番外843 地上に落ちた欠片は
「――大地に降り注いだ月の欠片の有用性が知られるに至り、彼らの周辺部族の間でも戦いが起こった。幸い先んじて有用性に気付いた彼らは戦いに巻き込まれながらも何とか切り抜けていた。そんな中で――彼らの中にいた一人の娘が月の欠片を通し、何らかの気配に気付く事となる」
みんなと共に古代文字を解読し、それを翻訳して読み上げていく。
解釈の違い、というのは起きない。碑文はかなり内容を伝えやすいように丁寧さを意識した文法と、文字の種類を判別しやすい刻み方をしてあった。構造強化に自動修復の術。念入りに状態を保全し、後世に伝える事を念頭に置いている様子だ。
その話に、みんなも真剣な表情で耳を傾ける。
「欠片から気配を感じたと語る娘は精霊と交信をする力に長けた巫女であり、私の妹である。そうして……私は妹と儀式を行い――その者の幻像を見て、声と想いを聴く事となった」
「精霊と交信……。なるほど」
エレナが目を閉じる。
月の欠片と繋がる存在が何であるか……気付くにはそれだけで十分に過ぎる。この碑文を記した人物とその妹である巫女は……精霊の力を感知してそれを触媒に交信を試みたのだろう。
彼女は想いを吐露する。そう。彼女は月そのもの。月を司る高位の精霊であった。
月の精霊は先だっての流星雨を引き寄せて受け止めたが、その結果として地上に降り注いだ自らの欠片で我らが相争う事を心苦しく思っていると語ったという。
月の精霊にとって――ルーンガルド――地上は生まれた時から近くにあって、互いに親しみを感じる存在でもあったという。
最も……碑文では地上の精霊達、となっているな。ティエーラそのものを意識したというよりは地上にいる精霊達全体を指しているようにも思う。
或いはティエーラの存在をぼかすために月の精霊か、この碑文を記した人物が、気を遣ったのかも知れないが。
碑文には地上の精霊達と月の精霊は司る力が違うのだろう、ともある。
地上の精霊達は生命を育む力と試練を与える性質を同時に宿す。月の精霊はまた違う力を持っていたけれど生命を育む力を持たなかった。だからこそ彼女はルーンガルドに生まれた命の輝きを見守るのが好きだったという。
地上の精霊達と月の精霊では、生命に対する見方や立場の違いがあったことは否めないだろうな。
地上の精霊達――特にティエーラにとっては生命種同士の戦いであれ、自分達に由来するかどうかに関わらず大きな災害であっても、様々な種がより強く育っていく事に繋がるのならと見守る立場だ。
だが、月の精霊にとっては、身近で活動するそれらの眩い輝きを、愛おしく感じるものであった。
「月の精霊によると、大きな隕石の飛来、というのは先だっての流星雨が初めてではないらしい。過去幾度となく起こったことで、虚無の海という膨大な空間を泳ぐ存在にとって、それは避けられない宿命でもあるらしい。生命にとっても、精霊達にとっても――」
それが原因で地上の生物が大量に減ったこともあるらしいと碑文は月の精霊から聞いた内容を記している。
地上の精霊は、そうした環境の変化すらも乗り越えて育って欲しいと願い……そして月の精霊はそれを悲しんだ。
だから月の精霊は流星雨に干渉して自らに激突させたのだ。月に隕石が落ちるのもよくある事。しかし、あるがままではなく、月面に露出していたオリハルコンの鉱脈が砕け、飛散して地上に降り注いで新たな戦いの火種になってしまった。
月の精霊は――知らなかったし、予想もしていなかったのだ。月の欠片……オリハルコンから力を引き出してしまえるような生命種がいる事も。そしてそれを使って誰かが誰かを苦しめる等と。
だからその事を……後悔しているのだと。火種を持ち込んだことを謝らせて欲しいと。そう月の精霊は言ったのだという。
一方で地上の精霊達はといえば……月の精霊が守ろうとしてくれた事を嬉しく思っている事が伝わってきたという。
オリハルコンが地上に落ちた事も、それもまた自然の流れの一つなのだろうと、あるがままを受け入れて、月の精霊を責めるような気持ちを伝えてきた事は無かった、と……そう記されていた。
「地上の精霊達と記されてはいるけれど……やっぱり、これは当時のティエーラなのかも知れないね」
「それは……ありそうね」
クラウディアは目を閉じる。
月の精霊に感覚で想いを伝えられる程大きな存在となるとな……。当時のティエーラは……まだ名前を持たず、コルティエーラと分離していない頃であったと思うが。
俺の見解を口にすると、みんなは静かに頷く。これについては……後でティエーラとコルティエーラに聞いてみれば良いだろう。
月の民と月の精霊の縁起に関する話だからな。碑文を残した人物が精霊を大切に思うのなら、地上の精霊に関心を向けないようにと注意されて書かれている、というのは有りそうな話だ。それを裏付けるように、碑文は続く。
「――私自身も争いを見るのは好きではない。地上の生物を慈しむ月の精霊の在り方を好ましいと思ったのだ。だから、月の精霊に申し出たのだ。月の欠片は世に出てしまった。知られてしまった。ならばせめて、より多くの命を助け、争いを収める為に使う事を誓おう。 そして月の欠片を正しい目的の為に使い、守る為に力を尽くし……そして貴女に寄り添おう」
それを聞いた月の精霊は喜び、その想いは加護となった。
そしてこの碑文を記した者と、それに賛同する者達と共に時間をかけて地上を平定し、ばら撒かれた月の欠片を集めたという。
月への初めての移動は、最初は集めた月の欠片を使っての転移であったらしい。
今では月の民の結界によって守られているから、転移をするなら魔力送信塔等を利用し、月側の許可を得なければならないが。
いずれにしても月の欠片――オリハルコンとしっかりと魔力の供給があれば月に住むための住環境を構築する事も可能だ。だから……月の加護を受けた彼らが実際に月に住み着く事を互いに望んだ。
「だからこそ、今我らは月に在る。加護と寵愛により我らは長命となり精霊に近しい存在となった。我らが月の欠片を心無き者から護る事も……全ては繋がっている。この碑文を目にしたであろう我らが末孫も、月の欠片を用いるなら我らと志を同じくする事を望む」
彼らが共に寄り添う事で月の精霊は安堵したそうだ。生まれは地上でも、彼らは月に寄り添い生きる事を選び……そうして月の精霊は碑文を残した「私」の老いと共に眠りにつくと言ったらしい。
月の精霊が起きていると、月の欠片を鉱脈により多く形成してしまうそうだ。それが月の精霊の、精霊として生まれ持った力でもあるらしい。だから産出量を少なくし、絶対量を把握しやすくすれば月の欠片を護りやすくなるし、それが地上の安寧にも繋がるだろうと、碑文を残した者――高祖と共に深い眠りにつくことを選んだという。
「僅かながら移り住んできた生命力が……月面にも影響を及ぼし、少ないながらも月に適した生物も生み出した。我らと小さな生物たち。眩い生命の輝きをすぐ側に感じて眠れるのなら、これほど嬉しい事はないと、彼女は――精霊は微笑む。だから……精霊の地脈に、共に寄り添い、眠る為の墓所を作るつもりでいる。我らの今日の繁栄と平穏。そして月の欠片が齎す恵みもまた、精霊の想いと共にあったことを忘れてはならない。精霊の安寧を守る為に広く語り継ぐ事は出来ないが……この想いが我らの子孫へ語り継がれる事を願っている」
碑文はそこで終わっている。繁栄と、平穏。それにオリハルコンが齎す恵み、か。確かにな。ウロボロスと共に俺の手にあるオリハルコンは……ぼんやりと暖かな波長で応えてくれた。俺の今までの使い方はそれに沿うものだったと、そんな風に伝えてくれているように思う。
「俺も含めてこの場所を知らせてくれた理由も……何となく分かる、かな」
オーレリア女王は王位継承が平時ではなかったし、俺もオリハルコンを持っている。迷宮管理代行という事もあるだろう。
月の欠片――オリハルコンの出自と共に月の縁起を伝えておきたかった、と考えれば……案内された事に納得はいくな。