番外802 船出と見送り
造船所での進水式はそのまま船員達とその家族を交えての宴会となった。料理に使われている食材は迷宮産だが、意外な事にというか、割と内陸部で食べられるような料理が多い。まあ、船が出たらずっと海上生活だからな。釣りができる海域も限られるが、どちらかというと船乗りには陸の料理という方が船出前としては嬉しいものなのかも知れない。
明日には出発という事になるが……まあ、酒を飲んでもクリアブラッドの魔道具がある為に二日酔いの心配はない。船員達には安心して宴会を楽しんで貰えれば嬉しいとも思うが、家族だけでなく賓客もいるし、出発前でまだ何もしていないという状況もあるからか、酒は控えめにしている様子だった。
それでも船員達はみんな楽しそうで、仲間と杯を酌み交わしたり家族と笑い合ったりと賑やかな雰囲気だ。それを見て、エレナが表情を綻ばせた。
「船出ってこういうものですよね。船員の皆さんも楽しそうで、何よりです」
ああ……。エレナはザナエルクの一件で相当な苦労をしたからな。
終着の見えない逃避の船旅の中で、信頼していた騎士達の裏切りや恩師との別離もあって船旅にはあまりいい思い出は無いのだろうが、それでもこうして祝福してやれるのがエレナの人の良さなのだろう。
少し心配そうな表情でマルレーンが寄り添うと、エレナは大丈夫、というように笑みを見せた。俺もエレナと視線を合わせて頷き、パルテニアラもマルレーンと一緒にエレナを抱擁していた。
「――ありがとうございます。今は……こうして皆さんが一緒にいてくれるので怖い事や辛い事なんて、何もありません」
エレナはそう言って、グレイス達と穏やかに微笑み合う。
「ふふ、こうやって皆の仲が良いのを見ると、妾としても縁談が纏まって良かったと思うぞ。結婚式が楽しみになってくるな」
と、その様子に満足そうな笑みを浮かべるパルテニアラである。
エレナとの結婚式も準備を進めている。花嫁衣裳や結婚指輪を用意したり式の手筈を整えたり。やる事も多いのですぐにとはいかないが、各国との通信機と転移門があるので招待客との間で都合を付けたり、調整しやすいというのはある。
他の貴族家の結婚式と比べれば……準備期間も短くなるのではないだろうか。
「えっと、その……結婚式はもう少し先の事ですから。ああ、開拓船は、航行中の様子も見る事が出来るという話でしたが」
結婚式の話題になって少し顔を赤くしたエレナが、少し無理矢理に話題を変える。
「そうだね。シーカーとハイダーを乗せて、甲板の様子と船内の様子をどっちも見られるようにしてあるよ」
俺も少し笑ってエレナの言葉に答える。
「ふむ。航海の様子は興味深いが……」
「四六時中余らの目があっては落ち着かないかも知れぬな」
「船長の判断に影響を与えるような事があっては勝手も違って来よう」
と、そこにやってきたメギアストラ女王が言うと、メルヴィン王とデメトリオ王がそんなやり取りを交わす。エルドレーネ女王達も同意するように頷いていた。
航行に興味はあるが、船の秩序や船員の問題もあるからな。こちらからは求められない限り不干渉という方が航行もしやすいだろう。
「では、中継する区画と時間を決めたりするというのはどうでしょうか」
船長が言う。甲板の様子であるとか、船員達が仕事をしている場所、時間を指定するなり記録するなりして各国の王達も見られるようにする、というようなアイデアだな。
それ以外の場所では無音声で、あまり船員達の日常に目は向けずといった具合だ。
緊急時には通信で対応すればいいし、やれない事はないか。
常時映像記録だけは残しておいて編集、という手もあるが……記録を残しているとなると意識してしまうのは同じだろうし、船側が見せたい時にだけ、という方向なら大きな問題もない。
まあ、無音声ではあるが船首あたりから海上を進んでいく船の様子を見たり、周辺の様子を中継したりという事もできるだろう。その辺、通信機でやり取りして調整すれば問題はあるまい。
船員達も限定的であれば寧ろ乗り気なようで。そうして了解が取れたので、船からの中継の様子を各国の王達も見られるようにする、という事で話も纏まり、造船所での宴会の時間は賑やかに過ぎていったのであった。
そして、明けて一日。改めて造船所にて、航路開拓船の船出の見送りだ。船員達は出港前の最後の確認にあちこち走り回ったり、船に組み込まれた魔道具の動作テストをしたりして中々に忙しそうだった。
紋様魔法の水流操作パネルであるとか、色々普通の船とは違う技術が組み込まれているからな。
やがてそれらの確認も終わると、今度は家族や友人と一時の別れの言葉を交わしたりして。
「何だか、何時も見送られる側だったような気がしますから、こうして見送る側に回るというのは新鮮ですね」
「こっち側で見送るのも楽しいね」
と、そんな様子を見守っているとアシュレイが微笑んでそう言って、セラフィナも分かる、というようにふんふんと頷き、船員達に小さな身体で思い切り手を振る。
見送って貰った時に嬉しかった事を返そうとしているのだろう。船員達もセラフィナのそんな姿に気付いて笑顔で手を振り返してくれて。俺達もみんなでそんな船員達に手を振る。
「そうかも知れないな。船旅が、安全で良いものになるといいね」
「自分の手がけた船がこれほど沢山の人に祝福され、見送られて出港するというのは……感無量です」
ドロレスはそう言って、天を仰いでいた。
見送りか。俺もどこかに赴く時に、タームウィルズのみんなに手を振って貰って、それで気合を入れたりしてきたというのはある。
荷物の積み込みの確認。人員の点呼や家族との挨拶も終わり、船員達が船に乗り込む。そうして……家族や各国の面々に見守られる中で、船がゆっくりと動き出す。いよいよ出港だ。
航路が安全であれば航行中に俺からしてやれる事も殆ど無いけれど……。それでも距離も長く、今まで誰も使った事のない航路での船旅だ。船員達は表には出さないまでも不安もあるのではないかと思う。
「マルレーン。ランタンを貸してもらっても良いかな?」
そう言うと、マルレーンは心得ているというように笑顔で頷いてランタンを貸してくれる。
ランタンを操り、光の粒と水の泡の幻術を浮かべて、船の周りに、舞うように動かす。それから……顕現はしていないまでも船の出港を楽しそうに見守っている小さな精霊達に語りかけ、了解を得てから幻術を被せて姿を見えるようにしてやる。
顕現できるとなった精霊達は、楽しそうに手を振ったりがんばって、というように拳を突き上げたりしていた。船員達やその家族達も少し驚いた後に笑顔になる。
船出を飾って賑やかにして……俺なりの方法で見送るぐらいの事はしてやれる。これが士気の向上に繋がるなら良いのだが。船長も俺の方を向いて笑顔になり、船員達と共に一礼してくれた。
西区の港付近にタームウィルズの住民達も詰めかけて来ており、船員達や船の様子に歓声を送ったり子供達がジャンプしながら手を振ったり。甲板の船員達も嬉しそうな表情をしているのが見て取れた。
そうして……ゆっくりと航路開拓船はタームウィルズから遠ざかっていく。
この後は……フォレスタニアに戻って船長と少し中継についての打ち合わせを行う予定だ。昨晩の宴会では細かい所までは詰められなかったが、まあ通信機でやり取りができるので中継を楽しみにしている面々に色々見せられるよう、場面やスケジュールなどを打ち合わせるとしよう。




