番外733 大渓谷の跡地にて
「では――気を付けるのだぞ」
「はい。陛下もお気をつけて。敵は搦め手で来る場合もあります」
「そうだな。油断せずに気を引き締めるとしよう」
魔王城の一角に見送りに来てくれたメギアストラ女王は、俺とそんなやり取りをしてから、どこか楽しそうに笑った。
「ふっふ。こうして心配されるというのは中々新鮮な感覚だな。悪くない」
「ああ。それはやはり、竜種だからでしょうか?」
「うむ。魔王国の者達は臣として余が自ら動こうとした時に止めてはくれるが、元の姿を知っているからな。強さを疑うのは竜の誇りのようなものを傷付ける、と思っているのかも知れん。余は――というより黒竜は、あまりその辺は気にせんがな」
と、愉快そうに笑って肩を竦めるメギアストラ女王。なるほどな。それは確かにあるかも知れない。竜には気性が荒く、誇り高くて気難しい、というイメージは確かにあるし、数少ない遭遇の報告例でも実際そうだったりする。
その点、水竜親子は思慮深いし基本的に穏やかな性格だ。ヴィンクルの場合はラストガーディアンだからやや特殊な立ち位置だが、気性が荒いという事はないな。
黒竜の場合はどうかと言えば、メギアストラ女王によれば仮に敵対者が自分を侮っていると感じたら与し易い、と思うそうで。為政者としての性質も持つ魔王が務まるのも、黒竜のそうした知性故、だろうか。
「強者でありながら油断していないそなたの方針は、好ましく映るのかも知れんな」
なるほど。そういう種族的な高評価点もあって、ああいう反応に繋がるのか。アルディベラも「わかる」と言うように目を閉じて頷いていたりするし。
まあ……いずれにしても他の竜種に会った時は、そうした性質の違いも念頭に置いておこう。
通信機と同様、ハイダーとセットで水晶板モニターもメギアストラ女王に預ける。通信機と違って執務や公務の際に持ち歩けるわけではないが、単純に話をするだけならこっちの方が手っ取り早いからな。
そうしていつものようにしっかりと人員の点呼を済ませ、俺達はシリウス号に乗り込む。目標は……予定通り浮遊宮殿の沈んだ場所だ。アルディベラとエルナータも一緒である。
「魔界の危機とあらば我らも無関係ではない。娘の未来を守る為でもあるし、友であるテオドール達が行くのなら尚の事だ」
アルディベラ達は魔王国に仕えているわけではないが、そんな風に言ってくれた。アルディベラも恩義に厚い事だ。
「それじゃ、アルファ。行こうか」
と操船席の傍らに座っているアルファに声をかけると、こくんと頷いてシリウス号がゆっくりと浮上し出すのであった。
道中は索敵に力を使って魔物を避けながらの移動となった。
迷彩フィールドを纏って高速移動しないのは、魔王国内に同盟を知らしめる意味合いがあるし、俺達が襲撃者に対しての囮役でもあるからだ。
調査が目的ではあるが公式にヴェルドガルと魔王国の同盟を喧伝する事で、敵――襲撃者の反応を引き出し、動いたところを狩る、というのも視野に入れている。
「その分、索敵してくれるみんなには負担がかかるところはあるけれど」
「ん。平気」
シーラが答えるとシオン達も頷き、ティアーズ達がマニピュレーターを振って応えてくれる。
「ああ……何と素晴らしい船なのか……。ふむ。差し支えなければ、私も移動中は水晶板で監視に回りましょう。役職柄監視任務もできますので」
エンリーカはそんなシリウス号の艦橋の様子を見て興味深そうに感動の声を漏らした後、そんな風に申し出てきた。普通にありがたいので、俺も頷いて応じる。
「ありがとうございます。では、お願いします」
「頑張ります」
「じゃあ……水晶板の使い方を教える……」
シグリッタがあれこれと説明するのをエンリーカは真剣な表情で耳を傾けていた。
街道上空を進むことで危険地帯を避け、生命感知の魔法で魔物の群れを事前に見つけて回避する。
襲撃者の正体は定かではないが、合成獣の類なら生命感知に引っかかるのは間違いない。魔法生物であれば……これは作成方法によるか。
例えば……同じ魔法生物でもテンペスタスはライフディテクションに反応するが、ティアーズは感知できないといった具合だ。だから今回は生命反応の過信は禁物である。
襲撃者はある程度変身、変形が可能なようなので、今回の場合はこちらを見失わない程度の速度でついて来る物体や生き物が警戒の対象、ということになるな。
「まあ、今回はあまりすぐには反応して欲しくはないという部分はありますが」
「と仰いますと?」
ボルケオールが首を傾げる。
「僕達が王都に到着してからそれほど時間も立っていないからです」
「察知できる距離にいたという事は、王都内部、或いはその近辺に潜伏している可能性が高くなるわね」
ローズマリーが言うと、ボルケオールは「なるほど……。それは確かに」と頷いていた。
『その場合は、すぐに対策を取ろう』
と、メギアストラ女王。水晶板モニターを使ってこのやり取りも伝わっているし、執務で水晶板から離れていても通信機は携帯する事になっているので、道中の索敵で警戒対象が引っかかった場合はすぐに動いてくれるだろう。
飛行系の魔物も街道沿いを進めば、そこまで多くは遭遇しない。
辺境が近付くに従って魔物の数も増えるが、迂回や加減速でやり過ごしながら、こちらに向かって不自然な動きを見せる敵影がないかを確認しつつシリウス号は進んでいく。
そうして……目的の地帯に辿り着いた。今回においては幸いというべきか、敵らしき追跡者は一先ず見当たらなかった。まあ、罠にかからなかっただけ、という可能性もあるから、これで王都に潜伏している敵がいないと判断するのは早計であるが。
「やはりモルギオンさんの記憶からもまるで環境が変わってしまっていますね」
モニターから見える景色を見ながらグレイスが言う。そうだな。かつての大渓谷も溶岩で埋まって、辺り一帯鬱蒼とした森になってしまっているが。
「まずは……やはりモルギオンさんとネフェリィさんの暮らしていた場所を見つけて、そこを基点に調査を始めるのが良さそうですね」
地層を調べて溶岩の痕跡を調べる事で元の大渓谷の形を特定して……と、この場所の調査に関してはそんな風に考えていたが、モルギオンの見せてくれた記憶のお陰で少し状況も変わった。
ネフェリィは沈んだ浮遊要塞を長年監視していたが、月の民でありながらエルベルーレの呪法技術も有していた人物だ。後世で必要になった時の為にと、拠点を整備して研究もしていたようだからな。
だからまずは……二人の住んでいた場所を探す事から始める。
研究が何か役立つ物が残せるようにと、拠点が壊れないように魔法で強化していたからな。エルベルーレ遺跡同様、何か残っている可能性は高い。仮に保存状況が悪く、ネフェリィとモルギオンの研究が残っていなかったとしても……拠点からの方向と距離で浮遊宮殿の沈んだ大体の位置の特定が可能なはずだ。
「記憶では拠点に目印も残していましたが……それも森に呑み込まれていそうですな」
オズグリーヴが思案しながら言う。
「拠点のある場所は溶岩の流れを避けていたからね。大幅に地形が変わっているわけじゃないなら……まだ何とかなるかな。手っ取り早い方法で駄目なら、みんなの力も借りて調べる事になるけれど。森の木々間――地表の形を調べるなら、良い方法がある」
みんなにそう言って、甲板に出る。
空中に浮かんで、循環は使わずマジックサークルを展開。環境魔力を取り込んでオリハルコンで力を増幅。
「おお――。あれは――!」
「ヴァルロス殿の術か……!」
俺が何をしようとしているのか察した、ウィンベルグとテスディロスの表情が明るくなる。
そうだ。使うのは――ヴァルロスの技……重力ソナーの模倣だ。
以前使って分かった事だが、重力ソナーについてはヴァルロスの他の術と違って出力はそこまで必要としないから、循環を使わずにオリハルコンのみの魔力変質と増幅でも何とか再現できる。射程距離の問題もこれである程度補う事が可能だろう。まあ……それでもヴァルロスのように見渡す限りに波を届かせるという事はできないが。
月の民とエルベルーレの因縁。そしてその後始末、か。
ヴァルロスにも……力を貸してもらえるだろうか。そんな思いを胸に抱きながら眼下に広がる森へ向かって重力ソナーを解き放つのであった。