番外658 幻影と花束と
様々な事柄を視覚的にも分かりやすく説明するためにいつものようにマルレーンからランタンを借りる。
「ありがとう」
と言うと、マルレーンもにこにこしながらこくんと頷く。
「さて。それでは講義を始めたいと思います」
準備が出来た所で前に出てそう言うと、居並ぶ隠れ里の面々から拍手が起こる。
「今日は僕達が仕事をしている間、皆さんも話し合いをしてくれていたようですね。その中でも少し話が出ていると思いますが、隠れ里での暮らしの中より生活の為の必需品が大分多いかも知れません」
そう言うと、居並ぶ隠れ里の面々がこちらを真剣な目で見ながら頷いた。話し合いの中でそういった内容が出たのだろう。
ランタンで幾つかの日用品の幻影を映し出す。人と魔人とで大きく変わるのは衣食住の中で見るのならやはり食だろうし、それに伴って生活様式も変わる。
食材や厨房、食器……様々な日用品の道具が浮かんでは消える。
この中で……例えば食材を調達するにしても農作業や狩りが必要で、それに伴って更に様々な道具や知識が必要となるわけだ。
あまり個々を掘り下げて専門的な事を解説するのは伝えたい事の本筋から外れてしまうので、ほんの少しだけ解説したり、歴史的な資料を基に同じ道具でも形に変遷がある事を幻影で伝えたりしていく。
「これらの道具は今にしてみると当たり前のように使われている物ではありますが、作る側である職人も創意工夫を施し、長い時間の中で使いやすいように洗練されてきた結果ですね。木、革、石、金属、陶器……素材にしても色々ありますが、今日では用途や素材に合わせて職人も専門化しています。同じ仕事を専門的にこなす事でより良いものを作り、より良い結果を出せるように熟達を重ねる。その為に人は様々な仕事を分業しているわけです」
戦士、魔法使い、各種職人、料理人、医者、庭師に画家……。様々な職業の人々とそこで使われる道具の数々を幻影で映し出す。そんな幻影を見て隠れ里の住民達は真剣な表情ながらも感心している様子であった。
「勿論、こうした職業に就いて仕事をしている人達にもそれぞれの生活があります。仕事の対価として報酬を得て、誰かの生活をそれぞれの方法で支える。この中では……例えば画家は直接何か生活の役に立つわけではありませんが、美しい色彩や風景画、人物画……そういった物を自分の手で作り出したいと願い、追求しようとする事の意味も、今なら皆さんにも分かるのではないでしょうか」
俺の言葉に隠れ里の面々はうんうんと頷いていた。
「というわけで、やりたい事に習熟する。既に慣れている事を仕事にするというのも仕事選びの上での一つの考え方ではあるでしょう。生活の中で色んな物を目にしたり、道具を使ったりする中で、それらの事柄や成り立ちに少し思いを馳せてみるというのも、何か新しい考え方や生き方の発見に繋がったりするかも知れませんね」
というのがまあ、俺から伝えたかった事ではあるだろうか。
後は隠れ里では無かったであろうシチュエーションを想定して実際に訓練をしてみる、というのも重要だ。
例えば幻影の商店を作り、そこで模擬的に買い物をしてみる、だとか。
そう言った提案をしてみると、隠れ里の面々もお互い顔を見合わせて笑顔になっていた。
というわけで幻影を操作して花屋の風景を映し出す。様々な品物が軒先に並んでいて……その中から何々をいくらで買ってきてほしいと、それぞれにお題を出して買い物をしてもらうというわけだ。
お手本という事で店主役はカルセドネ。店の手伝い役としてセラフィナ。お客役はシトリアにやってもらう。後は花束を作るにあたり、何か疑問に思ったりどんな組み合わせが良いか迷ったりしたらアドバイスには乗れる面々も多いので気軽に聞いてもらうという事で。
「お題はどうするの?」
首を傾げるシトリアである。
「そうだね。予算としては……4キリグ銅貨以内で花束を買って来て欲しい。三色以上、別々の種類の花を選ぶ事。シトリアの大切な人に送る事を考えて花束を作ってみてね」
といった条件付けをする。1キリグが大体1000円ぐらいの価値なので予算としてもそのぐらいのもの、と考えて貰って構わないだろう。
「なるほどな。色々な事を考える必要のある、良い訓練かも知れぬな」
大体の流れを説明するとオズグリーヴは感心したように頷いていた。テスディロスやウィンベルグ、オルディアも表情を綻ばせたりしている様子である。
花も直接生活の役に立つというものではないが、暮らしに彩を与えるもので……魔人化を解除した彼らにとっては良い刺激になるだろう。
というわけで実践訓練の開始だ。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ!」
「花束を買いに来ました」
「どうぞ見ていって下さい」
そんなやり取りを交わし、シトリアは暫く花屋の軒先を見て考えを巡らせていた。そうして注文をすると、セラフィナの手にシトリアの注文通りの花束の幻影が現れる、という寸法だ。
シトリアが最初に選んだ大輪の黄色い花はそこそこに値段が張るもので、後はそこに中型の花、小型の花を足して花束としての見た目を整えるという方針であるらしい。黄色い花と色合いや見た目が合うか等の考えを巡らし、何本までなら予算に収まるかも計算して注文を確定する。
やがて予算内で黄色と赤、白の花束が出来上がった。
「これでおねがいします」
「はい。3キリグ8モールで2モールのお釣りになります」
とカルセドネとシトリアが微笑ましいやり取りをかわす。
1モール卑貨は大体100円ぐらいの価値だ。カルセドネも計算して2モールのお釣りをシトリアに渡し……同時に幻影の花束をセラフィナがシトリアに譲渡、という具合である。
「はい、どうぞ」
「ありがとう……!」
セラフィナから幻影の花束を受け取って笑顔になるシトリアである。受け渡しが終わったところで、カルセドネとシトリアがこちらを見てくる。
「うん。計算も合ってる。花束は暖色系や明るい色合いで纏めたのかな。綺麗だと思うよ」
と答えると、二人は笑顔になった。
カルセドネとシトリアも、エレナ共々あちこち一緒に行ったり屋台で買い物をしたりといった経験を積んできているからな。こうして店役、客役として隠れ里の面々のお手本にもなれる。
暖色寒色等の話は、二人の衣服を買い物に行った時に、エレナとグレイス、ステファニア、クラウディアが話題に出していた事があったので、それを覚えていたのだろう。
応用編としては物を売って出た利益を元に仕入を行い、適正な値段をつけて売りに出したり、人件費をどのぐらいにするかといった店側の視点に立った訓練も考えられるが、まあ今回は店役と客役に分かれ、物の売買の流れや買う物をどう選定するか、毎回変わる計算を間違えないようにするといった訓練になればそれで良いだろう。
物品が高いか安いかの相場等はシミュレーションだけでなく実践での経験を積んで感覚を身に付けてもらう必要がある。勿論、幻影とはいえ花の値段も大凡現実に即しているものではあるが。
「……とまあ、こんな調子です。皆さんにも早速店役、客役に分かれて順番にやってもらいましょうか。最初なので店役は2人。客役も2人。計算等が間違っていないか相談しながら進めてもらうのが良いかも知れませんね」
やりたいものは、と尋ねると、隠れ里の面々のあちこちから手が挙がる。全体的にかなりモチベーションが高いように思えるな。
というわけで一番早く手を挙げた者達から訓練を始めるという事になった。仲間達の訓練の様子を真剣な面持ちで眺めて思案を巡らせたり、花束の出来上がりに一喜一憂したりと……訓練は中々に賑やかなものになったのであった。