番外772裏 亡者の軍勢・5
「ぐおっ!」
グロウフォニカの将兵が手傷を負う。が、仲間との入れ替わりを待つより早く遠隔から治癒魔法が飛んできて、手傷が回復していく。呪法の剣で傷つけられた傷口だが、月女神と高位精霊の加護がある為に黒い靄が力を失って散っていく。
有難い話だと、牙を剥いて獰猛に笑って、目の前のアンデッド兵を斬り伏せる。アシュレイの治癒魔法と月女神や精霊達が見守っていてくれるという安心感があった。
シリウス号の甲板に氷の防御陣地を築いたアシュレイはライフディテクションを刻んだ魔道具を使っている。生命反応の揺らぎに向けて治癒魔法を飛ばす為だ。
回復の為の探知を手伝っているのはアウリアだ。使役した精霊達を戦場の各所に送り、戦況を伝える。手傷を負った者の離脱が間に合いそうにないなら座標で知らせる。揺らいだ生命反応に向けてアシュレイが遠隔治癒魔法を飛ばす。そういう流れだ。
前線ではエリオットが戦いながら治癒魔法を使えるし、ファリード王の剣も同様に治療を施す事が可能だ。飛行船の甲板ではロゼッタも控えており、傷付いた人員は即座に治療されていく。各国共に最高峰の治癒術師達を揃えて臨んだ戦場だ。
そんな治癒術師達の控えている飛行船は当然攻撃の目標にされるが――通さない。レアンドル王がグリフォン部隊を率いて一糸乱れぬ動きで突撃を仕掛け、瞬くように戦場を渡り歩くヘルヴォルテがアンデッドを斬り裂いていく。
ハーピーとセイレーン達の歌声が数で劣る将兵達に戦意と勇気を与えていく。ガシャドクロが手にした大骨の剣で薙ぎ払い、竜達に群がる敵兵を結晶でできたスパイクボールのように変形したコルリスが跳ね回って蹂躙する。
魔法を矢継ぎ早に放つ七家の長老。肩を並べて戦うヴェルドガルの騎士団長ミルドレッドと鏡の騎士ラザロ。転移して衝撃波を放つスティーヴン。
誰も彼もが剣を振るい、魔法を放ち、身に宿した異能を行使して戦っている。
対するは無限に現れるのではないかというほどの、地を、空を埋め尽くすアンデッド兵達。戦況の先行きが見えない程に混迷しているが、アンデッド兵達もネフェリィの術式――光の領域には易々と踏み込めない為に数の利を生かし切れずにいるのは確かだった。
咆哮と共に空を引き裂いて、凄まじい質量の塊が迫る。赤黒いオーラを纏う、ドラゴンゾンビの爪だ。
相対するのはグレイス。全身から漆黒の闘気を爆発的に噴き上げ、叩き込まれる爪を斧で迎撃する。
馬鹿げた体格差。振り上げた斧と振り下ろされる爪が激突する。ただそれだけで重い衝撃波が放射状に広がった。
一瞬の拮抗。爪を斧で迎撃した次の刹那にはグレイスは身体ごと流すように踏み込んでいた。間合いの内側なら体格の小さい方が有利だという判断だ。その判断は正しい。漆黒の闘気によって瞬間的な力で打ち合う事はできたとしても、単純な力比べになれば流石に質量、筋力量共にドラゴンゾンビに軍配が上がるからだ。
竜の尾が鞭のように跳ね上がる。オーラがそのまま刃のように展開。「間合いの内側」など存在しないとばかりにグレイスの双斧と影も留めない程の速度で切り結ぶ。
咆哮。赤黒いオーラが無数の球体に形を変える。ドラゴンゾンビの呪力に反応して身体の周囲に展開すると、尾との攻防に交えて滞空している球体が魔弾となって、雨あられと浴びせられた。
グレイスの漆黒の闘気が渦を巻く。不死竜の放つ魔弾を渦に呑み込んで無効化し、そのまま尾剣の斬撃と切り結ぶ。空間を引き裂くような速度で迫る赤黒い刃と、双斧が鈍い金属音を幾度となく響かせる。
切り上げ、刺突。袈裟懸け。凄まじい速度で尾剣が往復してその度にグレイスの双斧と剣戟の火花を散らす。
喉に目掛けて切り払われるそれを、斜めに傾斜させた斧で後方に流す。踏み込もうとしたそこに横薙ぎの一撃が待っていた。不死竜の前腕――肘にかけて、鋭い刃のように発達した鱗が生えている。そこにオーラを込めて薙ぎ払った形だ。
横薙ぎの一撃を受け止めると同時に、力に逆らわずに側転。更にシールドを蹴って大きく斜め上方へと飛ぶ。
重いものをぶつけ合うような衝撃が響き渡った。寸前までグレイスのいた空間を巨大な牙が交差して埋め尽くしていた。ドラゴンゾンビが大顎での攻撃を仕掛けたのだ。
爪と牙、尾と尖った鱗。そして魔弾を操っての、巨体とは思えない程の流れるような攻撃。
アンデッドとはいえ、戦闘技術も判断能力も高い。ベルムレクスのアンデッド兵はいずれも基礎的な性能が高いがドラゴンゾンビは図抜けている。司令塔である寄生者と比べても尚突出している。元となった素体が竜であるからという事なのか。
それでもグレイスに臆する気持ちはない。吸血鬼が魔界で生まれた変異種族であるからか、無尽蔵に湧きあがるような力を感じる。それに――グレイスは昔から慣れているのだ。自分よりずっと大きな敵と戦うことには。
両親と別れて、一人ぼっちになってからの山での暮らし。
あの冬。テオドールと自分が食いつなぐための暮らし。
熊や猪、それに魔物。自分より大きな獲物を狩ることで生き延びてきた。
吸血衝動を変換。漆黒の闘気からスパーク光を放って、赤い不死竜と真正面から激突していく。
尾剣の一撃を転身して避け胸部に向かって遠心力を乗せた斧の一撃を叩き込む。
不死竜の身体が一瞬揺らぐも、装甲のような鱗は砕けない。空を狩り場とする竜にとって胸部や腹部は弱点に成り得ない。
懐に飛び込んだグレイスを迎え撃つというように、不死竜の纏う赤黒いオーラが凄まじい熱を放つ。赤い鱗から分かるように、元は火竜だったという事だ。呪法と死霊術によるアンデッド化を経て尚、竜としての性質、因子を色濃く残す。だからその身に纏うオーラも他の不死兵のように黒ではなく、赤が混ざっているのだ。
近くにいるだけで焼け焦げるような熱を、薄く展開した漆黒の闘気で遮断する。精霊王達の加護があれば、それだけで灼熱を無効化する事ができる。
退かない。巨躯の竜であれ、焦がすような灼熱であれ。その場に留まり、噴き上げる漆黒の闘気と双斧を以って打ち合う。切り結ぶ。
ぶつけあっては弾かれ、弾かれては即座に踏み込んで爪と斧を叩きつけ合う。ドラゴンゾンビが爪に集中させたオーラを、咆哮と共に巨大な爪撃として放てば、グレイスは薙ぐような動作で闘気の衝撃波を叩き込む。
爆発。互いに後ろに下がった次の瞬間には既に動き出している。翼を広げて飛ぶドラゴンゾンビ。シールドを蹴ってグレイスが跳躍。
竜が弧を描いて、グレイスとすれ違いざまに攻撃を応酬する。
並走。迫ってくる山の稜線などお構いなしに砕きながら攻防を応酬する。砕け散る山の破片。グレイスは一抱えほどもある破片――岩を無造作に手に取って、漆黒の闘気で覆ってドラゴンゾンビへと投擲した。
黒紫色のスパーク光を放ちながら、さながら砲弾と化したそれを、竜が上腕で受け止めれば強固な鱗との激突によって欠片も残さない程の微塵に散る。
グレイスは一瞬地に足を付け、雪山を砕きながら跳ぶ。遅れてバラバラと降ってくる山の破片などお構いなしに互いに間合いを詰める。
漆黒の闘気は吸血鬼の特性そのもの。魔界にある事で活性化し、激突して弾ける余剰な力を取り込んで更に力を増す。その中で――グレイスは取り込んだ力から何か――不可思議な気配を知覚している事に気付く。
活性化した吸血鬼としての能力か。相手の魂を取り込んで隷属化する。それは相手の一部を自らに取り入れ、理解するに等しい。
外部に放出されているからこそ、グレイスと混ざり合う事は無い。しかし感知してしまう。戦いの喜びと、そして口惜しさ。
そこに嫌な気配はない。数多の戦場で。テオドール達と共に旅をしてきた世界で。様々な存在に接したからこそ分かる。
だからグレイスは切り結びながら、意識して触れる。それに触れる。
それは――ベルムレクスに敗れた竜の記憶の断片と、朽ち果てたままで戦いに身を投じ、感じる想い。
呪法に縛られて、命じられるままに殺し、戦わされる事への憤り。相対するグレイスへの称賛と、そんな相手だからこそ、こんな有様でありながら戦いに喜びを感じてしまうことへの浅ましさと口惜しさ。
竜の魂は――その強靭さ故に死してなお、肉体に囚われているのだ。組み込まれた技術と、生前の破壊衝動と闘争本能が死した肉体を突き動かす。そうして辺境の一角を支配していた炎の女帝――炎竜は、意に沿わずとも命じられれば全身全霊を以って殺戮を行う兵となった。
殺した。殺した。殺した。食らうわけでも身を守るためでもなく。命を乞う者も、仲間を庇う者も。小さな者達を殺す兵となり、殺した者達を運び。それらもまたベルムレクスの兵となる。
そんな自らの器の、浅ましい行いをただ眺める事しかできない無力。竜としての誇りを死した後も穢される事への、許しがたい屈辱と無力。
だから――グレイスと相見えた事が打ち震える程に嬉しい。
これ程の研鑽を重ねた相手だ。竜という存在を打倒しうる強者だ。敗れようともそこに悔いはない。誇り高き戦士よ。魔を宿す娘よ。我が鎧を砕き、呪われた心の臓を斬り裂くがいい――!
血の涙を流しながらも喜びに笑う。そんな竜の魂に、グレイスは戦いの中で確かに触れたのだ。
「そう……。そうだったのですか」
それは刹那の出来事。それでもグレイスの意識は僅かに逸れた。目の前に迫ってくるオーラを纏った爪に、ほんの少しだけ反応が遅れて。咄嗟に斧を交差させて受け止めるが、大きく弾き飛ばされる。
「まだっ!」
仲間達に心配はいらないと伝える為に声を上げ、空中で踏みとどまる。突っ込んでくる不死の竜を真正面から迎え撃つ。膨大な量の闘気を斧に流し込み、巨大な斬撃の交差を放って竜の巨体を逆に弾き飛ばす。吹き飛ばされた竜の巨体が雪山の斜面に突っ込んで崩落を起こす。
力が及ばない事への口惜しさは、知っている。テオドールがそうであったように、グレイスにとってもそうであったから。
彼女は――炎竜はもう死している。ベルムレクスの死霊術から解放されたからと何が戻ってくるわけでは無い。戻ってくるわけでは無いが、触れてしまった以上、知ってしまった以上はこのままにしておくことを良しとする事はできない。だから――。
「はああああっ!」
裂帛の気合と共に膨大な量の闘気を纏い、踏み込んでいく。崩れた山の斜面から顔を出した不死の竜が咆哮を上げて迎え撃つ。
雪崩を起こし、山体を砕きながらグレイスと不死の竜は互いへ攻撃を叩きつけ合う。斧を振るう度に。爪や尾を振るう度に。雪山が砕け、地形が崩れていく。
迂闊に近付いた不死の兵は互いの振るう一撃の余波だけで薙ぎ払われる。何人も割って入ることを許さない、隔絶した強者同士の戦い。
ぶつかり合った山の裏側にグレイスと竜の身体が突き抜ける。山体に亀裂を刻み、激突の余波で山頂ごと崩して両者が飛び出したかと思えば、即座に空中を飛んで再び激突する。互いの得物を縦横に振るって、弾き、弾かれ、突っ込んでは掻い潜る。
首を刈る一撃。胴を薙ぐ一閃。互いを終わらせるために持てる力と技の全てを目まぐるしく交錯させて、激突の衝撃波を幾重にも重ねる。
練り上げる。少しずつ練り上げる。テオドールが循環魔力を練り上げる感覚を思い出しながら自身の闘気を身の内で練り上げて高めていく。それは竜も同じく。戦いの中で余剰の力を内部で練り上げて、膨大な力を解放する時を窺う。
グレイスの闘気は戦いの中でどんどん研ぎ澄まされていく。まともに食らえば最早竜の鱗も役には立つまい。だからこそ力押しはできない。そもそも、呪いに縛られた竜にしてみれば油断も焦りもないが。
皮一枚で斧の斬撃を躱し、オーラを纏って殴り飛ばす。中空に吹き飛ばされるグレイスに追撃の構えを見せるが、大きく弧を描いて回り込んできた鎖が絡みついた。
力任せに引き――千切れない。漆黒の闘気が強化している鎖は竜であろうとも簡単には千切る事ができない。そのまま、グレイスの手で振り回された。竜の巨体が再び山に叩きつけられて地を砕く。
瓦礫の中から、逆に竜の爪が鎖を掴んで、今度は逆にグレイスを力任せに振り回そうとする。
それを予期していたようにグレイスは間合いを詰めている。闘気によって操られる鎖が生物のようにたわみ、不死の竜の思い通りにはさせない。
斧の一撃が瓦礫の中に向かって叩き込まれるのと、たわんだ戒めを縫うように直上に向かって竜が跳び上がるのがほぼ同時だった。時間差で瓦礫の中から無数の魔弾が吹き上がる。
意にも介さずに竜を追う。竜の魔弾はグレイスの闘気の防御を貫けない。その、はずだった。その内の一発が闘気の防御を貫いて、背後から肩口に命中する。
爪。竜の爪だ。瓦礫の中に叩き込まれた瞬間に自らの爪を食い千切り、魔弾の中に込めた。闘気の防御で威力も減衰していたから深手ではない。しかしグレイスの動きが揺らいだその一瞬に。
竜の口腔に眩い輝きが宿る。輝く暗黒としか形容しようのない輝き。
この距離。この位置で動きを止めた。数多の強敵を焼き払ってきた業だ。外す事等、有り得ない。
炎の吐息と呼ぶ事すら生易しい、魔界の炎竜の全身全霊と呪法の成した結実。それが視界を埋め尽くす程の黒い閃光となって解き放たれた。
天から地を貫くような黒炎の柱。迫るそれを前にしてなお、グレイスの闘志は揺るがず。爆発的な漆黒の闘気がその身から迸る。直後、一切合財を呑み込むような一撃が垂直に大地へと降り注ぐ。凍りついた山肌から一瞬で雪が解けて蒸発し、岩肌が溶けてマグマと化していく。そうして、地面に突き刺さって行き場を無くした膨大な力が山を崩壊させるような大爆発を起こす。
その爆風を――突き抜けて、黒紫のスパークを纏うグレイスが飛び出してくる。神珍鉄の斧を巨大化させ、斜めに反らし、更に練り上げた闘気を身の周りに円錐状に展開して防御を行ったのだ。
ああ、やはりと。迫るグレイスの姿に竜の魂は笑う。大技を放った竜の身体は思うように動かない。
だが、まだ足りない。互いの練り上げた力は先程のやり取りで消失してしまった。
ならば、娘の攻め手は? 獄炎に晒された斧が如何に優れた武器であったとしても、あれだけの熱量に晒されては一時的に強度が落ちてしまっているだろう。武器を手放し、力も放出し。この身を打ち滅ぼすには、まだ届かないのではないか?
「貴方の誇りも想いも、確かに受け取りました。だから――連れて行きます」
そんな、グレイスの言葉。大きく引いた右手には、さきほど竜が魔弾に込めたはずの爪が握られていて。
その手の中で、爪が溶けるように消失していく。吸収されたのだと理解した時には、グレイスの右手から放たれた闘気が膨れ上がり、変質していた。
漆黒の闘気が形作ったもの。それは竜の腕そのものだった。すれ違いざまに、竜の爪撃が振り抜かれる。その一撃は竜が生前振るっていた技に似て――。
分厚い鱗も、強靭な筋肉も骨も斬り裂いて。
彼女の望み通り、呪法に囚われていた炎竜の心臓を引き裂いていく。四肢を支配していた呪法が効力を失い、竜の身体から黒い靄のようなものが散っていく。
地に落ちていく竜の巨体。その刹那、グレイスの赤い瞳と、炎竜の視線が合う。
炎竜は、自分の意志で笑う。グレイスも少し寂しそうに笑みを見せた。
――そうだ。それでいい。お前と共に在るのならば、悪くはない。
そうして、炎竜は目を閉じる。意識は闇に落ちていくが、恐怖はない。ただ、最期に出会った好敵手とは愉快な戦いができた。そしてそんな相手に遺せる物があった事が、何よりも誇らしかった。




