番外611 ダリルの近況は
「領内は基本的には平和なものでな。取り立てて大きな出来事があるわけではないが……ああ。バハルザード王国から魔術師の令嬢が領地見学に来たぐらいか」
お茶を飲みながら父さんが言う。ネシャートの事だな。隣り合う領地の領主がアシュレイとマルコムだからな。関係も良好で、問題があれば協力して事に当たれるから懸念材料も少なくて済むし、シルン伯爵領とガートナー伯爵領に跨る森の魔力溜まりも、冒険者がきちんと活動しているなら大きな問題にはなりにくい。
「何事もなく平和なら何よりです」
「そうだな。それに勝るものはない」
と、父さんは静かに笑って頷いていた。
ダリルはネシャートの話が出て、少し遠くを見るような表情で窓の外を見たりしていたが。不快そうではないから、その時の事を思い出していたのだろう。
「領地の見学についてはどうだったのでしょうか」
「バハルザード王国は気候の厳しい土地が多く、こちらとは育てている作物も違うようだが……最近は色々と状況も変わってきているそうだ。当人も木魔法の心得があるらしい」
「こっちで作っている色々な作物の事を聞かれたっけな。参考になったって、すごくお礼を言われてね」
父さんとダリルが言う。ハルバロニスの民が協力してバハルザード王国の農業を後押ししているからな。食糧自給率の低い地域にハルバロニスの民の魔法で設備を整え、植えつけられる作物の量と種類を増やす、という計画も持ち上がっているらしい。
となれば後は植え付ける作物の選定となる。ネシャートとしては留学しつつも、その辺りの事も念頭に置いて行動しているのだろう。
そして、そんなネシャートの質問に答えて感謝されるぐらいの話ができるということは、それだけダリルが色々と勉強している、という事だ。
「その事で、テオドールに顔を合わせたらお礼を言うつもりだったんだ」
と、ダリルが俺を見て言う。
「その事っていうと?」
「いや、テオドールが植物園を造ったからさ。それで気になって領地の参考にもなるかなって、色んな作物だとか栽培の方法とか、植物の病気の事とか……本で調べたりしてたんだ。だから……えっと、後嗣として恥ずかしくない程度には質問に答えられたかなって思ってさ」
なるほど。後半は少し言葉を選んだようなところがある気もするが、ともかくネシャートと会話が弾んだのもそうした理由があったから、というわけだ。
「それは……ダリルがきちんとした理由で調べ物をしていたからだ。俺が何かしたわけじゃないよ」
誰に言われるでもなく、自分で興味を持って調べた事だ。父さんも静かに頷いていたりするし、それらの内容もきちんとしたものなのだろう。
しっかりとした知識として身についていたからこそネシャートと話題が合ったし、領地見学という方向に話も広がったわけで。
「それでもだよ。いつもそういう、きっかけを作ってもらっている気がする。だから、お礼を言いたかったんだ」
「ん。分かった」
そう言って頷く。ダリルは真剣な表情でこちらを見て頷き返す。それからふと肩の力を抜いて言った。
「そうやって色々話はできたけれど、あの人と話していると、自分が世間知らずだなとも思ったよ」
「ん。何かあった?」
「テオドールは解決に加わった立場だから知っているだろうけど、バハルザード王国はちょっと前まで大変だったから……ネシャートさんは魔法が使えるからあちこちで後方支援していたらしい」
「ああ。エルハーム殿下と一緒にあちこち転戦して、戦場で武官達の支援をしていたらしいね」
その話はエルハーム姫から聞いている。
「うん。その途中で色んな物を見てきたからなのかな。僕と歳はそんなに変わらないのに落ち着いているっていうか、すごくしっかりしてる人だなって感じた。ヴェルドガル王国は魔人との戦いもあったけれど、それを除けば長く平和が続いていて素晴らしいって。そういう何気ない言葉にも実感が込められているようで……僕にないものがあるなって思ったよ。うん」
と、ダリルはネシャートと話した時の事を思い出したのか、目を閉じて頷いていた。
感心しているというか敬意を払っているというか。ダリルから見た場合、ネシャートのそうした考え方、性格や雰囲気に触れて好印象を抱いているのは間違いなさそうだ。
グレイス達もダリルの近況については気になっていたのか、そんな話を聞いて静かに頷いたりしていた。俺も影響力を行使しないように自粛しているから、当人の目の前で噂話というわけにはいかないのか、みんなもあまり多くは語らないが、良かったと思っているのは雰囲気から伝わってくる。
そんな話をしながら父さんの家でみんなでのんびりと西方海洋諸国での土産話をしたりして。それから頃合いを見て母さんの家に向かう、ということになった。
見送りに出るその時に、父さんはダリルが席を外したところで俺に言った。
「ネシャート嬢は……ダリルの事を褒めていたがね。平和な国だからこそ上がそれを当たり前のものと勘違いし、貴族として相応しくない振る舞いをしてしまう事が多い。しっかりした考えを持つ事は難しいからこそ、ああして領地の為にときちんと勉強しているダリルは尊敬できる、とな」
ああ。それは確かにな。少し前にヴェルドガルの貴族や騎士団にもそういう者がちらほらいたし、シルヴァトリアのザディアスあたりもそうだ。
それにしても、このタイミングで俺にそれを伝えてくるということは……。父さんは俺の顔を見ると聞きたい事を察したのか、頷いて言葉を続ける。
「メルヴィン陛下やファリード陛下とも少し話をしていてね。当人達が望んだり、お互いがお互いを尊敬できると思っているのであれば、私も否やは無いよ。何分、ダリルの婚約については宙に浮いていたし、我が家も現状を考えると縁談は慎重に進めなければならない。そうなると、国内にしがらみがない方が問題は生じにくいかも知れないと、見解での一致は見ている」
「ああ。それは……ご迷惑をおかけしています」
「いや、それが元でやってくる話もあるだろう。迷惑とは思っていない」
父さんは静かに笑みを浮かべて言う。まあ、ダリルからの印象と父さんの今の話は、メルヴィン王やファリード王も動向を気にしているようだし、父さんから聞いたからにはしっかりと二人には伝えておくとしよう。
「ともあれ私は家にいるから、ここにいる間に何かあったら頼ってくれて構わない。リサの家とお墓は、ハロルドとシンシアがしっかり管理してくれているから安心だが」
「ありがとうございます」
「墓参りは……予定では明日だったな」
「そうですね。誕生日に合わせて母さんに顔を見せて、それからフォレスタニアに戻るつもりでおります」
父さんも明日の母さんの墓参りには同行する予定だ。お祖父さんや七家の長老達も仕事の都合があるので最初から同行とはならなかったが、明日の朝にはガートナー伯爵領で合流して一緒に墓参りという話になっている。
「それじゃあ、また明日」
「ああ。また明日」
そうして、俺達は父さん、ダリル、キャスリン、カーター達と屋敷の前で挨拶をして一旦別れる事となった。ハロルドとシンシアは俺達と一緒に、母さんの家に行く予定だ。
皆で馬車に乗って直轄地を行く。領民も……和解したという事もあり、俺達が馬車に乗っている事に気付くと、姿勢を正して一礼で見送ってくれた。こちらも会釈して応じる。まだまだお互いにぎこちないのは仕方がない事だが、彼らとも時間をかけて静かに関係を修復していきたいところだ。
直轄地から出て、そこから程近い森の中、湖の畔に母さんの家がある。森の木々は葉が赤や黄色に色付いて、とても綺麗だ。
「ああ――。やっぱりこのあたりの紅葉は綺麗ね」
「テオの誕生日は丁度紅葉が見頃の時期になりますからね」
と、クラウディアが森を見ながら声を漏らすと、そう言ってグレイスが微笑む。
デュラハン達もうんうんと頷き、アルクスとヴィアムスも馬車の屋根に登って紅葉を見て表情を綻ばせるのであった。