番外836 月の都
「ガラスのようなもので覆われて……何だか温室を連想するところがありますね」
アシュレイが言うと、オーレリア女王はそれを首肯する。
「温室は近いですね。空気を外に逃がさないという目的もありますが、太陽の光を取り入れて内部を温め、夜間は熱を逃がさず……私達が暮らしやすい適度な環境を維持しているわけです」
更に近付いていくと、都の周辺にも小さな規模のドームが見えてくる。大きなドームと、アーチ状の通路で地上からも繋がっているようだ。
「あの小さい方は農場と牧場、かしら」
「そうですね。クラウディア様ならご存知だと思いますが――ああして小規模な施設を分ける事で、もしもの場合の避難所も兼ねているわけですね」
クラウディアの言葉にオーレリア女王が笑顔で答える。なるほどな。ドーム内は安全でも外の環境が過酷だからリスクの分散を考えると施設を分散する事になる、と。
作物を育てる文字通りの温室と、放牧を行う牧場か。
「都市と施設を保護する半球は、魔法的な結界の境界線でもあるわ」
「外壁に破損が起こってもすぐに空気が漏れたりすることはなく、通知と修復が自動で行われます」
なるほどな。維持をするにも魔力は必要だが……今なら魔力送信塔でその辺を補えるというわけだ。
浮石はそんな話をしている間にも段々と進んでいき、やがて月の都の全容も見えてくる。
クレーター内部に収まるように都は作られており、高く聳える城が都市中心部に見えた。建築様式は王城セオレムだとかベリオンドーラ、迷宮中枢部にも似ているあたり、やはり月の民にルーツがあるのだなと思う。
前に来た時は王城も民家も朽ち果てていたが……今は遠くから見てもあちこちに明かりが輝いていたりして、都市部が機能している事を窺わせる。
「何だか――前に来た時よりも随分と高い建物が増えていますね」
「昔の都は資材として解体したりもしましたからね。離宮に移る傍らで資材として活用したわけです」
「限られた土地を有効活用する術ね。過去の月の都も高い建物が多くなる傾向があったわ」
俺の言葉にオーレリア女王とクラウディアがそれぞれ教えてくれる。月の民はそのほとんどが魔法を使えるという事もあり……高い建物でも出入りは問題ないようで、レビテーションを利用しているのか、建物の高層部に直接人が出入りしているのが見受けられた。
そうして浮石は月の都前に到着する。エアロックは地上ではなく地下部分に埋設されているようで、都市を覆うドームの近辺の地面が左右に開いて内部へと続く通路を見せた。大型の浮石がそのまま進める大きさだ。
エアロック内に浮石が進むと隔壁が閉ざされ、空気の充填が行われると同時に更に奥へと続く隔壁が開く。耐久性をかなり重要視しているな。
エアロックの次の区画は浮石を待機させておく……駐車場というか駐石場というか。幾つもの浮石が台座に収まっているのが見える。だが俺達を乗せた浮石はそのまま止まらずにその区画を横切って、その奥へと進む。また隔壁が開いて、地上部分へ向かって進んでいるらしかった。頭上の扉が開き――そして都市内部の姿が目に飛び込んでくる。
「ああ。これは――」
「凄いですね……」
俺もみんなも、目に飛び込んできた光景に声を漏らす。大通りのずっと向こう――都の中心部に城が見える。高層の建物も城と大通りを中心に景観に配慮された区画割りと都市計画をされているようで、大通りから正面を見れば扇状に建ち並んでいるのが見て取れた。
どうやら、中心部に行けばいくほど高層の建物が多くなっているようだ。都市再建にあたって、一から都市計画を立てる事ができたからだろう。
月の城の尖塔。その向こうに見えるルーンガルド。こうした位置関係も計算されている。高層部にも道が造られているが……それらは水道橋を兼ねているのか、あちこちに水を供給しているようだ。都市中央の高層から注がれた水が滝のように流れている場所も見受けられる。
「都市のこの構造は、都市内部に水を供給する為でもありますか?」
「そうですね。有事には水路を遮断して別の経路に回せますから、ああして空中回廊と水路が併設され、高所から街の隅々へと水が供給されているのです。滝のようになっているのは……景観を良くしようという目的もありますが」
月面が荒涼としているから、都市内部は尚更水の流れる風景や音、植物の美しさといった景観を重視しているという側面もあるそうだ。また、都市内部に滝や水路を通す事で、湿度を適度に保つ役割も持たせているらしい。
なるほどな。各所に緑と水路があって……人工的な川も存在する。
再建された月の都は幻想的というか、確かに美しい街並みだと感じられる。
因みに街を巡回した水は一旦集められ、浄化してから再利用されるそうだ。下水関係はと言えば、また完全に分断された経路を通って地下施設で処理しているらしく、そこからもまた別の形で資源が再利用できるという話だ。
リサイクルの徹底ぶりは流石月面都市と感じさせるものがあるな。それでも外部からの魔力供給がないと供給面でジリ貧ではあるらしいのだが……。
月の王城に向けて大通りを進んでいけば、沿道に人々が姿を見せ、俺達の来訪を歓迎するというように声を上げて手を振ったり、目が合うと笑顔でお辞儀をしたりと、歓迎の意を示してくれる。というか……かなりの人間が沿道に集まって歓迎してくれている気がするな。
「離宮ソムニウムから目を覚ます事が出来て、みんなテオドール公には感謝しているのです」
「魔力送信塔を建造したからですか」
「ええ。ルーンガルドと月を守った英雄であり、月の都再建の立役者と知らせてありますよ」
「そういう事でしたか」
それは――些か気恥ずかしいが、それならこの歓迎ぶりも理解できる。
苦笑しつつも並走しながら手を振ってくる子供に手を振り返すと、子供達同士で顔を見合わせて笑顔になっていたりと、随分と喜んでいるのが見て取れた。そうしている内に段々と王城が近付いてくる。
大きな城門が開いて、浮石に乗ったままで内部へと進む。そうして正面の玄関ホールとも言えるような広場の中心……台座に静かに浮石が収まった。
なるほど。この浮石は王城から送迎を行う為のものというわけだ。左右に続く回廊と、正面に緩やかなスロープ状の階段と大きな扉。滑らかな質感の白い石材。あちこちが水晶のように変質していて、その部分に明かりが灯っている。装飾も相まって美しい城と言えた。
エンデウィルズで見た事のある門番――全身鎧の鉄巨人といった風情の魔法生物が二体もホールの警備についている。兜のバイザーの奥に丸い輝きが二つ灯っていて、大きくて厳ついデザインながらも顔の部分を見れば愛嬌があるな。俺達を迎えるように、お辞儀をしてくれているので尚更だ。
「ふふ。その子達はマクスウェルやアルクス、ヴィアムスの姿を見て少し改修したものなのです」
オーレリア女王が教えてくれた。
「ほう」
と、興味深そうに反応を示すマクスウェルのスレイブユニットである。アルクスも丁寧に鉄巨人達に一礼を返していた。
「まずは手荷物を置いてきてしまいましょう。まっすぐ進めば謁見の間で――左が魔術師塔、右手が騎士塔へと続く回廊になっているわ。客を迎える施設は騎士塔側の回廊を経由して途中で奥に進んだ所にあります」
そう言ってオーレリア女王が回廊の右手側を示して笑顔を浮かべて歩みを進める。俺達も頷いてそれに続いた。
「内部構造が……改修されているのかしら」
「そうね。私の記憶とも違っているわ」
ローズマリーが城の内部を見回して言うとクラウディアも同意する。城も前回月を訪れた時に少し見ているが……その時の構造とは違っているように見える。
「無人にしていた期間が長かったですからね。再建の折に内部構造を変える事になりました」
確かに、そうしないと防犯の面で問題があるな。現状が平和であっても内部構造が知られている城では困る。
ともあれ、あちこちの構造に迷宮と同じような建築様式があるのは理解した。セオレムや迷宮を始めとして今まで月の民由来の物を色々見てきたが、それらの源流が垣間見えて俺としては中々興味深いな。