番外639 隠れ里に向けて
イルムヒルトの奏でるリュートの音色と、甲板の縁に腰かけてリズムに乗って足を揺らすセラフィナの歌声がよく晴れた街道に響き渡る。
魔人達は目を閉じて耳を傾けていたりして……。動物組も甲板の日当たりの良い所に寝そべって音楽を楽しんでいたりと、魔人達との面会や対話、交渉という字面からは、想像もつかないぐらいに平和な光景になったものだ。
やがてイルムヒルトとセラフィナの演奏と歌も終わり、立ち上がってお辞儀をすると、魔人達もまた立ち上がって拍手を送っていた。
「こんなにも穏やかな時間を過ごしたのは、記憶の遥か彼方、か。私もまた、魔人であることを軽く見ていたのかも知れんな」
オズグリーヴはその光景に目を閉じ、それから顔を上げると、言葉を続けた。
「だがまあ、私にはやるべき事がある。これは話し合いが終わったら一旦お返ししよう」
これというのは封印術維持の為の腕輪の事だ。契約魔法の条件の方が維持よりも優先されるが。
「分かりました。では、これからの話をしましょう」
ゆったりとした親善の時間も取ったし、魔人である事とそれを解除する事と、それは彼らも理解してくれたと思う。その上で今後についての話し合いをしなければなるまい。
「基本的には……そうだな。この話を里に持ち帰り、皆を説得するという事になろう。私としては一人も余さず里の者達を魔人化から解放したいと考えているし、彼らも今回の話次第では同意すると言っているが……実行に移す前に、その後の事も考えなければならない」
オズグリーヴの言葉に、俺も頷く。
その後の事。魔人化の解除に伴い、新しい暮らしを構築する必要があるだろう。
「今現在の暮らしについてはこちらとしても色々予想を立てたのですが、そこをまずお聞きしても?」
「人里離れた魔力溜まり近辺での暮らしだ。現状、衣と食については魔力溜まりの魔物達を狩り、その素材を利用することで必要な分を確保できている。戦いと隣り合わせの暮らしではあるが、食事をとる場合は連携して戦う事と、間引き過ぎない事を念頭に置いて動いている。余剰の素材を売る等してそれだけでは確保できない物を手に入れる方法も……まあ、ないわけではない」
これは――ある程度予想した通りではあるか。狩りと食事が直結しているわけだ。更に狩った魔物の素材を有効活用しているので無駄もない……が、そうした暮らしは確かに、魔人としての性質が薄い場合、精神的に厳しく感じるというのも頷ける。
「魔人ではなくなった場合、そうした暮らしを続けるのはやや難しいかも知れないわね」
アドリアーナ姫は顎に手をやり、思案しながら言う。
「そうですね。身に付けた術や戦い方、知識は残りますが、瘴気の性質や感情の感知といった魔人固有の強みは失われます。瘴気と魔力の出力面も変わってきますので、それらの感覚の違いに戸惑う事もあるでしょう」
「……慣れなければ実戦は難しいな。過渡期を無くし、迅速に新しい生活を再建する必要がある」
俺が同意するとオズグリーヴも首肯する。そうだな。俺としてもオズグリーヴの見解は正しいと思う。
「僕としては方針が同じで協力し合う意思を確認した以上、その後の生活基盤を用意し、就業までを支援する用意があります。勿論彼らが望めば、の話ではありますが……これはヴェルドガル王国、並びに同盟各国の共通した方針、とお伝えしておきます」
フォレスタニアに迎えるのは問題ない。最初からそのつもりでメルヴィン王にも話を通しているしな。
共同体として色々助け合っているのだし、当面の生活基盤さえあれば各々の適性と希望に沿って仕事を選べる者もいるだろう。隠れ里の方針として訓練を積んでいるわけだから、フォレスタニアで家臣として雇い入れ……武官や文官として待遇する事もできる。
それを望まない場合、魔物との戦いに慣れているのだから冒険者になっても暮らしていけるだろうとは思う。まあ……隠れ里の暮らしで魔人としての生き方に心理的に負担を感じている者が、魔人化から解放されて尚魔物を相手にする事のある冒険者になる、というのもどうかと思うが……負の感情と向き合わなければならないというのは無くなるので、心理的な面ではかなり楽になるのではないだろうか。
そうした考えや方針を説明すると、オズグリーヴは居並ぶ魔人達と共に一礼してくる。
「そこまで考えてもらっていたとは、かたじけない話だな。確かに、彼らを陽のあたる場所で暮らせるようにする事は……私が望んでも難しい話だ。対価となるかは分からぬが、私の力も貸す事を誓おう」
「ヴァルロスやベリスティオと約束した事の履行でもありますから対価というには過分な気もしますが、心強い話でもありますね。僕もまた、力を貸してもらうにしても魔人との共存という目的に沿った物に限るよう、節度を保ちたいと思います」
そう言って頷き合う。オズグリーヴの話によれば、里の面々も既にある程度魔人化を解除するという方針に同意してくれているようだからな。
後は実際に魔人の特性を封印した状態を体験してもらい、こちらからの提案に同意してもらう等すれば、こちらとしても次の生活基盤を用意する等の対応に動けるというわけだ。
魔人化を解除したその後の事についてはこれで良いだろう。続いて実際に魔人化を解除するにはどういう手順で行うべきかについても話し合う。
「タームウィルズに訪問してくる……というのは些か大変でしょうね。こちらは飛行船を活用して移送する事も視野にいれていますが」
「幼子もいる故、全員で移動というのは難しいな。飛行船を移送の手段として取れるというのなら、このまま里に案内しても私は構わぬと思っているが――」
オズグリーヴが視線を向けるとレドゲニオス達も顔を見合わせてから頷き合う。
「私達も異存ありません」
「そうだな。この話し合いの席で我らに告げられた言葉に偽りがないのは、契約魔法と封印術の効力が担保してくれている。故に、我らも信じるとしよう」
レドゲニオス達の反応に、オズグリーヴはそう言って頷いた。では……このままシリウス号で隠れ里の訪問という事になるか。
「それと……私の瘴気特性や能力に関してだが――」
「それに関しては……まだ保留という事にしておきましょう。里の場所を案内して頂く時点で僕達の事を信用してくれたからこそですし、保険となるものがあった方が里の皆さんも安心なのではないかと思います」
オズグリーヴとしては能力を明かさねば信用を得られない、或いは俺達が安心できないと思っての発言なのだろうが、里の場所という重要情報を渡してもらっているわけだし、ここはこちらも信用している、というのを示しておくべきだろう。こちらばかり情報を明かしてもらうのではフェアではないという……まあ、隠れ里の住人達の心象の問題でもある。
「なるほどな。では私の特性に関しては里の者達の解放が履行されてから、という事にしておこう」
そうだな。能力を隠したまま協力関係を続けていくのは難しいところがあるから、いずれ知ることになるのだろうが……現時点ではまだその時ではない、という事で。
デボニス大公家から借りている飛竜と竜籠についてはタームウィルズへの帰還時に返すという約束だ。隠れ里に行く事になった場合、そこで役立つ事もあるかも知れないから返しに立ち寄る必要はないと、デボニス大公からは言われている。通信機で連絡を入れてからシリウス号で移動をするとしよう。