番外695 谷に起こった出来事は
魔力増強剤の需要増。魔界でのファンゴノイドの立ち位置と、その行方が不明になっている事。エルベルーレの浮遊城に関して。魔界での話を諸々終えると、メルヴィン王達は真剣な表情で思案していたが、やがて口を開く。
「――幾つか議題にするべき事、確認するべき事はあるが……魔界の住民の話を聞いていると、少し気になった事がある。彼らは対話が可能で、人情や義理といった道理を通す、という友好関係を築ける者達ではあるようだが、どうも感性の面で余らと若干の違いがあるようだ」
ああ。そうだな。ディアボロス族のオレリエッタはバロールを一目で気に入っていたし、ヴェリト達もバロールに対しては可愛い生き物と言う反応だったように思う。
まあ、バロールは接してみれば仕草等に割と愛嬌があるのだが、ルーンガルドの住民の場合は、初見だとそういった反応をされるのは稀だと思う。
「つまりだ。我らが魔界の環境を見て落ち着かないと思うのと同じように、彼らがこちらを見ても落ち着かない、という事もあるのではないかな?」
「それは……確かに有り得そうですね」
安全か危険か、ではなく。生まれ育った環境が落ち着くというのは分かる。同意するとメルヴィン王も一つ頷いてから言った。
「であれば、お互いに入植を考える土地としては魅力が薄れる、というわけだな。まあ……そういった理由よりも資源の採掘や魔法的な利用研究であるとか……かつてのエルベルーレ王やザナエルクのような動機で行動を起こす野心家の方が厄介だから、あまり気休めにはならぬのだがな」
なるほど。魔界の住民にとってこちらの環境が感性的に受け入れにくく見える場合、少なくとも単なる入植や移住先、領土拡張目的の侵略行動は考えにくくなるだろうというわけだ。
ルーンガルド側の住民にしてみれば、パルテニアラ達は魔界からの脱出を目的としていたし、ザナエルクは魔界を利用しようと画策していた。だからその指摘は合っていると思う。
では魔界の住民の感性はどうか、となると……まだ情報が足りていない気がする。いずれにおいても、注意すべきは確固たる目的を持った野心家、ということになるな。
「そうですね。機会があればルーンガルドの環境を幻術で見て貰って反応を調べておきます」
魔界の住民から見てルーンガルドがどう映るか、というのは今後の参考になるだろう。俺の返答にメルヴィン王は頷く。
「うむ。では、余ももしもの時の為に書状を認めておこう」
「ありがとうございます」
というわけでメルヴィン王への依頼はこれで大丈夫だろう。
「それじゃ僕達は……ブルムウッドさん用の魔道具作りかな」
「そうだね。調整した封印術の術式はもう書き付けてあるから、話し合いが終わったら渡すよ」
アルバートの言葉にそう応じる。封印の強度を緩くして、ブルムウッドの意思で解除できる、という、通常の特性封印からの応用版である。
まあ、ブルムウッドの再発防止用魔道具についてはこれで大丈夫だろう。
「胞子の谷と浮遊城周辺の地質調査については、調査方法も決まっているのかな?」
「前者は土壌や年輪といった資料を集めてありますので、この後解析を行う予定です。浮遊城周辺については……そうですね。メダルゴーレムを利用して広範囲の調査を、と考えています。かつての大渓谷の規模が相当なものだったので、溶岩流の痕跡自体は見つけやすい方なのかなと」
「なるほど。どちらも問題無さそうだね」
そう答えるとジョサイア王子は笑顔で頷いた。
他に話し合うべき内容としては……メルヴィン王達としても「魔王もだが、やはりファンゴノイドが気になる」との事だ。
「かつてパルテニアラと接点を持っていた事を考えると、その中で得た知識を誰かに伝えている可能性はあるわね」
「それ故に賢人と呼ばれる、か。有り得そうな話だ」
クラウディアの言葉に、メルヴィン王は目を閉じる。
過去の事を今に伝えている、かも知れないという事。
それに思考形態や種族としての性質の違い。現在行方不明である事等々……色々と気になる要素が多いというか。
まあ、現時点では胞子の谷と似たような環境を探す事と王都での情報収集しか足取りを追う方法がないのだが。
「魔王や魔力増強剤に関しては……現時点では何とも言えぬな」
「そうですね。こちらは情報収集が必須と言いますか」
治世を敷いている人格者だとしても、王であるなら立場故に行動しなければならないところがある。魔王とその王国の背景を知った上で利害を考えなければ交渉の場には立てないだろう。それでもメルヴィン王に書状を認めてもらうのは……衝突を避ける為の次善の策といった意味合いが強い。
増強剤に関しても用途が不明なので今後の調査に期待だな。
そうして新たに判明した諸々の事をメルヴィン王達と相談してから一区切りをつける。メルヴィン王達は湖の遊覧目的で来たという名目なので、今日と明日、フォレスタニア城に滞在するとの事だ。
胞子の谷に関する調査はすぐに進めておいた方が良いと思うので、俺はそのまま迷宮核へと向かった。何かしら新しい事実が分かった場合に、すぐに顔を合わせて相談できる状況だからな。
術式の海に浮かび、現場の温度や湿度、年輪や地層の状態等をデータとして迷宮核に渡し、年月ごとの気候の変化を調べてもらう。
「……四季がない、と」
迷宮核が、まず地上との違いとして伝えてきた事は――明確な四季が無い事であった。
確かに、な。季節というのは公転によって太陽との距離等に変動があるから生まれるもので……魔界がそれのみで完結しているのなら四季が無いというのも当然か。
便宜的に年輪と呼んでいるが木の断面にもそれは現れていて、はっきりとした円形の模様にはなっていない。長い周期で微妙な寒暖差の変動はあったようだが、極端なものではなく誤差の範囲で、結構な間安定している、というのが窺えた。
実際魔界では太陽も星も無いから昼夜の区別はないようだし、植物も陽光に頼らずとも活動できるように独自の進化なり、魔界の影響による変化なりを遂げているようだ。
太陽がないからと氷に閉ざされた世界になっているわけでもない。まあ……雨が降ったりといった天候の変動は日常的に起こっているようだが。
そういった環境は……やはりティエーラやコルティエーラの力の一部が魔界に吸収されたから、だろうか。
ティエーラは生態系の壊滅を望んだりはしていないからな。そうした彼女の性質が魔界に流れ込んでも残ったとしたら……例えば太陽が無くとも生きていけるように、世界やそこに住まう生物の変化を促進するような環境を作り出した、という事は有り得る。
だとするなら、変異を起こす場所がパルテニアラの知っている時代に比べて少なくなった理由も……分からなくもない。魔界が安定するに従い、そこで生きる者達も適応が完了したならば、変異点もその役割を全うしたという事になるからだ。
と、思案している内に迷宮核の解析も終わる。
「ふむ……」
解析の結果は……一昔前から近年に至るまで胞子の谷の気候や天候に大きな変化がない、というものだった。
さて。これはどういう事なのか。環境が変わった、とファンゴノイドは言い残して移住したそうで、俺達は湿度などの環境の事かと受け取ったが、そういう意味ではない、のかも知れない。
その解析結果を迷宮核の外で待ってくれているみんなにも通信機で伝える。
「例えば他に危険な生物が周囲に住み着いたから、環境が変わって住みにくくなった、と言っていた、とか?」
イルムヒルトがそう言うと、ステファニアが顎に手をやって頷く。そうだな。環境というのは外部に関する事だ。天候、気候でないのならそういった理由は有り得る。
「有り得るわね。その危険な生物にしても魔物とは限らないわ。彼らの知識を脅してでも得ようとするような輩の事を指して住みにくくなったと言ったのだとしたら……」
「行方を眩ますのに十分な理由にはなるわね。里は特に荒らされていなかったようだから、里が襲われて捕食されたとか、無理矢理連れ去られたとか、そういうわけでもなさそうだけれど」
ローズマリーも羽扇で口元を隠しながら言った。シーラが「ん。そういう痕跡はなかった」と頷く。そうなると……ファンゴノイドにとって交流のある国の元首である魔王はどういう立ち位置になるのか。
彼らの知識を欲して敵になったか、それとも元々懇意にしていた味方なのか。これは……王都での調べ物がますます重要になってしまった気がするな。