番外787 刻印の巫女の想い
とりあえずグレイス達を交えてエレナと話をするという事で、休憩所から火精温泉の職員が普段働いている管理施設へと移動させてもらう。
「いきなり、という訳ではないのかも知れませんね。パルテニアラ様は、ずっとエレナ様の事を気にかけていたのでしょうし」
「だろうね。前から考えていた風だったし、魔界の事が解決する目途が立った今だから切り出したのかも知れない」
グレイスの言葉に答えるとみんなもパルテニアラの考えに思うところがあるのか、目を閉じて頷いたりしていた。
エレナに対するパルテニアラの心情は……親心に近いものかも知れない。
パルテニアラは巫女として幼少期から見守っていただろうし、門を守る為に眠りにつくという選択肢を取ったから……余計にその行く末を案じている所はあるのではないだろうか。
眠っていた時間を考えてもエレナの事を覚えている面々がベシュメルクにいて、ガブリエラとも容姿が似ているので、母国ではどうしても逆に目立ってしまうしな。
「私としては……その、正直な気持ちを口にするのなら、パルテニアラ様のお心遣いは嬉しく思いますし、テオドール様やグレイス様達と一緒にいるのは楽しいですが……負担になったり、皆さんの間に割り込んでしまうのは……些か心苦しく思います」
エレナはそう言って、やや申し訳なさそうにしている。
……パルテニアラも言っていたが、エレナは性格的にも使命の為なら自分を犠牲にしてしまえる。その反面、自分の利益の為に能動的に行動するという事があまりない。
パルテニアラがこうして状況が動くように促したのは、そういうエレナの性質を分かっているからだろう。
「その辺は……今更というところはあるわね。王侯貴族の縁談は本来自由にならないもの。相手への感情さえも呑み込まなければならない時もあるわ」
ローズマリーが羽扇で表情を隠しながら言う。ローズマリーの口調は淡々としているが、これは王族に生まれた者としてのアドバイスだろうな。エレナの場合、縁談に関しては何時までも保留というわけにはいかないのだし。
「だから……私達はお互い尊敬し合えるかどうか、隣にいたいと思えるかどうかという事を重視して結婚に至ったわ。今、エレナが感じている気持ちは、私も思った事だもの」
ローズマリーの言葉を受けて、ステファニアが胸の辺りに手を当てて言った。
「そう……だね。だからこそメルヴィン陛下もああいう風に言ったんだと思う。俺の気持ちを話すなら、エレナの今までの生き方や考え方は尊敬できるし、そんなエレナだから、幸せになって欲しいと思うよ」
刻印の巫女として眠る事を選択した。そういうエレナの人柄を好ましいと思っているのは事実だ。
ただ、俺と婚姻する事がエレナにとって幸せかどうかなんて、俺達からは言えないし分からない。同様に、みんなの気持ちも分かっている等と勝手に口にするつもりもない。
エレナとて、普通の婚姻を望んでいたりするかも知れないし。今決断する事でそうした可能性も無くなってしまうのなら、保留するという選択肢だって十分にあるだろう。
そうした俺の思いや考えを説明するとみんなも、自分の気持ちを口にする。
「エレナ様と一緒にいるのは落ち着きますし、穏やかで優しい方なので、そういう点も好きですよ」
「うん。わたしも、エレナと一緒にいるの、楽しいよ」
そう言ってアシュレイが微笑むとマルレーンも口を開き……みんなも頷く。エレナの人柄に関しては、みんなとしても好ましいと思っているようだな。特に、アシュレイやマルレーンは性格的にも合うし年代も近いという事で、エレナとも普段から仲が良いようだし。
「前にも言ったかもしれないけれど……私はエレナの境遇には自分と重ねているところがあってね。幸せになって欲しいというテオドールの望みは、私も同じ気持ちよ」
クラウディアが目を閉じて言うと、シーラとイルムヒルトもその言葉を首肯する。
「ん。エレナは少しぐらい我儘を言ってもいい」
「そうね。私達にはエレナちゃんが今回のお話を望んでいるかいないかは分からないけれど……迷惑とか義務とか、そういうことを抜きにした気持ちを聞けると嬉しいわ」
そうしてグレイスが指輪……呪具に触れて、目を閉じて言う。
「相手を大事に思うからこそ、自分の事情には巻き込みたくないという気持ちも分かります。私は――それでもテオと一緒にいたいと思い、その道を選びました。だから私はエレナ様の選択に何かを言えるような立場ではないのかも知れません」
「そんな事は――」
エレナが言うとグレイスは小さく笑って、首を横に振った。
「けれど、だからこそでしょうか。私とは違う生き方を選んできたエレナ様の事は、尊敬に値すると思っていますし、力になりたいという気持ちもあるのです」
グレイスは……自分の吸血衝動を俺に向けてしまうことを心苦しく思っていたからな。エレナとは生き方が違うと思っている所はあるのだろうけれど。だからこそ、というのは俺も同じ事を思っている。
そんな俺やみんなの言葉――気持ちを受けて……エレナは静かに胸の辺りに手をやって言った。
「私の、私の我儘な気持ちを……聞いていただけますか?」
エレナを真っ直ぐに見据えたまま頷くと、エレナもまた頷いて。そして口を開く。
「――ザナエルクがベシュメルクの王となってから、悲しい事ばかりで。私は幾度も歯がゆい思いを重ねてきました。ベシュメルクの歴史も悲しくて、巫女として自分を眠らせる事しか方法が無かった事も……本当の事を言えば怖かったのです」
天を仰いでエレナは目を閉じ、言葉を続ける。
「けれど目を覚ましてテオドール様達とお会いしてからの日々は……ずっとずっと、楽しかったのです。本当の自分はまだ眠っていて、もしかしたら自分は優しい夢の中にいるんじゃないかって。そんな風にも思えてしまって。だから魔界の事が解決した今になって、こんな優しい、夢のような日々も終わってしまうのかなと、少し考えてしまいました。ベシュメルクに戻ったり、刻印の巫女の血筋を残すために知らない誰かと結婚したり……そんな、先の事を考えるのが嫌で……」
胸の内に秘めていた気持ちを吐露すると、エレナは俺達を見て少し心配そうな表情を浮かべる。
「いいのでしょうか。ずっと……こんなにも優しい人達と一緒にいても。私は……私も、一緒に、隣にいたいって、そんな風に思ってしまっても」
そんな、エレナの言葉。
「良いよ。俺達の気持ちはさっき伝えた通りだから」
俺が答えると、みんなもエレナを見てはっきりと頷く。隣にいたいと思う。尊敬できる。そう思える相手でなければ俺の言葉も、グレイス達の言葉も違うものだっただろう。
自分の気持ちを吐露する事に不安そうだったエレナは……俺達の反応を見て、嬉しさを噛み締めるように、静かに微笑んで頷くのだった。
「――おお……! それは良かった……!」
そうして……休憩所に戻って話し合いの結果を伝える。あまり細かい部分まで話す必要はないが、それでもパルテニアラには結果と共に細かいやり取りを伝えると、安心したように笑顔を見せていた。
そんなパルテニアラの反応にエレナも微笑みを見せ、そうして一礼する。
「パルテニアラ様には……ご心配をおかけしました。それから……ありがとうございます。私一人だけであったなら、色々内に気持ちを抱えたまま前に進めずにいたと思います」
「そなたには……苦労した分報われて欲しいと思っていたからな。老婆心かと思ったが、そう言って貰えるのは妾も嬉しい」
そう言って……パルテニアラはエレナをそっと抱きしめる。
「そなたは……幸せになるのだぞ」
「――はい。ですが、私が幸せだと思える場所は、パルテニアラ様もいる場所なのです。魔界の事が解決したからと、どこにも行かないで下さいね」
エレナの言葉に、パルテニアラは少しだけ驚いたような表情を浮かべる。それも……エレナの心配事でもあったのだろう。
「――分かった。それが……妾に望むそなたの我儘だと言うのなら、約束しよう」
エレナの言葉を受けて、パルテニアラは穏やかに笑ってそう答えるのであった。




