだのであった。
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コミカライズ版境界迷宮と異界の魔術師第5話が配信開始となっております。
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