番外582 境界公と水槽
カカオは繊細な条件の環境を好む植物のようで。散水用の魔道具を多めに設置したり、日光が当たる角度をウィズと共に計算し、きちんと適切な日陰になるように、木魔法を用いて日傘のような覆いを作製したりと、植え付けをするのに色々と環境作りが必要ではあったが……フローリアと相談しながら作業を進めて何とか形になった。
「これならこの子も居心地が良いって」
諸々整えて植え付けまで終わったところでフローリアが笑顔で教えてくれた。
ハーベスタもうんうんと頷き、バロメッツも実の中から鳴き声を上げて良かった、と言ってくれているようだ。
「バロメッツに関しても、何とかなりそうですね。稲を収穫した際の藁もたっぷりとありますから食事には困りませんよ」
と、バロメッツの様子を見たフォルセトが笑ってそう言うと、バロメッツは実を少し動かしてありがとう、と言うような意味を込めた鳴き声でお礼を言っていた。
確かに他の植物を食べてしまうといった情報もあって心配していたが、まあ、それは主人のいない野生種での話なのだろう。これだけ話が通じるのなら見境なく何でも食べてしまう、という事は無さそうだ。
稲を収穫した際の藁もたっぷりとあるし、植木鉢ごと浮遊できるようにしておけばあちこちで雑草を食べてもらうといった事もできるだろうから、バロメッツの食糧問題に関しても諸々解決しているしな。後は時々毛を刈らせてもらうという事で。
「新しい作物の植え付けか。植物園も見事だが、精霊達の力を借りて植物と直接対話する方法は――興味深い光景だったな」
「私達は地上の植物自体見慣れないので、とても楽しく見せて貰っていますよ」
デメトリオ王が言うと、モルガンはそう答えて、海の民の面々も真剣な表情でその言葉を首肯する。
「このカカオというのは、どういった作物なのですか?」
先程から気になっていたのか、ミシェルが首を傾げて尋ねる。
「発酵と焙煎を経て、滋養強壮効果を持つ飲物にできます。今のままでは無臭ですが、発酵と焙煎を行うと香りも甘いものに変わりますよ。しかし……こうも栽培のための環境の構築が難しいと、やはり産地以外での大規模な栽培は難しそうですが」
コンスタンザ女王は説明の後に少し思案しながら、カカオの植え付け作業に対して所感を述べる。
「そうですね。しかし貿易や交流という面では……寧ろそれも良いのではないでしょうか。作物としてはまだまだ珍しいものですし、植物園で小規模生産したものを身の回りで広めれば話題も呼んで貿易と交流も盛んになるのではないかと」
「それは確かに……素晴らしいお話です」
カカオに関してはコンスタンザ女王の先程の言葉からも分かるように薬効を期待されている部分が大きく、チョコレートのような菓子類のイメージはまだ強くないようだ。
とはいえ甘い香りも、ココアの身体を温める効果も珍重されているようで、その辺りで価値を見出されているのも間違いないようだ。発酵と焙煎の手順までは分かっているので、加工用に貰ってきたカカオポッドに関してはそれらも進めていこう。
境界劇場は火精温泉と同じく夜に訪れるという事で……まずはそのまま中央区へと向かい、フォレスタニアの見学となる。
迷宮入口からフォレスタニアに飛んで、転移の光が収まった瞬間、招待された面々からどよめきが漏れた。
「噂には聞いていましたが……これが迷宮の中とは……」
と、ジョアンナがやや呆然としながら言った。
「外……ではないのね? 綺麗な場所――」
カティアが遠くに目をやって呟くように言う。ネレイド族と深みの魚人族に関しては完全に事前情報無しの初見だからな。螺旋階段を降りて地下にきたところでフォレスタニア入口にある塔からの光景というのは、どうも俺の想定していた以上に来訪者にインパクトを与えるもののようで。
「空や遠くに見える景色は、天井や壁に投射された幻術のようなものですよ。湖は本物ですが」
俺が解説すると、皆が納得したように頷いた。
「凪の海みたいで、風景が映って……とても美しいわ」
「確かに。ここまで穏やかな水面は中々見る事ができませんからな」
ドルシアの娘、アストレアの言葉に戦士長ヴェダルが頷く。凪の海は――ネレイド達にしてみると故郷を想起させるものかも知れない。ともあれ、西方海洋諸国や海の民にとってもこの湖面は中々の見物、という事のようだな。
「湖にはグランティオスの方々も滞在したりしていますよ。淡水ではありますが」
「それは見学に行く時が楽しみですな」
レンフォスがそういって相好を崩す。しばらく入口の塔からの光景を楽しんだ後で頃合いを見て浮石のエレベータで下へ降りる。浮石については王城の歓待中に体験していたようではあるが、それでも皆楽しそうな様子であった。
幻影劇場に運動公園。各種神殿といったフォレスタニアの街並みや施設を見ながら、居城へと向かう。
「こうしてここに立つと意識に呼応して道が動いてくれます。元々はシルヴァトリアの技術で、先程運動公園で見た運動場と基本的には同じものですね。城に向かう為の橋なので遊び場にされてはやや不適当かと思った点と、住民の健康促進の為に活用できたらと思い、運動公園として独立させました」
と、動く歩道について説明しておく。
「ああ。確かにこれは面白いかも知れないわ」
笑顔になるキュテリア。パラソルオクト達も浮遊を止めて地面に降りて滑っていく光景は中々にシュールであるが。
「これは……確かに面白い」
「遊ぶ為の場所を分けたのは正解ですな」
上機嫌なデメトリオ王の言葉にバルフォア侯爵も笑って応じる。そんな調子で初めて動く歩道を体験する面々も笑顔になっていた。
実際、自分以外の力で滑ったりというのは、思いの外楽しかったりするからな。
まあ……母さんを含めた七家のみんながこれでこっそり遊んでいたからという、運動公園の発想の大元となった部分は伏せておこう。実際運動公園も好評なようだしな。
城に到着したらみんなを中庭に案内したりして迎賓館から更に奥へと向かう。今回は西方で貰ってきた光珊瑚やイソギンチャクの為の、水槽の立ち上げをみんなに見せるという話になっているのだ。魔法建築や魔道具作りと同じ方向性で色々と期待感を集めているところがあるようで。
「待っていましたよ」
と、こちらでアドバイスをしてくれるのはマールである。ティエーラや他の精霊王達も一緒だ。
小さな水槽に入った光珊瑚の幼体が付着した石材や、イソギンチャク達といった水槽に入る面々も一緒である。
土台とフレームになる金属。ガラスの原料である珪砂。底面に配置する細かな砂や石。ミスリル銀線に魔石。各種魔道具やゴーレムメダルといった品々がフォレスタニア居城の一角に用意されている。
それらを用いて水槽を作っていくわけだ。まずはマジックサークルを展開。金属を光球の中に溶かして土台とフレームを形成していく。
土台やフレームは基本的には水に触れない。なるべく水質に影響が出ないようにするわけだ。魔石やミスリル銀線も土台に組み込み、水槽に必要となる機能を整えていく。
土台自体も簡単に動かせるように仕込みをしておく。これはレイアウトを変えたくなった時など、必要な折にメダルゴーレムを組み込めば自分で歩いてくれるという寸法である。
珪砂を光球に溶かし、フレームに収まるようにガラスに再構築していく。構造強化の魔法を加えて恒常的な水圧や自重、突然の衝撃にも耐えられるように加工。
魔力を浸透させた上で気合を込めて構造強化の魔法を施したので、かなり頑丈な仕上がりになった。
水槽の大きさはそこそこのものであるが……まあ、窮屈であるよりはいいだろう。
あまり大きくし過ぎても中の生物が少なくては寂しいものがあるし、逆に手狭になったらそれに応じて拡張してもいいわけだしな。そんなわけで水槽の底や裏面に魔道具を配置し、砂利や砂を敷き詰め、石を配置していく。これらの石にも将来的に光珊瑚が居着いてくれれば、というのを考慮してレイアウトを決めている。将来予想図に関しては迷宮核と共にシミュレートしてあるので、完成に至るのが楽しみだ。
「これらの魔道具はどういった品なのですか?」
ジョアンナが尋ねてくる。
「まず水温を一定に保つもの、自然環境に近いように水流を発生させるもの。水中に酸素――空気を取り込むための物。それから汚れた水を循環させて綺麗にしてから水槽内に戻す……というものですね。数は多いですが、どれもそんなに難しい技術を使った魔道具ではありませんよ」
水槽背面に回した導水管を通り、必要のない成分がある程度溜まったところで浄化と排出ができる仕組みだ。
迷宮核の計算では……こうした小規模の閉鎖空間内部で生物を飼っていると、どうしても生物由来の汚れが発生してしまうと警告があった。
つまり水質を何らかの方法で維持しない限り、段々と生物が住むのに適さない水質になっていってしまうわけだ。
自然環境では広さ故に問題にならないが……水槽の場合そうした汚れは死活問題だ。
ではどうするのかと言えば、これはバクテリアが分解していってくれれば解決する。
例えばアンモニアから亜硝酸塩、亜硝酸塩から硝酸塩、硝酸塩から窒素へと幾つかの種類のバクテリアの働きにより変化させる事で生物にとって無害化させるというわけだ。
アクアリウムも最終的にはそうした小規模な生態系の循環を構築して内部だけで完結するよう目指すものであるようだが……まあ、俺としても最初の内は魔法と魔道具の力で維持しつつ、段々と完成を目指していけば良いだろう。