番外586 歓待の夜に
イルムヒルト達のレパートリーは前よりも増えている。加えて、今日はヘルフリート王子とカティアの婚約を祝う意味合いもあるので、楽しげな曲であるとか、家族や恋人を思うような歌も多めだ。
迷宮村の魔物達、ハーピー、セイレーン。それぞれの間に伝わる歌なのだろう。
ハーピーやセイレーンが人に恋をした歌であるとか、鳥人族同士や海の民同士での……人との恋愛模様とは少し違う恋人達の様子を歌った内容であるとか。
空や海で舞い踊り、或いは珊瑚礁の中を二人で泳ぎながら楽しく笑い合う。そんな情景が浮かぶ歌だ。
彼女達の澄んだ歌声と踊り、美しい音色、光や泡の演出と相まって、人の心を惹きつけるものがある。舞台も客席も含めて青空になったり珊瑚礁が広がったりと……歌の内容に合わせて映し出される風景も変わるのである。
シーラのドラムソロや、シリルのバグパイプとタップダンスも見所だ。こちらも技術に磨きがかかっていて、一段難しい楽曲や内容に置き換わっていたりする。
彼女達のバックバンドとなるのはゴーレム楽団だ。演出に必要なら歌詞の内容に合わせてモブ役になったり、祝福するような仕草の踊りを踊ったりといった具合である。
ドラムソロに合わせてゴーレム楽団が激しい踊りを見せたり、彼女達の扱う楽器にないパートを魔力楽器で担当したりと……色々と活躍してくれる。
そんなイルムヒルト達の演奏に、デメトリオ王やコンスタンザ女王達も楽しそうな様子だ。静かだった曲が一転、明るいパートになる瞬間、舞台から光の粒と泡が吹き上がったりして、少し驚いたような表情の後に笑顔になっていたりした。
モルガンやカティア達は歌に聞き惚れるようにしていたし、ブロウスやオルシーヴ達……深みの魚人族は音楽を楽しみとしているからか、やや前のめりに見入っていたりする様子だ。
パラソルオクト達もキュテリアと共に、少しだけ身体を揺らしたりして、リズムを取っていたりして……うん。楽しんでもらっているようで何よりだ。
ケンネル、ミシェルやフリッツ、ジョアンナといったシルン伯爵領の面々もだ。曲に聞き惚れるように目を細めたり、演出で何か起こるたびに笑顔になっていたりした。
前に伝えたBFOで使われていたBGMも曲目の中に組み込まれていて、俺個人としては密かに楽しめるポイントが増えている。ヴァルロス達を迎え撃つ時は呪曲として使っていたが、今は普通の曲として演奏しているというわけだ。うん……。前世の思い出だとか、ヴァルロス達との事とか……色んな意味で感慨深いな。
そうして――何度かのアンコールに応えて、イルムヒルト達の演奏は終わった。観客席から出たところにあるホールでは、招待されてきた客達が、ヘルフリート王子とカティアに祝福の言葉を伝えに行ったり、デメトリオ王やコンスタンザ女王のところへ挨拶回りにいったりしているが、皆一様に上機嫌な様子だ。
「いや、タームウィルズやフォレスタニアの劇場については、噂には聞いていたが素晴らしい内容だった。その場にいながらにして空や海に連れて行かれたようで、楽しいものであったな」
「そうですな。今日はヘルフリート殿下の祝福という意味もあってか、普段とは演目が異なっている部分が多かったのですが……いや、あれも実に良い」
「そうだったのですか。私としても大分楽しませてもらいました。あの歌声、演奏も――何とも美しいものですね」
と、デメトリオ王やコンスタンザ女王が招待された貴族達と劇場の演奏について笑顔で語り合ったりして。今挨拶している貴族は、割と境界劇場のリピーターのようであるが。
「ご婚約おめでとうございます。私の記憶では殿下は以前にお会いした時の……まだお小さかった頃の印象がありましたので、こうして凛々しくなった殿下と言葉を交わすと、時が経つのは早いものだと感慨深く思ってしまいますな」
「ありがとうございます。エクスナー卿は、相変わらずご壮健そうで何よりです。久しぶりに挨拶できて嬉しく思っております」
「ふっふ。今日の演奏はお二人の祝福も兼ねて曲目を変えていたようで、素晴らしいものでしたな」
一方ではヘルフリート王子も貴族と言葉を交わしていた。
招待客については主だった者が選ばれているという事もあり、顔見せや祝福の挨拶も全体的に品が良く、和やかな雰囲気だ。
デメトリオ王達のところに挨拶に来るにしても、この後俺達が火精温泉に向かうということもあり、今回は顔見せと繋ぎを作る意味合いが強いので、あまり込み入った話も無い印象だ。
そうして楽屋からイルムヒルト達も戻ってきて、みんなに拍手で迎えられる。イルムヒルト達はヘルフリート王子とカティアに改めて「おめでとうございます」と祝福の挨拶をする。
「ありがとう。思いがけない方法で祝福されて嬉しく思っている」
「私からも、ありがとう。綺麗な歌声と素敵な曲で……演奏の間、ずっと楽しかったわ」
ヘルフリート王子とカティアもイルムヒルト達に丁寧にお礼の言葉を返す。それから「それなら良かった」と言葉を交わし、イルムヒルト達は俺達のところに戻ってきた。
「ああ、おかえり。うん。歌詞に合わせた演出もだけれど、みんなに以前伝えた曲もあったりして楽しかったよ」
イルムヒルト達だけでなく、劇場で働く裏方も慣れてきたようで、演出周りについては割と自由に組めるようになっているようだからな。
「ふふ、テオドール君には思い出深い曲みたいだからね」
「ん。事前に伝えずに混ぜてみたら喜んでくれると思った」
俺の言葉にイルムヒルトは少しはにかむように笑い、シーラも目を閉じて頷く。そうだな。それは確かに。
BFOに関する話は前世に関する事としてグレイス達には伝えてあるからな。その辺俺達の間だけでは伝わるので、みんなも笑顔でイルムヒルトとシーラの言葉に頷いていた。
「皆にも喜んで貰えたようで良かったよ」
「私達がグロウフォニカで集まっちゃうと劇場より先に色々見せることになっちゃうものね」
と、ドミニクが笑い、ユスティアが苦笑していた。その辺の最初のインパクトを温存する作戦は、デメトリオ王達の反応を見る限り成功した、と言っていいだろう。その分、ユスティアやドミニク、シリルにはこの後の歓待を一緒に楽しんで貰えたらな、というところだ。
そうして――その後は予定通りに皆で火精温泉へと向かった。
火精温泉にゆっくり浸かって休憩所で夕食をというのは、歓待の際には定番になっているが、今回は海の民が多いのでプールがかなり人気だ。
深みの魚人族やパラソルオクト達が仲良くウォータースライダーで流れていく光景は中々にシュールだ。流れる水のプールでネレイド族が楽しそうにはしゃいでいたりとか。気に入ってもらえたようで何よりだな。
温泉はどうかと言えば……こちらはフリッツやデメトリオ王がかなり気に入ったようだ。
「素晴らしい温泉じゃな。湯も心地よいが魔力の調子も良くなる。これ程の物と知っていたのなら、ケンネル殿に頼んで普段から足しげく通っておくべきじゃったかな」
湯にふんだんな魔力が含まれているからな。肩まで浸かり、満足そうに言いながらも冗談めかして言うフリッツである。
「なるほどな。確かに普段の執務の凝りもほぐされていくような気がするが」
「確かに……。これは良いですな……」
と、その言葉に納得したように肩を回すデメトリオ王と、脱力して湯加減を楽しんでいるバルフォア侯爵である。
「お祖父さん達もフリッツさんと同じ事を言っていましたね」
「うむ。ここの湯は良いのう」
と、お祖父さんは表情を綻ばせていた。
「何でもフリッツ殿は杖術を嗜むとか。テオドール公が訓練の折に使っている杖はフリッツ殿の店で売られていた物とお聞きしましたぞ」
七家の長老エミールがそう尋ねると、フリッツは苦笑した。
「いやいや、高位魔人を退けた天下のテオドール公の杖術とは比べるべくもありますまいが。杖に関してはそうですな。時折訓練用にと予備を買っていって頂いておりますが」
「フリッツさんは杖術を修めている方なので、僕が使っても取り回しが良いというのは本当ですよ。訓練の時には重宝しています」
「ほうほう」
俺の言葉に感心したように頷く長老達。フリッツは謙遜しているが、実際はかなり杖術に精通しているだろう。フリッツの店で売られている杖も……安価でも出来が良いし、他の扱っている品々もしっかりしているからな。
そんなわけで追加購入したりして、手加減が必要な訓練の時には重宝させて貰っている。循環魔力用の杖ではないので、魔力制御を誤ると壊れてしまうというのはあるのだが、それが逆に魔力制御の練習に丁度良いのだ。
「一度フリッツ殿のお店を見に行きたいところですな」
「シルヴァトリア王国の長老方のおめがねに適うかは分かりませんが……来訪なさった時には歓迎しますぞ」
そんな風にお祖父さん達とフリッツが盛り上がっていた。まあ……その辺は俺から見ても品質が良いので大丈夫だろう。
「杖術と訓練、か……。僕もしっかりカティアを守れるように、普段から訓練を積んでおかないとな」
と、ヘルフリート王子は目を閉じて決意を新たにしている。そんなヘルフリート王子の様子にメルヴィン王やジョサイア王子が相好を崩したりして。そんな調子で男湯は終始和やかな空気であった。