番外596 祈りと魔人
解呪術式の準備を進めていく。得られた素材を加工したり祭壇の準備を整えたり、儀式用に用いる道具を揃えたり。そうしている内にあっという間に満月の日はやってくる。
儀式の場に選んだのはフォレスタニアにある、魔人達の鎮魂の為に建てた神殿だ。
ヴァルロスやベリスティオの残した願いや、彼らへの想いといったものが集まってくるとしたら、この場所だと思うから。
俺が儀式を進める司祭役となるならば、巫女役となるのはクラウディア、フォルセト、シャルロッテだ。
月の主家シュアストラス家のクラウディア、ヴァルロスと同郷で、あいつがハルバロニスの民であった頃の事を知るフォルセト、シルヴァトリア出身で封印の巫女見習いであるシャルロッテ。いずれも……月の民と魔人に縁の深い顔触れだ。
こうして儀式という形で解呪を行うのならば、列席して祈りを捧げる者達の想いの強さが最終的な効力に影響してくるところがある。だから儀式の中心となる司祭や巫女役だけでなく、俺と共に魔人達と戦ったグレイス達も一緒だ。
更には同盟各国の王、七家の長老にハルバロニスの長老達、パルテニアラといった顔触れも儀式に出席して祈りを捧げたいとの事で列席が決まっている。
各国の王達としても、ヴァルロスやベリスティオとの約束というのはしっかりとした治政というものを意識させられるとの事で。解呪の儀式に是非立ち会いたいと通達してきたのだ。勿論、こちらとしては否やはない。
そうした背景もあって、王達だけでなくジョサイア王子やアドリアーナ姫も参加する。
解呪を目的とするものなのでパルテニアラもだ。イグナード王も列席するのは、養女であるオルディアにも関わってくる事だからだろう。
更にはベリスティオの最期に立ち会ったコルティエーラ――自動的にティエーラもだが――と、月光神殿の封印に携わっていた四大精霊王も参加してと……儀式の面々としてはそうそうたる顔触れと言えた。
「何というか……大切な事な上に、初めての儀式なのでかなり緊張します」
シャルロッテは自分を落ち着かせるように深呼吸をしていた。
「私も緊張しておりますが……これだけの顔触れ。きっと上手く行くでしょう」
ウィンベルグが静かに笑う。白い貫頭衣に身を包み、解呪の儀式を受ける側としての準備は万端といった様子だ。
「ベリスティオは……俺達が間違えないなら、力を貸してくれると思う」
「それは……確かに。先生と一緒に頑張ります……!」
シャルロッテはウィンベルグと俺の言葉に、決然とした表情で頷いた。
「ヴァルロスも――力を貸してくれるかしら」
フォルセトは少し遠くを見るような目で言った。
「間違いない。ヴァルロス殿はそういう御仁だ」
「私の……お父さんや、お母さんも、見守ってくれていると思うわ」
テスディロスとオルディアは迷いなく頷く。
人の身体に関する事であり、ヴァルロス、ベリスティオと交わした約束に関する事だ。それだけに、俺も緊張や不安がないといえば嘘になるが……テスディロス、ウィンベルグ、オルディアの前向きな言葉は心強い。
「テオ、列席者の方々がいらっしゃったようです」
と、グレイスが教えてくれる。神殿の前に馬車が停まり、メルヴィン王達が姿を見せた。
「うん。ありがとう、グレイス」
グレイスに礼を言って、俺達も神殿の入り口まで出迎えに行く。
「今日は儀式にご列席を頂きまして、ありがとうございます」
「うむ。余らとしても今日の祈りが平穏を守り、治政を行おうという想いを新たにするものであると確信している」
メルヴィン王が静かに頷く。そうして挨拶の言葉を交わしてから、儀式の手順を説明する。
祭壇を挟んで奥側に解呪の為の魔法陣が描いてある。その魔法陣の中に解呪の対象に入ってもらい、司祭や巫女は祭壇の手前側から儀式を行う。
「列席して下さる方々は――ただ……先の戦いの事に想いを馳せて頂くだけでもいいのです。それがきっと祈りとなり、儀式の力となるでしょう」
自分を、世界を変えようとした者達。その為に戦いが起き、血も流れたけれど……ヴァルロスもベリスティオも、決して世界の破滅を望んでいたわけでは無かった。
だから平和であろうとする事や……その中での魔人達との共存の道を模索する事は……きっと彼らの意にも沿うものなのだと思う。
メルヴィン王達もその言葉に頷いて。各々があるべき場所に配置につき、ウィンベルグが前に出ていく。司祭役である俺の後ろにクラウディア。その両隣にフォルセトとシャルロッテ。
「では――始めましょう」
「よろしくお願いします、テオドール殿」
そう言うと、ウィンベルグは魔法陣の中心で、騎士が王にするように片膝をついて、こちらに向かって頭を垂れる。
月女神の祝福を受けた儀式細剣を構えて、詠唱を始める。
マジックサークルでもいいのだが、今回のこれは儀式だ。後世でも同じことができるように手順を確立しなければならない。
「――我ら、ここに祈らん。魔人ウィンベルグ。これなる者の器と魂を縛める呪いより解き放ち、我らと彼らの平穏の内に暮らす道に光明が示されん事を願い奉る。月の系譜に連なりし、誇り高き魔人達の盟主と、今一人の主の託した想いに誓い、我らの結束と決意をここに示すものなり――」
詠唱に伴い、みんなが祈るような仕草を見せれば、魔法陣が光を宿す。祭壇に並べられた銀の皿には水が張ってあり、水鏡となっている。
詠唱を続けながら加工した触媒の欠片を水鏡に落としていく。召喚魔法儀式と同じだ。水鏡に向かって何かをする事で、魔法陣の中にいる対象に干渉するという方式である。
想いを馳せ、祈りながら詠唱を続ける。月女神の祝福。高位精霊の力。皆の想い。そうした物が力となって、辺りを満たし、高まっていくのが分かる。小さな光の粒が渦を巻くように魔法陣の外から内へと流れていく。
魔人。魔人達との戦い。目を閉じれば脳裏をよぎるように、いくつもの光景が蘇る。
あの――遠い雪の日の景色。魔人というものを知った日。
激突する力と力。戦いの後に、満足げに笑っていた者達。
ヴァルロスの断固たる意思。手を取り、託されたあの力と約束。
最期に笑って、ラストガーディアンに向かって消えて行ったベリスティオの言葉と背中。
どこかで捻じれて歪んでしまったイシュトルム。
そして――共に行く道を、選んでくれたテスディロスとウィンベルグ。志を同じくするオルディア。一緒に笑い合うみんな。
いくつもの記憶。あの時の感情。そうした物を祈りの中に込める。
戦った。戦った。俺も魔人達も。想いは聞いた。受け取った。だからもう、きっと過去の因縁に端を発する呪いから、解放されていいはずだ。
目を閉じていても明るく感じるほどの光が神殿の中を満たしていく。その光芒の中に立つ――誰かの姿。
それは……その二人は――ベリスティオとヴァルロス。
ベリスティオはただ静かに頷き、ヴァルロスは目を細め――俺に向かって少しだけ笑った、ような気がした。
眩い光の中で目を開く。高まる解呪の力がウィンベルグの身体を包み――そしてガラスの砕けるような音と共に瘴気に似た何かがその身体から弾けて、散った。
それを合図にしたかのように、神殿に満ちていた力がゆっくりと霧散していく。
「お……おお……。これは……何という、温かな――」
その中でウィンベルグは信じられないといった表情で立ち上がり、己の掌を見つめる。その掌に魔力が集まる。
魔力だ。瘴気ではない。それは――その魔力の性質は月の民に似ていて。力強くも清浄な気配が感じられた。列席する皆から「おお……」という声が上がる。
驚いた表情のまま、ウィンベルグの片目から、涙が一筋伝った。それは感動によるものか。今までの自分とは違ってしまった寂しさによるものか。……いや、そうした自覚さえもなく自然に涙が零れたように見えた。
「――ウィンベルグ」
名を呼んだのはテスディロスだ。静かで穏やかな呼びかけに、ウィンベルグが弾かれたように顔を上げる。
「テスディロス殿……」
「上手く行ったようで、良かった」
「……はい……。はい……!」
拳を握り、目を閉じて。ウィンベルグはテスディロスの言葉に頷く。
「体に不調は?」
「……ありません。これほど晴れやかで、身体が、心が軽やかになったのは――生まれて初めての事です」
俺の問いにウィンベルグはそう答える。呪い――魔人化から解放されたウィンベルグについてはもう少し詳しく体調や魔力の様子を見る必要があるが……。
「生命反応の輝きにも魔力の動きにも、共に異常はない、ように見えるな。後でもう少し詳しく調べさせて欲しい」
「勿論です」
「……良かったわ」
クラウディアも少し微笑んで頷き、みんなも安堵したような表情を浮かべた。そして――誰からともなく拍手が広がって、神殿を満たしていくのであった。