番外667 想いと絆を込めて
模型を利用して魔界に到着してからの事を説明していると、サロンに大きな魔力の気配が流れ込んできた。
まあ、皆にも覚えのある魔力だからか、それほどに驚く者もいない。皆の見守る中、ティエーラがコルティエーラと共に、何もない空間からふわりと舞い降りるように顕現してきた。
「こんにちは、皆さん」
「ああ。二人とも」
「魔界に出発する前に集まって最後の確認をすると聞いています。私からも……お願いをしたいと思い参りました」
ティエーラは現れた時の慈愛に満ちた笑顔から、少し憂いを帯びた表情になる。コルティエーラもゆっくりと光の量を強くするような反応を見せていた。
ティエーラとコルティエーラは、ルーンガルドそのものを司る原初の精霊であり、暴走した際の魔力が魔界を生み出したという経緯もある。それを考えると、魔界への移動や活動がどんな影響を齎すか未知数であるため、直接の同行はできない。
「私は……暴走した魔力の行方がどうなったのかまでは知らずに眠りについていました。しかし元を辿れば私達から分かたれた物。もしかすると、私達の手だけで解決が可能な事なのかも知れません。けれど……魔界で生きる者達の事を考えると、そうしたくないと思うのも事実なのです。私の我儘で――困難な道を選択させてしまう事を、申し訳なく思っています」
……そうだな。例えばルーンガルドに影響を及ぼさないように魔界そのものを消してしまう、なんて事も、ティエーラとコルティエーラには可能なのかも知れない。だが魔界の存在がこうして長期に渡って安定している以上、消してしまう事を良しとはできないだろう。だから、お願いをしたいというわけだ。
どんな種族であれ、その成長や営みを見守る。二人にとってはそれが喜びであり、ルーンガルドに生きる者達にとっては文字通りに地母神と言って良い。
ティエーラ達のそうした感情は魔界に生まれた者達にも向けられている。危険性が未知数だからと一切合財を切り捨ててしまうというのは間違っているだろう。
「これは自分達の種族が起こした行動の結果で、その後始末だからね。ティエーラとコルティエーラには、これ以上甘えられないかな。それに魔界にも友好的な種族はいるみたいだし、その辺は少し楽しみにしていたりするんだ」
パルテニアラも目を閉じ、胸の辺りに手をやって言う。
「後世に問題を残してしまったのは妾達。ティエーラ様とコルティエーラ様にお心を安んじてもらえるよう、力を尽くそうという所存でおりますよ」
皆も真剣な表情で頷き、ティエーラは穏やかに明滅するコルティエーラをそっと抱きしめるようにして少しだけ口元に笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。同行して力になる事はできませんが、私の加護は届くのではないかと思っています。どうか……皆無事に帰ってきて下さいね」
ああ。確かに。ティエーラとコルティエーラに限ってはその加護もきっと……隔てられている魔界にも届くだろう。元を辿れば同じなのだから。
そうしてサロンでの話し合いや確認を終え、フォレスタニア城の高層部にある、領主の生活空間へ引き上げてきた。居間にある大型のカウチソファに腰を落ち着けると、隣に座ってお茶を淹れてくれたグレイスが言う。
「――いよいよ、ですね」
そうだな。魔界探索への出発に際しては各国の面々も見送りに来てくれるという話だ。
「ん。そうだね」
そう答えて、静かに寄り添う。小首を傾げるようにして肩に頭を預けてくれるグレイス。逆隣にアシュレイも座ってそっと俺の手を握ってくれた。
同行するかどうかは改めて問わない。前にみんなにも魔界探索に加わるかどうかの話はしたけれど、グレイスには「何時でも一緒がいいです」と笑って答えられてしまった。
「魔界の扉で隔てられるからこそ一緒にいたいわ」というのはクラウディアの言葉だ。
アシュレイは「私もみんなと一緒の時間が好きです」と言い、ステファニアは「危険だっていうのは分かるけれど、きっと嬉しい、楽しい事もあると思うわ」と微笑んだ。
イルムヒルトの「テオドール君と一緒なら尚更よね」という言葉にマルレーンもにっこり笑ってこくこくと頷いていた。
ローズマリーは「その辺りの言葉を否定すると誓約に引っかかるから察して欲しいところね」との事だ。シーラはと言えば力瘤を作って「ん。魔界でも頑張る」と言っていた。
そんなわけで……みんな一緒に魔界探索に向かう。
一緒に魔人達に対処し、迷宮に潜ることを決めた。その時の気持ちはまだ変わらずという事だろう。あー……。近い将来、子供ができたらそうも言えないけれど、その時は俺ももっと意識して腰を落ち着けるべきなのだろう。
「テオドール。何か考え事してる?」
と、ソファに手を着いたシーラが俺の顔を下から覗き込んでくる。
「いや……その。探索が一段落ついた後の事を考えてたっていうか」
何と答えるべきか少し迷って、そんな風に答える。考えていた事が考えていた事だけに、やや頬が赤くなるのを自覚するが。まあ……目の前の事に集中すべきだろうが。
「ふふ。私達の事を考えていてくれたのかしら」
そんな俺の表情を見て、ステファニアが笑みを浮かべた。
「ん、まあ……そうだね」
曖昧な答えになったが、そこでソファの後ろからイルムヒルトから抱きしめられたりしてしまった。柔らかな感触とふわりとした甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「ふふ。テオドール君は色々考えてくれたり心配してくれたりするものね」
そんな言葉に、みんなも穏やかに笑う。そうして――夜はゆっくりと過ぎていくのであった。
明くる日――。やや遅めの時間に起き出し、ベシュメルクの面々や工房の面々と共に転移港へと向かう。
各国の王、族長、フォレスタニアの家臣やタームウィルズに住む主だった者達、貴族家の当主といった顔触れが転移港の迎賓館に集まっていた。俺達の見送りをしてくれるとの事だ。
大広間に通されると、メルヴィン王達と共に皆が待っていて、俺達を笑顔で出迎えてくれた。西方、東方。魔物に妖精、妖怪に鬼、仙人、魔法生物と……錚々たる顔触れだ。大広間にはテーブルが並べられていて、美味しそうな料理の香りが漂ってきていた。皆と共に昼食をとって腹ごしらえをしたら出発、といった流れになる。女官に案内されてそれぞれのテーブルに着くと、メルヴィン王は俺達を見て深く頷き、探索班見送りの為の口上を述べる。
「よくぞこれほどの顔触れが集まったものだ。余から見ても壮観と言わざるを得ない。こうして世界中の者達が一堂に会すのも、ひとえに探索班を率いるテオドールの人徳と行いの積み重ねによるものであろう。そして――見送りに応じた面々を見れば、それは今回の探索の持つ意味の大きさ、困難さを示すものでもあるとも言える」
と、そこで一旦言葉を切って、真剣な表情を浮かべる周囲を見回してからメルヴィン王は続ける。
「しかし、余はテオドール達が幾多の困難を跳ね除けてきたのをこの目で見てきた。直接力になる事のできぬこの身が歯がゆく思ったのも事実ではあるが――だからこそ余にできる事を惜しむつもりはない。テオドール達が十全に力を振るう事ができるよう筋道を整えるのが余の責務であろう。この見送りの席に集まった皆の想いと絆が――テオドール、そなた達の力となる事を余は願っている」
「ありがとうございます、メルヴィン陛下。此度の探索は確かに大きな意味を持ち、また一筋縄ではいかない事は重々承知しています。しかし、これだけの沢山の方々に力を貸してもらい、背中を押してもらっています。僕もまた探索に持てる力を尽くすと、この場にて伝えておきたいと思います」
メルヴィン王の言葉にそう答えると、大広間に大きな拍手と歓声が広がる。そうだな。こうして皆に信じて見送ってもらえるというのは……確かに気合が入るものだ。探索班の皆もそれは同じなのか、俺と視線が合うと微笑んで頷き返してくるのであった。