番外752 影の潜む土地
循環錬気を終えて、目を開く。ベルムレクス=エルベルーレ。それが……奴の名だ。エルベルーレの姓を名乗るのは、後を継いだという証明でもあるか。
「――感知できましたか?」
「ええ。私にも敵の事が伝わったわ」
目の前で真剣な面持ちになっているジオグランタに問うと、そう返答があった。循環錬気で繋がっているから、ジオグランタにも奴の事を感知できたというわけだ。
奴はウイルス型の術式を介して龍脈の流れを不安定なものにさせている。
生まれついての精霊としての性質も、負の属性を司るものだ。歪みや澱みの蓄積も……当然加速するだろう。
「あれは――違うわね。本来なら強い種の誕生は私としても喜ばしく思うのだけれど……恐らくあれは後に続く物が何もない。どうしようもなく外れているように感じられたわ」
そう言ってかぶりを振るジオグランタ。
ティエーラも、そうだったな。全ての種族の進化や将来の可能性を大切にしていた。ジオグランタもそれは同じなのだろう。
だけれど……奴は強くはあっても種族ではない。
ジオグランタが感じた「外れている」というのはそういう事だ。周りを食らい自分自身を高めはするが、それはどこまでいっても自身のためであり、他と交わる事のない、単体で完結した存在だという事なのだろう。
検証による裏付けがあるわけではないが……世界を司る精霊の見立てだ。生命としての特性の部分に関しては間違いない。少なくとも種族として繁殖しないというのは、良い情報ではあるか。
「やはり……交渉や対話の類は期待できなさそうだな。何事も捕食して奪えば良いのではその余地すらない」
「そうですね……。成り立ちを考えても、奴にとって他者は敵と言うよりは……自分を高めるための資源のようなものなのでしょうし、それを目的として動いているように思います」
メギアストラ女王の言葉にそう答え、ジオグランタに向き直る。
「……敵からの呪法を防ぐために、ジオグランタさんには更に防御用の術を幾つか施しておきたいと思います。現状の魔界の歪みまで戻すものではありませんが、相手の手札がやはり呪法だったと裏付けが取れたからには、これ以上の奴の干渉による状況の悪化は防げるはず」
「それは――助かるわ」
ジオグランタが頷く。ウイルス型の術に対しては対抗策を確立しているからな。状況の悪化を防ぐ事はできる。歪みを戻すためにも浄化の儀式は行う必要があるが、それはやはり諸々が終わってからだ。術式を除いてもベルムレクス自身の存在が原因でもある。
それに奴が力を横取りする為に使う方法があると仮定しても、その為の術式系統が未知数なので、こちらの手札で完全に阻止可能だとは限らない。懸念材料を除いてからでなければ儀式を行うのは軽率だろう。
ジオグランタは少し思案していたが頷くと、俺の頬に軽く触れてくる。すると、仄かな光が俺の身体を覆う。
「これは――」
「貴方は……あれと戦うつもりのようだから。これからの戦いに赴く貴方とその仲間達に、私の加護を。今の私にできる事はこの程度だけれど……隣り合う世界から助けに来てくれた貴方達には、せめてこれぐらいはさせて頂戴」
「助かります」
そう言ってもらえるのは……嬉しいものだな。信頼してくれたからこその加護。しっかりと期待に応えたいものである。
「なら良かったわ。それから……私の事はジオで良いわ。敬語もいらない」
「それは――分かったよ、ジオ」
そう答えるとジオグランタは嬉しそうに頷くのであった。
そうして――。パルテニアラから習った術式やネフェリィの遺してくれた術式でジオグランタに対する呪法への防御をいくつか施し、俺達の意識は夢の世界から儀式場へと戻ってくる。
「お帰りなさい!」
「お帰り、みんな!」
アシュレイとイルムヒルトが明るい表情で迎えてくれる。みんなも笑顔になっていた。
「ああ、ただいま」
そう言って、笑みをみんなにも返す。
まずは――そうだな。色々話をする必要もあるが、ジオグランタへの防御術式を固定化するために魔法陣を構築しなければなるまい。この場所に描いた魔法陣を一旦消して、改めて魔法陣の描き直しをしてから、腰を落ち着けて話をするとしよう。
魔法陣を描いてジオグランタに施した術式を固定。幾つかの魔石を配置し、魔法陣の効力維持の役割を担わせる。
「この魔石に魔力補給をしてやれば、ジオグランタへの防御術式が維持される、というわけだな」
メギアストラ女王が言う。
「そうですね。敵が呪法による攻撃を行った場合、消耗が激しくなる可能性がありますが」
「その辺は我らが担当しましょう」
ボルケオールが自身の胸の辺りに手を当てて、請け負ってくれた。ファンゴノイド達はそれぞれ結構な魔力を持っている。種族全員魔術師適性があるという印象だし、秘密の儀式場についても知っている。当分の間はこれで大丈夫だろう。
奴が俺達を無視して呪法による遠隔攻撃を仕掛け続けるつもりなら、消耗させてからの直接対決に持ち込む事も可能だ。向こうもそれを想定するならば……少しの間は動きを抑止する効果もあるかな。
そうした作業も一段落したところで、ファンゴノイド達の住んでいる地下区画へと移動する。みんなで腰を落ち着けてジオグランタと会って話した事、分かった事をみんなにも伝えていく。
「そう、か。ジオグランタ様はそんな事を……」
「だとしたら尚更……私も力になりたいと思います」
「そうね。私も改めて気合が入ったわ」
ジオグランタの言葉。魔界の今の姿と――そこで生きている者達が好きだと言っていた事を伝えると、パルテニアラとエレナ、そしてクラウディアも目を閉じたり胸に手を当てたり……それぞれに感じ入っている様子だった。
ジオグランタの想いが……彼女達の後悔や罪悪感を和らげてくれるならと、そう思う。
それから……ベルムレクスについての話。
「現時点でこれ以上の呪法攻撃が行えないように対策は取ったけれど……歪みや澱みの蓄積も、ベルムレクス自身が原因になっているな」
「うむ。結論としては……やはり奴を打倒する事が先決となる」
メギアストラ女王の言葉に頷き、それから俺の感知した奴の居場所についての話をする。
ここから遥か南方に奴は居を構えていた。大凡ではあるが各都市の想念結晶との位置関係との縮尺で具体的な距離も掴めている。
その場所に何があるのかを尋ねるとメギアストラ女王とエンリーカの表情が揃って険しいものになった。
「その位置になると魔王国の力が届かぬ辺境外ではあるが……よりによってか。エンリーカ」
「はい」
メギアストラ女王の言葉に頷いて、エンリーカは地図を広げる。俺の口にした場所を指で追っていく。完全に魔王国の版図から出て、地図に記されていない白地の土地に、エンリーカは小石を置いた。
「距離的にはこのあたり、になりますか。南方のその付近には蛮族達や危険な魔物が数多く住まう土地があると言われています。過去の歴史では増えた蛮族による幾度かの北上――大侵攻があり、その度に魔王国と一つになる前の各国は大きな被害を出してきました」
「聞いた事があるな。噂じゃ大侵攻を率いていたロード種のゴブリンが齎した情報だったか」
エンリーカの言葉にブルムウッドが腕組みしながら言った。エンリーカは頷いて言葉を続ける。
「その噂は真実ですよ。力に劣る者が尖兵となった。侵攻は口減らしを兼ねたものに過ぎない……という言葉を残したという記録があります。敗北したロード種の機転で、故郷への逆侵攻を避ける為の方便だったのかも知れませんが……」
「いずれにしても過酷な環境でもあるため、こちらから侵攻しても益が無い土地と見られていますな。前回の大侵攻に魔王国が完全勝利を収めた事から力関係的に侵攻を抑制しているという見方が大勢を占めていた背景もありますが」
ボルケオールが補足説明をしてくれた。
「近年の動きは……どうなのでしょうか?」
グレイスが口元に手をやり、思案しながら尋ねる。
「魔王国が近隣を統治して以後、蛮族との力関係の優劣ははっきりついた。近年での活動はますます下火になっている。しかしどんな方法であれ、ベルムレクスが南方を支配下に置いたのなら……その意味自体が変わってくる」
メギアストラ女王は、グレイスの質問の意図を理解した上でそう答えた。
下火になっている。その理由の真実がベルムレクスが支配して力を蓄えているから動きが少ない、だった場合は状況が最悪だと言える。
蛮族とされる種族は交渉や融和の難しい気性や性質の連中だが、死霊術なり呪法を使って無理矢理兵力に仕立てあげてしまえば話は別だからだ。




