番外650 老魔人と因果の魔獣
斬撃、刺突。激突と共に散る火花。雷撃と触腕の交差。伸縮自在の触腕による高速の薙ぎ払いを煙の大鎌と雷撃の槍が迎え撃つ。
雷を纏う瘴気の槍と、紫色の魔力を纏う魔獣の触腕が激突――した瞬間、巨大な大顎が寸前までテスディロスのいた空間を、牙を打ち鳴らす重い音を響かせて通過していった。
マジックシールドを蹴って真横に跳ぶ事で回避するテスディロス。
魔獣の牙ではない。魔獣の放った分体であり……誘導弾とも言うべき大顎だ。
霊魂に猛獣の顔面がついたようなデザインで、高速で戦域を飛び回ってはオズグリーヴの分身と交戦し、時折本体の攻撃の隙を埋めるように突っ込んでくる。どうやら魔獣の瘴気を取り込む特性を受け継いでいるようで、隙あらば食らいつこうとしているようだ。であれば、分体が食らった力を本体に戻す事も可能と見ておくべきだろう。
オズグリーヴとテスディロス。魔獣は高位魔人二人と戦いながらも、同時にどちらも喰らおうとしているらしい。
遠距離攻撃の類はきかないどころか、下手をすると取り込まれてしまう。斬撃、打撃も口腔に合わせられると瘴気を吸われて威力が大きく減衰する。
触腕の先端もだ。瘴気に干渉する事が可能で直接吸収されることはないものの、固めた瘴気を散らされ、瘴気剣等の近接攻撃も減衰してしまう。魔獣の特性はそういうものだ。テスディロスが雷光のような機動力を見せるでもなく、シールドを蹴って回避して見せたのも、そこに原因がある。拡散した力を取り込まれないようにする為に他ならない。
有効な攻撃は近接攻撃を口腔以外に合わせて大きく損傷させる事だろう。とはいえ、向こうもそれは承知。オズグリーヴとテスディロスは攻防の中で幾度か手傷を負わせてはいるが、瘴気を吸われれば傷を再生されてしまう。
大顎や触腕の先端を避けながら近接の攻防をしなければならないという事で、魔人にとっては非常に厄介な性質を宿していると言えた。
巨体故に隙が大きいのかと言えばそんな事も無い。獣の反射速度と野生の勘という基本的な能力が高いというのもあるが、目に見えない死角の攻撃にも何らかの探知能力によって正確に対応してくる。全身から武器化した分体を射出できるので、身体のどこでも攻撃の起点になり得る。
二人の高位魔人は空中を飛び回りながら魔獣や分体と高速で切り結ぶ。激突して二人の魔人と魔獣は互いに弾き飛ばされる。
「なるほどな。面倒な事だ」
呟いたテスディロスの手にする槍の雷撃が穂先先端に集中していく。
拡散させていた攻撃力を集中させて高める事で対応しようというわけだ。その背後に、煙の鎧を纏ったオズグリーヴ。煙の分身ではなく、どうやらテスディロスの背後に浮かんでいるのが本体らしい。
二人の魔人の周囲を分体が包囲するような位置で止まる。魔獣も薄く口の端を歪ませて……どうやら仕掛けてくるつもりらしいが――。
「奴の能力には――私や魔人の影響が見えるな。平穏を求めての定住がこのような変わり種を生む結果になるとは皮肉なものだ」
分体を作る能力。精神干渉の術。それらをオズグリーヴはそう評する。前者は隠れ里で最も強い力をもつオズグリーヴの影響。精神干渉は魔人全体の特性を反映したものだろう。
「奴が好戦的な事まで責任を感じる必要はあるまい。魔力溜まりの影響とも区別がつかない」
そんなテスディロスの言葉に、オズグリーヴは笑う。
「ふ……。そろそろ、互いの動きも分かってきた。即席ではあるが……合わせてみるか?」
「よかろう。このままでは決め手に欠ける」
二人の相談はそこまでだった。周囲に展開した分体が魔獣の咆哮と共に一斉に殺到したからだ。オズグリーヴとテスディロスが飛んだのは同時だった。
オズグリーヴから拡散した煙幕が広がり、分体の攻撃を掻い潜って飛び出してきたのは二人のテスディロスであった。周囲で分体と戦っていた分身達もテスディロスの姿に変わっている。
煙幕から飛び出してきた二人の内、どちらかがオズグリーヴの変装だ。今までオズグリーヴは時間稼ぎの為に分身を繰り出していたが、避難が完了した事でその必要が無くなったという事だ。
人形の動きに合わせて攪乱していたものをテスディロスの動きに合わせる事で攻撃力と機動力を引き上げる。
二人の魔人は分体のいくつかを両断。魔獣本体に向かって煙の分身を殺到させながら自分達も突っ込んでいく。
魔獣は、口の端を歪ませ咆哮してそれに応じた。身体全体から紫色のスパークを迸らせて空中を駆ける。槍と爪、触腕が空中で交差して幾度なく火花を散らす。
『テスディロス』の刺突が魔獣の頭部を捉えたかと思った瞬間、偽物の頭部が弾け散り、本物の頭部が咬合を見舞う。煙の鎧と原理は同じだ。分体による偽物のパーツを作り出す事で後の先を取ろうとする動き。
が、意表をついたはずのその一撃は紙一重で届かない。もう一人の『テスディロス』が本物の頭部に牽制の薙ぎ払いを見舞っていたからだ。触腕で薙ぎ払いを弾き飛ばし、そのまま斬撃と刺突を応酬する。
二人の『テスディロス』は入れ替わり立ち代わり、目まぐるしく攻撃役とそのフォロー役を交代する。二人の共闘は無論初めての事ではあるが――そうは思えない程連係の密度が凄まじい。
それは恐らく、感情を感知できる魔人の特性に由来する。攻撃役とフォロー役の入れ替え。攻撃が本命なのかフェイントなのか。合図や意思疎通に感情の発露を意識的に利用しているわけだ。
そしてその連係を先読みできないという事は、魔獣は相手の精神に干渉ができても、感知できるわけではない、という事を示唆している。
であれば、魔獣の探知能力はまた別のものを感じ取っているという事になる。だが、遠隔で魔物の位置を探知したとなれば生命反応か魔力感知のような、特殊な物を感じ取っていると見ておくべきだ。
ともあれ、連係する二人の魔人に相対しても退かない魔獣は恐ろしい程の反応速度だ。
触腕と爪。身体から直接生じさせる分体の爪牙を利用して二人の魔人、煙の分身を合わせた手数に勝るとも劣らない攻防の密度を見せる。
特に触腕の速度が凄まじい。軌道も変幻自在で先端が瘴気を減衰させてくるから、魔人に対しての優位性がかなり高い。
無数に火花を散らし、紙一重を掻い潜り、薙ぎ払いが体表に傷をつける。かと思えば触腕の先端が攻防の中で散らした瘴気を魔獣の口腔が周囲から吸い上げ、傷口を癒す。魔力に変換して補充する。
触腕や牙の一撃をまともに受けた場合、魔人と言えどただでは済まないだろう。雨のように降り注ぐ猛攻を掻い潜り、槍の穂先を届かせ、敵の攻撃をいなし。
一見互角以上の戦いをしているように見えるが、その実は分の悪い消耗戦だ。
しかし、二人もまた退かない。退く気がない。
魔獣のように本能に根差した理由ではなく。
テスディロスには約束があり、オズグリーヴには守りたいものが背後にあるが故に。天敵とも言える相手を前にして、尚死地に身を置く。
「これか。天敵――強者を前にしても尚、己を奮い立たせ、折れずに戦える者達の感情は」
「まるで人間と魔人が相対した時のよう、か? 全く因果なものだ」
テスディロスの言葉にオズグリーヴが笑う。
「だが――悪くはない。戦う事に理由があるというのはな!」
「同感だ」
消耗を強いられているはずの二人が、更に凄まじい程の瘴気の量を立ち昇らせる。一瞬の火花のように爆発的な速度で踏み込んで、正面から迫る触腕を皮一枚ですり抜ける。分体の迎撃。それごと切り裂けというように雷撃と高密度の煙による二つの斬撃が魔獣の身体に刻まれる。
「オオオオッ!」
苛立たしげな咆哮。再生では追いつかないと、分体で身体の組織を作り出して傷を埋める。
「そんな事もできるのか……!」
「見かけだけだ……! 出血を止めたに過ぎない!」
魔獣からの意趣返しとばかりに鋭い針のような黒い弾丸が二人に向かって降り注ぐ。瘴気の盾を作り出したところに触腕が叩き込まれ、瘴気の盾の密度を弱める。そこに――本命とばかりに魔獣の口腔から紫色の閃光が放たれた。
直撃。爆発が起こる。退路を断ち、防御を弱めたところに本命の一撃。爆風を内側から押し広げるように黒い雲が広がる。オズグリーヴの能力だ。
煙幕の中から雷を纏う『テスディロス』が直上に飛び出す。それを正確に――魔獣が追う。雷光のような鋭角的な動きを最短距離で追って。『テスディロス』が槍を振り上げ、雷撃を槍の先端に溜めるような動作を見せた。魔獣は真正面に捉えたままでそれを追う。それはそうだ。どんな攻撃であっても魔人の一撃ならば、魔獣には喰う事が出来る。避ける必要がない。
だから――。『テスディロス』が槍を振り下ろす。叩き込まれる巨大な雷撃を、魔獣は大口を開けて迎え撃った。
それを喰らう――事ができない。俺の放った雷撃を、魔獣は真正面からまともに浴びていた。全身に通電。四肢を突っ張らせて予想外の結果と激痛に目を見開いて困惑する魔獣。
身体能力、魔法行使の能力はほとんど変えず、外側だけ変身呪法で『テスディロス』に似せた。身体に纏った瘴気もオリハルコンで変質させて波長だけ再現したものだ。ウィズやキマイラコートでの単純な変身は体格が違うので使えない。
戦場に近付く手段は光、音、隠蔽術の三重の遮断フィールド。後は俺が加勢に来たことを感情の動きによる合図で二人に知らせてやればいい。俺の意図を察知した二人は最も効果的なタイミングで大技を繰り出し、そして反撃に乗じて目暗ましを展開してくれた。
後はそれに合わせて戦闘に加わり、テスディロスの姿と瘴気を見せてから、真っ当な魔法を叩き込むだけの話だ。
だが、決定打にはならなかったようだ。魔獣は身体を揺らがせつつも、爪に魔力を溜めると俺に向かって放ってきた。
回避。無理な追撃はしない。何故ならばこれは共闘であるから。魔人である二人と共に戦い、そして勝つ。
水魔法に着色し、オズグリーヴの煙幕に似せた煙をばら撒きながらミラージュボディを使って左右に飛ぶ。オズグリーヴの分身達が俺の動きに合わせる。立体的に重なり合ってのシャッフル。
最初の接触で、隠蔽術をテスディロスとオズグリーヴにも用いている。故に、奴は特殊な探知手段に頼らず、真っ当な五感でこちらの動きを追わなければならない。
そうして、俺達の攻撃に今度は魔獣側が守戦一方になる。ダメージや隠蔽術だけが原因ではあるまい。瘴気による攻撃か俺の魔法攻撃かの見分けがつかないから、自身の特性を前面に出した戦い方が封じられたのだ。
普段通りに動けない、というのはそれだけで厄介なものだ。一瞬一瞬の判断に迷いが生まれ、それだけ反応が遅れる。先程までの二人がそうであったように。
それでもやはり反応速度や勘は大したものだ。『テスディロス』の手にする槍が触腕と打ち合い、火花を散らし、減衰して揺らぐ。奴は魔人だと判断してそれを追う。それも誘いだ。正面から踏み込み、咬みついてくる魔獣の顎を避けながら横面に魔力衝撃波を叩き込んでやった。背中に回したウロボロスが旋回してきて、術式を展開。吹き飛ばされる顔の、逆方向からソリッドハンマーが迫る。遠心力を乗せて叩き込めば、魔獣は咆哮しながらも頭部に魔力を集中させて大岩を砕いていた。同時に触腕が唸りを上げる。ウロボロスとネメア、カペラで打ち払い、跳ね上がる爪撃を横に飛んで避ける。
「降伏して封印術を受け入れるなら――お前とも共存の道があるように思うんだがな。お前が周辺に放った分体も、呼び寄せた魔物達も当てにはできないぞ」
言霊の魔道具による降伏勧告。対する返答は苛立たしげな咆哮と黒い散弾であった。左右に跳んで当たるものだけを斜めに展開したマジックシールドで逸らす。執拗なまでに斬撃を叩き込んでくる触腕をウロボロスでいなす。
俺に対する攻撃の苛烈さが増したのは――二度も裏をかかれた上での勧告が余程腹に据えかねたのだろう。感情が読めなくても分かる。その目に宿るのは憎悪と食欲。そして上位種としての矜持だ。知性はあれど、魔力溜まりの魔物達と同じく、相対した者に対して攻撃衝動を抑えるという事をしない。
だが――そうなればこちらも容赦はいらないという事だ。俺に気を取られている内に、先程と同様に巨大な雷撃が魔獣の背中に突き刺さっていた。凄まじい衝撃に魔獣の巨体が揺らぐ。
隠蔽術と煙の鎧の中で自らの力を高めたテスディロスだ。今度は本物。直上から雷光を纏っての急降下突撃を仕掛けた。
魔獣は槍を突き立てられながらも喜びの咆哮を上げる。巨体故の生命力。或いは魔力を消耗しても分体で欠損を補えるからこそか。
俺には触腕と分体による牽制を繰り出しながら、視線は離脱するテスディロスを正面に捉えている。テスディロスは先程の攻撃で手傷を負っている。攻防の中で瘴気を奪えば傷を癒し、力を蓄えて攻守を逆転できると算段を付けているのだろう。
だけれど。その見込みは甘い。
「――誰か、忘れているのではないかな?」
膨れ上がる瘴気が、俺の施した隠蔽術のフィールドを内側から吹き飛ばす。そこに現れた巨大な反応に、魔獣は動きを止めて振り返る。
――オズグリーヴが佇んでいた。テスディロスの姿とも、オズグリーヴが変身した時の姿ともまた違う。実体の無い煙の魔道士から、硬質感ある黒灰色の全身鎧の姿への変貌。余剰の瘴気が全身からスパーク光を散らす。大気が震える程の圧倒的な力。
接触した時に言われたのは、少し時間を稼いで欲しい、というものだった。矜持というのなら、オズグリーヴにも長年に渡って里を守ってきた矜持がある。だから、魔獣は自身の手でという思いもあるのだろう。
時間稼ぎ。その答えがこれだ。オズグリーヴの能力は、恐らく煙の密度で出力が上がる。時間をかけて放出した煙を固めて高密度に身に纏っていけば――それは想像を絶する力を宿すだろう。そしてそれこそが、オズグリーヴの奥の手だ。
それでも――魔獣は退くという選択を選ばない。降伏という選択肢が最初からないのだから、膨大な量の力を蓄積したオズグリーヴに背を向けられないというのもあるだろうが……。全身にそれまで以上の魔力を漲らせて咆哮を上げた。
「矜持と闘争本能故に、戦いに殉じる、か。ますます我らに似ているな、お前は」
オズグリーヴはかぶりを振る。
そう言って、右手を引くようにして構えるオズグリーヴ。超高密度の煙が更に右手に収束。発光して火花を散らす。
僅かな静寂の後に。魔獣とオズグリーヴと、動いたのは殆ど同時だった。
すれ違いざまの勝負はほんの瞬く間の出来事だ。横凪の閃光と全てを噛み砕くような重い咬合の衝撃音。
超高密度に収束された瘴気の手刀と全身全霊の突撃とが交差し、互いに行き違う。
右手の一閃を振り抜いたままのオズグリーヴと、牙を剥き出しにしたままの魔獣と。互いに技を繰り出したままの姿勢で背中を向け合っていたが――。
「ぐッ――」
オズグリーヴの脇腹が牙に引っ掛けられて抉れていた。脇腹を抑えて苦悶の声を漏らすオズグリーヴ。振り返ってにやりと笑う魔獣。しかし。
魔獣は笑いに表情を歪めたままで、触腕と頭部を纏めて両断されて……地面に向かって落ちて行った。生命反応の消失。あちこちに浮かんでいた分体達も形が崩れて、魔力反応を失い落ちていく。
「或いは……他の魔人達であればお前と共に歩む事もできたのかも知れぬが……残念だな。私は彼らとは道を違え、志を共にする者を見定めた身。故にお前を屠って前に進むのだ」
変身を解いたオズグリーヴは脇腹を抑えながら言う。落ちていく魔獣を見送りながらも、その視線はどこか遠いところに向けられていた。