番外669 魔界
シーカーによって映し出された風景は――ベシュメルク王城の地下に良く似た、大きな円型の広間だった。
床に紋様が描かれて、壁や天井にいくつも魔石が埋め込まれ……防衛用の呪法が組まれている事が窺える。
一先ず……魔界側の門も地下施設も無事である事が確認されたか。一部柱が倒れていたり、老朽化しているのも窺えるが……根幹部分が無事であるなら、呪法を幾重にも重ねて強化していく、というような記述になっているらしい。これも経年劣化対策というところか。
「空気は――大丈夫か」
「過去には門を開けて封印の確認をする事もあったからな……その際に新鮮な空気も流れ込んでいるであろうし」
俺の言葉にパルテニアラが答える。
シーカーには魔界探索用に改造が施されており、空気の状態を判定して数値としてモニターに示す事ができるが……立ち入ってもすぐさま酸欠になったり、有毒ガスが発生している、という事はないようだ。その他の危険。例えば異界故に時間の流れがこちらと違う、なんて事もない。
この地下施設に対して不正規の手段で近付こうとした場合や立ち入ろうとした場合――忌避感や不快感、不安感が生じるというような、人払いの為の術を施してあるらしい。
それでも相手が立ち去らず、内部に侵入しようとした場合、パルテニアラの組んだ呪法兵が起動する。
「施設は健在。自然な感覚に訴えて相手に近付く事を忌避させる方法は、長期的な視野で見るとかなり有効のようね」
ローズマリーが思案しながら言った。そうだな。俺達は正規の手段でのアクセスだからそういった物は感じていないし、呪法兵も起動していないからそれらがどれほどの物かは体感できない。だが、有効性についてはこの施設が無事である事からも分かる気がする。
広間の床や柱に描かれている紋様は、それらの呪法を組むために必要な術式そのもの、というわけだ。施設自体に対する外からの攻撃には反射呪法が発動する等、かなり強固なセキュリティが組まれている。
置かれているのが魔界の門である事を考えれば、この厳重さも当然と言えるだろう。
「ふむ。まずは――広間から出て防衛用の区画を見ておくか」
「こちらでしたね」
水晶板モニターを見ながらパルテニアラが言うと、シーカーを操作しているアシュレイが頷く。地下施設については事前に模型を作って、みんなで構造を把握済みだ。
魔界の門が置かれた広間の上に自然の空洞を装った防衛用区画があり、呪法兵が起動した場合はそこで戦闘を行う事を想定している。
居住区画等はない。魔界の門が置かれた区画から隣接する管理者用の部屋が一つあるぐらいで、そもそもここに留まる事を想定していない。シーカーで隅々まで見て回り、異常や侵入者が無い事を確認。
「よし。内部に進んでも問題無さそうだ。変容防止の魔道具は、念のために今から発動させておこう」
そう言うとみんなも頷き、魔道具をしっかりと起動させる。
「では――私達はここまでですね。もう少し待機してから、一旦地上に戻ります」
「武運を祈っている」
ガブリエラとスティーヴン達が言う。
「ああ、ありがとう。第一次報告の時にまた」
「はい。また後程」
最初の探索は短めの期限で区切り、早めに報告を入れる、という事になっているからな。地下施設周辺の状況を探り、地下にシリウス号が格納できる空間を作って行く事になるだろう。
「行ってくるね」
「スティーヴンお兄ちゃん達も気を付けて」
「ああ。カルセドネとシトリアもな」
スティーヴン達とカルセドネ、シトリアがそんなやり取りを交わしイーリスやユーフェミアにハグされたりして別れを惜しむ。
「それじゃあ、テオ君。十分に気を付けて」
「ん。後詰めの皆の支援はよろしく」
「ああ。任された」
ここまで見送りに来てくれたアルバートとも真剣な表情で言葉を交わし、顔の高さで掌を合わせる。そして互いに笑みを浮かべた。アルバートと工房の面々は――後詰めのみんなを魔道具で支援する役割を担う。ルーンガルド側に残る技術班、というわけだ。
「後詰めの方々に関しては後程、私が外までお送りします」
そう言ったのはティエーラだ。地上への脱出に関してはティエーラと防衛部隊のティアーズ達が受け持ってくれる。管理者なので問題はないだろう。
そうして俺達はティエーラとコルティエーラ、ガブリエラ達に見送られながら一人一人魔界の門を潜り――魔界側へと侵入する。
陽炎のように揺らめく境界を越えた瞬間、温度や湿度、空気の質、魔力の質が変わったのを知覚した。迷宮の別区画に入ったような感覚。だが……魔界の門も地下施設も何も変わらず、静けさに包まれている。環境魔力はかなり濃い。地下設備のせいか、それとも魔界自体がこうなのか。
思考を巡らせつつも、俺に続いて後から入ってくる面々の魔道具が起動しているのを一人一人確認していく。
「周辺に……新しい足跡等は無い。床に積もった砂埃も一定で、問題無し」
「温度の変化――もないわね」
「私達以外に感情を持つ存在も私の感知できる範囲にはいないわ」
シーラが手早く周囲の床を確認してから言うと、イルムヒルトとエイヴリルも周囲の状況を見回して結果を教えてくれる。
「そうだね。ライフディテクションでも反応は見られない。魔力反応は――あちこちあるけどこれは施設の物だろう。反応の変化もないから、特に呪法が誤作動している事もなさそうだ」
ウィズの各種計測にも問題は生じていない。ルーンガルド側に配置したハイダーと、俺達が魔界に連れてきたハイダーの通信も問題なし。空気を生成、清浄化する魔道具も持ち込んであるので当面の問題もない。
「呪法兵が誤作動しないように一旦呪法を停止しておこう。エレナ、少し手伝ってくれるか?」
「はい、パルテニアラ様」
パルテニアラと共に、魔界の門の近くにある魔石に触れて呪法を操作し、エレナが刻印の巫女として仕事を進めてくれる。
こうした地下施設の呪法の根幹部分は魔界の門のその周辺に集約されており、門の修繕と共に周辺の呪法設備の修復も可能であるらしい。
周辺の紋様、魔石は呪法強化なので最低限の機能は維持されるし、管理も容易になるわけだな。
手持ちの荷物を管理用の小部屋に置いて、カドケウスとバロールを動かしたり、ピエトロの分身、アピラシアの偵察蜂といった人海戦術で地下施設内の確認をしていく。そうやって虱潰しに確認を進めていけば、施設内が安全である事は確認された。
防衛用の呪法も人払いのみの起動となっており、これで俺達が施設の改造やら何やらと行動を開始しても大丈夫な下地が整ったと言えるだろう。
「ここからは地上の状況を見るのよね」
「そうだね。シーカーを地上に移動させないといけない」
ステファニアの言葉に頷く。というわけで続いては戦闘用区画からシーカーを地上へ向けて移動させ、その様子を見ていくことになる。
「ここからが本番ですね」
と、真剣な面持ちのグレイス。マルレーンもこくこくと頷く。
「時代を経てる以上は未知の領域扱いだからね。予断で動くのも危険だし」
かなりの時代を経ているので、パルテニアラの知識が役に立たない可能性がある。
もしかすると人払いの呪法の影響で何かしらの知的な種族が禁忌の地として封印を施したり、神殿の様な物を建造したり……という事も有り得ない話ではない。あれこれ想定をしているが、地上の状況次第でこちらの取るべき方針も変わってくるだろう。
シーカーを操作し、地上を目指して移動させていく。土の中を進んでいくと、木の根らしきものにぶつかった。地表が近いという事だろう。根を迂回しながら進んで、ようやく地表に顔を出すと――そこは森だった。
森、といってもルーンガルドでは見た事のない植生だ。巨大なシダ植物のような物が生えていたり、曲がりくねった木の幹に棘が生えていたりと……植生自体が奇妙ではあるが、そもそも植物の葉に青色や銀色のものが混じっていたり、色彩が俺達の知るそれではないのだ。
多少のリスクは承知でシーカーを周辺の雰囲気に紛れるよう擬態させながら木の上へと登らせる。
「これはまた――凄まじい風景ですな」
オズグリーヴが呆れたように言う。
「一先ずは……空は妾の記憶の通り、ではあるな。森の植生は少し違っているが……」
そう、だな。パルテニアラが言及したが、空の色がおかしい。
暗い紫色や赤のグラデーションで、遠くの空に稲光が走っていたりと、森が途切れた所から荒野が広がっていて、地面に走った亀裂から赤い溶岩のようなものが見えていたり。
魔界という言葉のイメージに相応しくはあるが、どうにも落ち着かない風景だ。浮遊島のようなものも空中に漂っているし。
「あー……。見た目はともかく、空気の組成も大丈夫そうだ」
そこからルーンガルドと違っていたら、そもそもパルテニアラ達とて生き延びられなかっただろうからな。
木の上に登らせたシーカーを動かしぐるっと周囲を見て回らせると、パルテニアラが声を上げる。
「少し前の方向。戻してもらっても良いかな?」
「ええ」
シーカーの視点を少し戻すと……遠くに見える小高い丘陵の上に、何か石造りの残骸のようなものが見えた。
「……かつて我らが暮らした拠点。ベシュメルクの前身となった――エルベルーレ王国王都の残骸だ」
パルテニアラが眉根を寄せて目を閉じる。
なるほどな。王都まではかなり距離があるようだが……都は人が去れば遺跡になってしまい、どうしても人目を引く。だからどこかの段階で離れた場所に魔界の門を設置した、という事になるか。森の地下深くに隠すまで、魔物の襲撃もあったようだしな。
「ともあれ……森がここまで広がっていた事は僥倖ではあるかな」
「そうですね。もう少し周辺を調査しなければ結論は出せませんが、探索拠点の周辺状況としては、割と好条件と言えるかも知れません」
後は敵対的な種族、凶暴だったり強大な生物が森の近くにいない事を期待したいところだが。