番外579 天文と時計と
ミシェルの祖父、フリッツは普段はミシェルの代わりに留守を預かる事が多いのだが、試験栽培で協力してくれる農民達が今回はその役を担ってくれるとの事で。
温室の管理の仕方もノーブルリーフ達が自分達で覚えたらしい。
「水を撒く方法は分かる?」
といった調子で幾つか質問をして見ると、ノーブルリーフ達は質問内容に合わせて俺達の前で水を撒いたり、温室内の温度と湿度設定を上げ下げした後にぴったり元通りに調節したりしてから、葉っぱの形をサムズアップするようにこちらに見せたりしてきた。
植木鉢で浮遊できるようになった事で色々芸達者になっているような気がするノーブルリーフ達である。
「念のために、留守中はシーカーを配置しておけば安心かな」
「そうね。気になった時に状況を見る事ができるなら気兼ねなく滞在できるでしょうし、不測の事態にも対応できるわ」
「それは助かります」
「では、後でシーカーを連れてきます」
というわけで話が纏まり、問題が起こったらシーカーに伝えるようにとミシェルが言うと、ノーブルリーフ達は揃ってこくこくと頷いていた。
そうして――シルン伯爵領への視察やシーカーの配置、ケンネル達の招待を終えて、俺達はタームウィルズに戻る事になった。
オルトナもまたすぐに再会できるというのは分かっているからか、シャルロッテに抱き上げられてコルリスやティールとハイタッチしていたが……どこで覚えてくるのやら。
それを見ていたノーブルリーフ達が挨拶の一種としてハイタッチを自分達の中に早速取り入れていたのは中々面白い光景だった。
「ん。良い事が起こった時の挨拶」
使い方を教えるシーラの言葉に、素直に頷くノーブルリーフ達であった。
「普段は月神殿からあまり出ませんので、視察に同行できたのはとても楽しかったです」
タームウィルズに戻ってきたところでペネロープが微笑んで言うと、マルレーンもにこにこと上機嫌な様子だ。
「そういう事ならまた何かの折にお声をおかけしますね」
「うむ。儂も月神殿の近くにおるし、護衛役になれるであろう。言ってくれれば対応するぞ」
俺の言葉にアウリアも目を閉じて胸を張り……冒険者ギルドの事情を知っているロゼッタは苦笑していた。確かにその分ギルドを抜け出してくると言う事になるからな。まあ……頻繁にでなければ大丈夫か。
そうして月神殿前の広場までみんなで移動して、ペネロープやアウリアを月神殿や冒険者ギルドに送りつつ、俺達はフォレスタニアに戻った。
デメトリオ王達の歓待の前に、迷宮核でやるべき事がある。みんなと共に迷宮中枢部へ向かい、意識を迷宮核内部――術式の海に浮かべて早速仕事を始める。
まずはヘルフリート王子に関する仕事からだ。年齢による容姿の変化を幻術として組むためにヘルフリート王子の肉親――本人をベースにメルヴィン王や、バルフォア侯爵、グラディス王妃の容姿を参考にヘルフリート王子が年齢を重ねた場合に、容姿がどのように変化するかを予測してシミュレートしていく。
何十倍、何百倍に早回しして、大体60代後半ぐらいまでの容姿を記録していく。それ以降の年代は――体格や体力の面での変化も起こるので、また別の対策が必要となると予想される。幻影を被せている、と言っても、いつまでも若々しいでは通せない部分も出てくるだろう。
情報量が膨大になりすぎないように完全にリアルタイムを記録するのではなく、一ヶ月や二ヶ月毎の容姿の推移で幻術を組んだ場合はどうかなど、術式の軽量化も試みる。
この推移の間隔が開き過ぎると人によっては急激に老けた、という印象を与えてしまうため……不自然ではないか何度か早送りしたり巻き戻して確認したり、といった具合で調整。
見知った人間が急速に老いたり若返ったりするのを見るのは中々奇妙な感覚だ。所々でメルヴィン王やバルフォア侯爵、グラディス王妃やローズマリーに似た面影が見て取れたりするが、これはまあ、肉親だからというよりは元となるデータの参考にしているわけだから、面影が見られるのも当然で、寧ろ迷宮核の精度の方が優秀ということなのだろう。
単なる加齢だけでなく、ある程度太った場合と痩せた場合も幻術の考慮に入れる。間隔を開けた分、こうした方向にも容量が割けそうだったからだ。髪型や髭等は年齢の推移に応じて白髪を混ぜるなどの変化を入れていけばそれで十分だし、そうした方法で術式も組めるだろう。喜怒哀楽。表情が変化した場合の幻術の見え方も不自然がないか確認。
それが済んだら一先ず幻術の術式はそのまま保留にしておいて、幻術と連動する時計の構築に入る。
俺もそこまで時計の仕組みに詳しいわけではないのだが……あれは景久が――高校生の時ぐらいだったか。時計の歴史や仕組みを解説する動画を見た記憶がある。その時は機械式時計というものの精密さやその機構に色々と感心させられたものだ。
それらの記憶を迷宮核に伝え、不足部分は迷宮核の予測で補ってシミュレートしたりして技術を構築しようというわけである。
機械式時計はリューズで巻き上げたゼンマイを動力源として、複数の歯車と、脱進機と呼ばれる機構が正確に噛み合わさって連動する事で正確な時を刻む事が可能となっている。
この脱進機というのは、いくつかのパーツを組み合わせてゼンマイの動力を一気に使わせないように抑制しつつ、正確な速度で歯車が動くように調整を可能とするものだ。歯車も脱進機も、どれも大切なパーツなので、どこに不具合があっても時計としての機能は成り立たない。
非常に精密な加工技術を要求される部品もあるのだが――そうしたパーツを作る場合は、それ専用の術式を組んでしまって良いだろう。ドワーフも魔法の心得がある者は金属加工に土魔法を用いているしな。
というわけで迷宮核に動画の記憶を伝えていく。迷宮核も俺の精神と繋がっているからか、俺が忘れている記憶の細部まで正確に読み取ってくれた。その記憶と情報を元に、術式の海に仮想の歯車や脱進機のパーツが浮かんで組み合わされていく。
秒や分の基準に関しては――地球の歴史上でも……時間を表すのは昔からどこの地域でも十二進法と六十進法というのが見られる。
これは月の満ち欠けや季節の周期を元にしている為だと言われている。だからこそ地域が違っても十二と六十という進法が使われていたのだろう。
ルーンガルドでも日時計や火時計を用いて、一時間毎に鐘を鳴らして時を伝えていたりするし、そうした基準もやはり月の満ち欠けや季節の周期に準じていたりするので、秒や分の基準もそれに則って問題はあるまい。
そうやって時計の機構、一秒の間隔といったものを諸々定義しながら迷宮核と共に作業を進めていくと、やがて仮想空間上ではあるものの、真っ当に動く機械式時計が組み上がった。流石は迷宮核といったところだ。
ここまで構築してきて……嬉しい誤算としては機械式時計という物品自体、魔法と相性が良い、と迷宮核が分析を返してきた事だ。
例えば武器なら刀剣もそうだし、精巧な美術品もそうなのだが、魔法的な意味を込めやすく、魔道具にしやすい魔法に相性のいい品というのがある。時計も……確かにそうかも知れないな。これなら――時計の素材をミスリル銀にする事で、刻める術式の容量を大幅に増す事ができそうだ。
基本形は出来たが、幻術と連動するので秒針、分針だけでなく年代、日付も分かるようにしておかないといけない。更に連動する機構を増やし、暦の数字板が動くところまで仮想の機械式時計を構築していく。
そして更に――数字板を参照して内蔵された魔石に刻まれた幻術と連動できるようにする。これはミスリル銀線で繋いでやればいい。
機械式時計は魔法抜きで動作するところに大きな意義があるわけだが……ヘルフリート王子に渡すのはあくまで「機械式時計と連動する魔道具」だ。ゼンマイの巻き忘れで幻術にまで誤差が生じたりして、きちんと作用しないなどというのも馬鹿馬鹿しいので動力部分でも術式を組んで、自動誤差修正機能なども盛り込んでみよう。