番外772裏 亡者の軍勢・2
四方八方から迫るアンデッドの群れをイグナード王の拳が迎え撃つ。闘気を纏った拳は重く、鎧を纏ったオークの巨体を易々と吹き飛ばしていた。鎧がひしゃげている事からもその威力の程が窺い知れるだろう。
「ネフェリィ殿の対抗術式……。どうやら闘気とは相性が良いようだな。呪法による防御を貫いてくれる」
「そのようですな!」
イグナード王と共にイングウェイとレギーナが遊撃を行う。
エインフェウスの将兵が戦線を崩さないように不利な局面に突っ込んで状況を引っくり返したりと縦横無尽に暴れ回る。
エインフェウスの武官達もまた、イグナード王やイングウェイのような強者と共に戦える事が誇りなのか、凄まじく気合が入っている。若い熊獣人の武官が雄叫びを上げながら持ち上げたアンデッドを放り投げれば、犬獣人の武官がそれに合わせて別のアンデッド兵を背負い投げの要領で正面から叩き付ける。闘気の力で加速させながらだ。
金属音とひしゃげるような音と共に、二体のアンデッド兵が落下していった。咄嗟の判断で空中衝突を狙うのは反応速度に優れた獣人ならではと言える。
それを目の当たりにしたイグナード王は「若い者には負けていられんな!」と笑い、更に渦を巻くような闘気を纏って次々迫ってくる敵を文字通りに粉砕。イングウェイとレギーナも牙を剥くように笑ってそれに続く。
相手は痛がりも恐れもしない亡者達。ならばこそ、戦意を高く保つのは重要だ。それを分かっているからイグナード王も意識的に戦意を高く保っているのだ。
そうして戦いに没入しながらもイグナード王は己の乗ってきた飛行船の位置を意識して部隊を動かしている。オルディアもまた、甲板から死角に回り込もうとする相手に瘴気を浴びせて、飛行呪法の阻害を行ったりと、連係しながら動いていく。
と、その時だ。大地を揺るがし、飛行船の後方から飛びだした存在があった。氷の鱗を持つ、見上げるような巨大な大蛇だ。
アルディベラが以前仕留めていた炎の大蛇の亜種。そんなものが何匹も飛び出してきた。戦闘が始まった後に地中を移動して、後方から挟撃を仕掛けようという作戦だったのだろう。
一斉に大きく息を吸い込むような仕草を見せるも――弾かれたように横を向いて、同じく横合いから吐きかけられた吐息にぶつけるように、黒々とした呪法の吐息をぶつけ合う。凄まじい規模の爆発が起きた。
「少し待たせてしまったようだが、丁度良かった、といったところか」
メギアストラ女王が笑う。
横合いから駆け付けたのは2匹の竜達だった。竜は独立心が強い者が多く個体数も少ない。辺境外にそれぞれの縄張りを持ち、自由に生きている。
メギアストラ女王が竜であっても――いや、竜であるからこそ種族としての生き方を尊重し、積極的に協力する関係にはなかったが……それでも魔王国は何匹かの所在を知っている。それを、メギアストラ女王は説得したのだ。世界を壊そうとしている輩がいる、と。
「下がって大人しくしているのだな。お前は王国やこの世界を守る役割があるのだろうが」「怪我をされては我らが駆け付けた意味もなくなる」
「済まぬ、な」
そう言ってメギアストラ女王は乗ってきたそれの、尖塔の上へと舞い降りる。
「後は私達が」
オーレリア女王が隣に立って、細剣を構えた。
メギアストラ女王とオーレリア女王が立っているのは――月の船だ。かつてのベリオンドーラ王城にて、オーレリア女王が舞う。刺突を見舞えば氷の大蛇の身体に小さな穴が穿たれる。
ベリオンドーラを魔界に持ってくる事が出来たのも、呪法と契約魔法があればこそだ。
オリハルコンが敵の手に渡った時に、機能を完全に停止させる事が可能になった。
だから――飛行船と同じようにベリオンドーラを戦場に出す事ができる。月もまた、持てる戦力を結集してベルムレクスと戦う事を選択した、その結果だ。
ベリオンドーラの周りを守る様に、浮石に乗った月の武官達が固める。飛行船と共々、堅牢無比な移動要塞となり得る。
新しい敵を確認して、不死者の軍勢が更に分かれて迫ってくる。それを認めて、オーレリア女王は細剣を高く掲げて声を響かせた。
「皆の者! 今、この時こそが二つの世界を守る正念場! 各々奮起し、敵を撃滅せよ!」
「おおおおおっ!」
咆哮を以って女王の檄に応えた武官達が不死者の軍勢へと突っ込んでいく。ミハヤノテルヒメの水の帯が月の船の周りに広がり、オリエや妖怪達も月の武官達と共に飛ぶ。
その傍らで竜と不死の大蛇が激突し、浮石に乗って飛翔する月の武官が舞う。
「少しばかり呪法で性質を変えているようだがな! その大蛇共相手なら我も得意な相手ではあるな!」
そう言って、アルディベラが巨獣の姿になって大蛇達に突っ込んでいく。脇を固めるのはガシャドクロ。
「群がる小兵は私達が相手をするわ」
そうステファニアが言って。コルリスやピエトロの分身達とアピラシアの兵隊蜂と共に飛んだ。
緑の炎が空中に尾を引いて、デュラハンが魔界の空を駆ける。すれ違いざまに大剣を振るえば、ルーン文字の刻まれた青白い大剣と交差する。デュラハンの騎馬と飛行呪法で並走しながら斬撃を応酬。お返しとばかりに叩き込まれる光弾を、騎馬の尾がそのまま緑色の炎の鞭となって打ち払う。
死に携わる精霊であるデュラハンにとっては……アンデッドの群れやそれを作り出す邪精霊――ベルムレクスは捨て置けない相手だ。
ただベルムレクスの作り出したアンデッド兵は、分類すればゴーレムのようなものだ。魂に干渉する力を持つデュラハンにとっては、殊更相性が良い相手とは言えない。
そういう話をするのだったら、呪法や死霊術の使い手の方が能力を活かす機会もあるだろう。故に、デュラハンもまた司令塔である寄生者側と戦う事を選んだ。
デュラハンと相対するのはゴブリンのロード種の器を寄生体が乗っ取ったものだ。ゴブリンロード、と一口に言うがその能力は個体差が大きく、画一的な対策法はない。少なくとも、冒険者や騎士団の目線でみれば、不意に遭遇する相手としては脅威的なレベルであるのは間違いない。
力自慢であれ魔法を行使する個体であれ、進化によって総じて知恵が回るようになり、体格も良くなる。
ロード種の出現において問題になる事は、同種やオーク、オーガ等に対して高いカリスマ性や統率能力を発揮するようになる事だが……寄生体やアンデッド化されたこの状況ではそのあたりは問題にならないだろう。より危険なベルムレクスが統率しているのだから、何の慰めにもなりはしないが。
恐らくは雪山を根城にする蛮族――ゴブリン達の王であったのだろうが、その実態は魔法剣士であったようだ。ミスリル銀の鎧を纏い、刀身にルーン文字の刻まれた大剣を手にしている。魔界のゴブリンは総じてルーンガルドより強靭ではあるようだが、それらを差し引いても滅多に現れない程のロード種だったのだろう。
ゴブリンロードは非情な者もいるし他種族に対して卑劣な策を弄する者もいるが、総じて種族に対しては誇り高いとされる。
だが――寄生体に支配されたそこにはロードとしての矜持であるとか、同胞をアンデッドの兵に作り替えられ、良いように使役される憤怒だとか……そういった物は見当たらない。
飛行呪法を操って凄まじい速度で飛び回り、馬鹿げた膂力で木切れでも振り回すように大剣を打ち込む。
ゴブリン達の王にベルムレクスが求めたのは、単なる戦闘用の器、司令塔の一つとしての役回りに過ぎない。呪法と禁忌の術によって、肉体を、魔力をより強靭なものに。改造された慣れの果てが、雪山に住まうゴブリン達の王の……今の姿だった。
騎馬の首を切り落とすように叩き込まれるルーンの剣。騎馬が首を下げたかと思うとデュラハンの横薙ぎの一閃がゴブリン王の剣と激突する。重い金属音を響かせたかと思うと、互いに重量級の得物を扱っているとは思えない程の速度で斬撃と刺突が応酬された。
その度に馬鹿げた金属音と衝撃が走り、その内の幾つかは身体を掠めるが、互いに意にも留めない。ルーン文字が刻まれた剣は、恐らくデュラハンに対しても有効なダメージを与える事のできる武器だ。呪法には対策していてもゴブリン達の鍛冶師が作ったと思われる対精霊用の剣には、対策らしい対策もない。
だから――それは至極真っ当な命の奪い合いとなった。
デュラハンの持てる戦闘技術と、ゴブリン王が身に付けていた戦闘技術を叩きつけ合う戦いだ。寄生体は肉体と同調しゴブリン王の知識、経験を引き出していく。
紙一重で躱し、叩き付け、払い、返す刀で反撃を見舞えば巻き上げて跳ね上げる。デュラハンの持つ大剣が緑色の炎を噴き上げ、ルーン文字が輝きを見せる。飛び回りながら斬撃に体重を乗せて放つゴブリン王。普通の騎兵であれば、生じる死角も人馬一体の精霊であるデュラハンにそれはない。その場で馬ごと錐揉み回転して対応したり、馬の首で騎士の斬撃の軌道を隠したり、騎兵の常識からすると馬鹿げた動きでデュラハンはゴブリン王の高速戦闘に応じる。
激突。押し合いに勝ったのは騎馬と一体な分だけ重量に勝るデュラハンではあるが、ゴブリン王は正面からの激突になると判断した時には大きく後ろに跳んでいた。
「カアアアッ!」
裂帛の気合と共にルーンの剣を振りかぶり、投げつける。手から離れたはずのそれはそのまま大きく弧を描き、握っているのと何ら遜色のない斬撃となって降ってくる。デュラハンが切り上げるように弾き飛ばすも、ゴブリン王の手が薙ぐような動きを見せれば、剣もそれに合わせて高速回転する。
大剣ごと切り裂けとばかりに高速回転するルーンの剣が押してくる。甲高い金属音と火花を散らす金属風車を、デュラハンは緑の炎を噴き上げて抑え込む。
手から離れた剣の動きを制御しているのはゴブリン王だ。牙を剥いて片手で力の放出を続けながら、空いた片手でマジックサークルを展開。術式を構築する。
左手に現れたのは青白い光の剣だ。長大な長さに展開したそれを、迷うことなくルーンの剣と挟み込むように叩きつける。常軌を逸した速度だ。
避けられない。そう判断した瞬間にはデュラハンの全身から緑色の炎が広がって――そのまま互いの術式と干渉し合い、爆発を起こしていた。
爆風の中から戻ってくるルーンの剣。同時にデュラハンが爆炎を纏いながら飛び出してくる。当たり前のように正面から二つの大剣が激突し――デュラハンが生首を掲げる。口から吐き出された閃光をまともに浴びてゴブリン王が弾き飛ばされる。不意を突いたが、止めには至らない。届かない。鎧の力が、デュラハンの力を減衰させている。
デュラハンの生首は――笑ってはいない。分かるのだ。ゴブリンの王が何故精霊を斬る為に鍛えられた剣を携えているのか。先程の青白い光の剣が何を倒すために編み出された術なのか。
王は――王としてベルムレクスに対抗しようとした。結局は力及ばなかったが。
負けた事は構わないのだと、誰かの想いがデュラハンに伝えてくる。
何故ならそれは自然の摂理だから。力弱き者は負けるし奪われる。自分達は何代もそうやって生きてきた。だからそこに不満は無い。
ただ――負けても真っ当な死すら許されず、存在さえ乗っ取られて、器だけが良いように使われている。今の状態は、気に食わない。
だから。遠慮せずにやっちまえよと。それはそう言って笑った。
応、と答えた。死者の念に応えれば、首無しの騎士の全身から凄まじい勢いで緑色の炎が吹き上がる。振り払うような一撃で、膂力と術式で拮抗していたはずのゴブリン王の身体が大きく後ろに弾き飛ばされていた。
嘶きと共に大剣を構えるデュラハン。突っ込んでくる首無しの騎士を回避できないと判断したのか。ルーンの剣を構えたままでマジックサークルを展開して、剣に先程の光の剣の術を上乗せして迎え撃つ。
互いの斬撃が交差して行き違う。デュラハンもゴブリン王も、一刀、一撃を振り切った態勢のままで。
一瞬遅れて、肩口から斜めに食らった斬撃の傷口から、緑色の炎が吹き上がったのはゴブリン王の方だった。対精霊用の術式ではあったが、デュラハンの性質は死を司れど邪悪ではない。押し勝ったのは、ベルムレクスとデュラハンの、精霊としての性質の差も結果に影響しているだろう。
寄生体がそれから逃れようと絶叫するが、内側から噴き出す炎に焼かれて燃え落ちていく。ゆっくりと地面に向かって落ちていくゴブリン王の表情は、どこか満足げに笑っているようで。デュラハンはそれを見送りながら、後は任せろというように目蓋だけで頷いて見せるのであった。




