番外730 贖いの為に
「幻滅したでしょう?」
そう言って、諦めたように笑うネフェリィに、モルギオンは首を、というよりは頭全体を横に振る。
「そうは……思いません。私とて家族を天秤にかけて、どちらかを取れと言われたら思い悩むでしょう。自分でも同じ立場になった時にこうする、等と言えないのに、それを責める事などできはしないし……貴方は道を間違ったと知って、自ら、行動の結果を引き受けようと、そんなになるまで頑張ったのではありませんか。こういうのを……そう、責任、と言うのでしたか」
モルギオンの言葉に、ネフェリィは目を閉じる。
「その程度……払い切れるものではないし、それで何かが変わったわけでもないもの」
「貴方は殿下の敵だと言っていましたし、外の話は聞かせないようにしてきましたが、そういう事情なのであれば……」
モルギオンはそう前置きをして、ネフェリィの目を真っ直ぐに見やる。
「エルベルーレの王を打倒したと、そうパルテニアラ殿下は仰っていました。王やその側近達は倒れ、宮殿は谷に落ち、溶岩に飲まれたと。であれば貴方の行いも殿下の勝利に寄与しているのでは?」
ネフェリィのした事はパルテニアラが現状を変える手助けにはなったはずだと。モルギオンが言いたいのはそういう事だ。何かは変わったではないか、と。
そして、大体の時期も分かった。パルテニアラがエルベルーレ王を打倒した後、という事になる。
「意味が有ったか無かったかを、論じる気はないわ。私が言いたいのは……私なんかの肩を持っても良い事なんて、何もないという事よ。友達と言ってくれたのは嬉しいけれど、だったら尚更……迷惑をかけられないわ」
モルギオンはネフェリィを見たまま、はっきりと言葉を伝えていく。
「私は他の誰でもない、貴方だから生きていて欲しいのです」
「どうして……こんな裏切り者に……」
「貴方が、自分の罪を告白してでも私の身まで案じてくれるような方だからですよ。私が貴方を友人と呼んで、そんな風に思ってくれたのも嬉しくはありますが。家族の事。精霊の事。それらを気に病んで、迷うのは貴方が、情に厚い方だからに他ならない」
モルギオンのその言葉に、ネフェリィは目を閉じて涙を零す。
「一人で静かに消えたかったと言いましたが……本当は贖罪を望んでいるのでは?」
暫くの沈黙の後で、ネフェリィは言った。
「考えて……みるわ」
モルギオンは目を細めて頷くと、その日は小屋を後にしたのであった。
そうして……また記憶の場面が変わる。前の記憶からどれぐらいの時間が過ぎたのかは分からないが……モルギオンが会いに行くと、ネフェリィはどこか吹っ切れたような表情をしていた。
「……生きるわ。そして、私は私のしたことを償う。姫様に自首するとか、そういう事ではなくて……身体が治ったら魔界に残って……私は私の命がある限り、谷に沈んだ宮殿に異常が起こらないか、見守ろうと思うの。呪法……エルベルーレの魔法技術は、油断ならないから。死者の恨み辛みですら武器になるのだし」
確かに、な。ドラフデニアの悪霊等がその最たる例だ。
ネフェリィがそう伝えると、モルギオンは目を細めて「良いと思います」と言ってから、言葉を続けた。
「では、私も……共に行きましょう」
「は? なんでそうなるの?」
「私には仲間はいますが、貴方は一人ですから。友達であれば当然でしょう?」
そんな風にしれっと言うモルギオンに、ネフェリィは呆れたような表情になる。
ついて行く、連れていかない。勝手についていく、だとか押し問答をしたり……ファンゴノイドが谷から出て大丈夫なのかとネフェリィが問えば、モルギオンは魔法を使えば問題ない等と答え……そんなやり取りを交わした後に、結局パルテニアラに谷の場所を既に聞いているとモルギオンが言って、ネフェリィが渋々折れたのであった。
そうして……モルギオンは仲間達に外の世界を見てくると告げて、ネフェリィと共に旅に出た。
大渓谷の溶岩に埋もれつつある宮殿を見つけ、その近く――なるべくモルギオンの過ごしやすい場所――に居を構え、更にモルギオンの負担が減るように魔道具を作ったりして、二人で静かに暮らした。
そんなその後の幾つもの記憶が浮かんで、流れるように消えていく。月の民ネフェリィと、ファンゴノイドのモルギオンの穏やかな共同生活と、溶岩に埋もれた宮殿の監視と。
モルギオンは――元の身体の寿命が来る前に、一度谷に帰っている。知恵の樹にこれらの記憶を残す為、だ。後世の為であり、そしてそれは、ネフェリィが生涯をかけて贖罪を果たした証でもある。
ネフェリィと共に魔道具作りも覚えて……みんなに技術を教えたり。それが今のファンゴノイドの役にも立っているようだ。気温や湿度に関わらずファンゴノイドの活動を助け、身体を守る。ローブ等々の技術はそこから来ているのだろう。
「この記憶は――いつか誰かの役に立つかも知れません。ですから、彼女の成した事、残そうとした想いを役立ててあげて下さい」
モルギオンのそんな言葉――強い思念と共に追想が終わる。
他にもいくつか月の民やエルベルーレに反応を示す記憶を探って――それから知恵の樹との接続を切って意識を戻していく。
浮かんでいた幻影も消えて、俺達も魔王国の面々も……みんな静かに今見た記憶について考えているようだった。
ゼノビアの事等、色々気になる事はある。記憶の欠片が俺を呼んだのも、今の状況に役立つかも知れないと、知恵の樹にモルギオンの残した思念が感じたからだろうし。
今の問題に直接繋がる話ではないが、まだ魔王の儀式回りの事は詳しく聞いていない。魔界の不安定さの加速が……仮に敵の攻撃によるものだと仮定して。特にそれがエルベルーレの技術に由来するものならば。手口を特定する事も不可能ではないはずだ。妨害がないのなら迷宮核の演算も含めた知識や魔法技術で対策を考える。
「――なるほど、な。こんな事があったとは。月の民、か」
メギアストラ女王が目を閉じる。
「ネフェリィさんは……モルギオンさんが一緒にいてくれて、良かったと思います」
「そうだね。支えがあるから、頑張れるって言うのは分かる」
アシュレイが静かに言う。俺がそう答えると、マルレーンも真剣な顔でこくんと頷いていた。
俺やアシュレイにとって母さんやグレイスがそうであったように。マルレーンにアルバートやオフィーリア、ペネロープがいてくれたように。グレイスと視線が合うと、俺に微笑んでくれた。
ネフェリィのしてしまった過ちについては……何も言うまい。糾弾するにも今更だし、何より彼女は言葉を違えず、その生涯を贖罪の為に過ごしたのだから。
「ん。友達が、一人でもいれば辛い事があっても大丈夫」
「ふふ。私達もそうだものね」
シーラがそう言うと、イルムヒルトも頷いていた。
「二人は、大丈夫?」
クラウディアとパルテニアラに尋ねると、二人は俺を見て微笑む。
「ええ。私は大丈夫。今はみんながいるから。月の民も過ちを犯したけれど、それを正す為にも今は前に進んでいくわ。シュアストラスの者として、ネフェリィの想いに応えるためにもね」
クラウディアは、胸のあたりに手を当てて言った。
「妾に話をしていれば、何か違っていたのかも知れないが……言っても詮方の無い事か。贖罪の証は――確かに受け取った。エルベルーレの王女、ベシュメルクの始祖として、ネフェリィの罪を赦すと、そう宣言する。ここにいる皆が証人だ」
「パルテニアラ様に連なる刻印の巫女として、確かに聞き届けました」
「同じく、ヴェルドガルの王族に連なる者として、証人となります」
パルテニアラの言葉に、エレナとステファニアもそう言って応じていた。
「ファンゴノイドの皆が聞き届けているし、モルギオンにも伝わりそうね」
と、ローズマリー。「その通りです」と嬉しそうなファンゴノイド達に言われて、羽扇で表情を隠したりしているが。
ネフェリィの贖罪が正式に許されたという事で、それを祝してファンゴノイド達と食事会等の交流を深めながら、新たに分かった事を話し合っていく、というのが良いかも知れないな。