番外549 鎮魂の海
迸るような炎熱の柱が段々と細くなっていき……やがて完全に術が終わった後には青い空が残るばかりだ。円型に穴を穿たれた雲だけが先程の術の痕跡を物語っているようだった。
そうしてテンペスタスの生命反応、魔力反応の消失と共にその場にいる魔法生物達が停止する。彼らの生命反応も急速に光を失うと、周囲に体内の魔力を放散しながら、ゆっくりと海に落ちていった。
急激な肉体変化。限界以上の生命力と魔力の行使。能力が不安定な方法で引き出されていたところで、統率していたテンペスタスが失われた反動か。海に落ちて波間に形を失い、泡となって消えていく。
これで……テンペスタス達の暴走も収束した、と言えるだろうか。
「テオドール様!」
「ああ……。アシュレイ」
近付いてくるシリウス号の甲板からアシュレイが真剣な表情で俺に呼びかけてくる。アシュレイ達は、今回は味方も多かったので、防御陣地を囮にするよりあちこち飛び回ってシリウス号の突撃で敵を攪乱したり遠距離から治癒魔法をかけて回ったりしてくれていた。だから、大規模な乱戦ではあったが味方が受ける被害もかなり減っていたと思う。
それを言うならファリード王もか。部隊指揮を行いつつエルハーム姫の曲刀の力で治癒を行い、敵の目を引きつけたところで、イグナード王やゲンライ、レイメイといった面々が攻撃に回るという立ち回り方をしていた。
「傷をみせて下さい。他の皆さんは……一先ずは大丈夫なようです」
「ん、ありがとう。みんなの傷は?」
「私の把握している範囲では深刻なものはない、ようです」
ゆっくりと甲板に降りると、すぐにアシュレイが駆けてくる。
甲板から見ると、こちらに向かって飛んで来たり、手を振ってたり……各々大丈夫だと合図を送ってくれているようだ。
グレイスも大技を受け止めた時に負荷によるダメージがあったようだが「もう回復していますよ」と、ほっそりとした手を見せてくれながら穏やかな表情で教えてくれた。大物を相手にしていたシーラやイルムヒルト、それにローズマリーも、怪我はしていないようだ。
通信機にも次々と、深刻な負傷者や死者はいないという旨の報告が入ってきて……首都の方も、オーレリア女王達は大丈夫との事である。ああ。それは安心した。
フォルガロの将兵は……海に落ちたりした者もいたようだが、ティールが回収してくれたりと……まあ、そちらも大丈夫ではあるようだ。海から顔を出してフリッパーを振ったりしてくれている。
俺の方は――大魔法の撃ち合いによる過負荷や自分の術の余波による火傷。それから脇腹の肉を抉られたり、あちこちブレードが掠めた切り傷、攻撃を受け止めた時の衝撃による鈍痛があるが……まあ、命に別状はない。
「すぐに治療しますね。具合が悪そうです」
俺の表情を見て、アシュレイが言った。ああ。表情に出てた、かな。
「いや、傷はそこまでじゃないんだ。ただ……テンペスタス達の事が気になって」
アシュレイやみんなに心配をかけたくないので、正直に答える。
……テンペスタスと魔法生物達は、作られた目的や与えられた意識に問題があったから暴走してしまった。アダルベルトは支配していた相手だから、テンペスタスが排除しようとするのは……まあ分かる。
だけれど戦ってそれと分かるほどの高い判断能力を持ちながら、深みの魚人族や他の生物にもお構いなしに攻撃を仕掛けていたし、作った者の性格を反映するように凶暴で残忍な性質を見せる個体も多かった。
だから、彼らは他の生物と相容れない存在だったのだろうけれど。
「それでもテンペスタス達が悪かったのかって言われると、そうじゃないように思うんだ。ただあいつらは……作った連中が勝手だったから、ああなってしまったっていうだけで」
「……そう、かも知れません」
テンペスタス達を見て感じた事を口に出して説明すると、アシュレイやみんなの表情も少し沈む。要塞側にいる面々にもティアーズを通して話は聞こえているはずだ。魔法生物組も思うところがあるようだ。フォルガロの将兵達でさえも……俯いていた。
アシュレイの治癒魔法の輝きが、傷の痛みを和らげてくれる。治癒魔法が優しく、温かく感じられて……。それで余計に感傷的になっているのかも知れないが、まだ……何かできる事がある、のかも知れない。思いついてしまえば、行動に移してしまっていた。
「ティエーラ……みんな……。手伝ってくれるかな?」
精霊王のタブレットに呼びかけながらマジックサークルを展開する。テンペスタスの魔力、魔法生物達の魔力に波長を合わせ、ウロボロスを掲げて環境魔力を集める要領で、拡散していこうとする魔力を集めていく。
「テオドール……。手伝えることがあったら言って欲しいわ」
クラウディアが真剣な面持ちで尋ねてくる。
「鎮魂のためか、魔法生物として別の形で生まれ変わらせるのか。それは決めていないけど。できる事があるならしてやりたいって、そう思うんだ」
「そう……。なら、私も……想いが届くように願うわ。彼らが戦いのためなんかじゃなく、誰かに静かで優しい気持ちの中で想われるように」
クラウディアがそう言って、静かに目を閉じて祈るような仕草を見せる。マルレーンも頷いて、祈りの仕草を見せると、デュラハンも馬から降りて、恭しく黙祷を捧げるような仕草を見せた。
「話は――聞かせて貰いました」
「そういう事なら、我らも協力するのは吝かではない」
「首都の方は、私達に任せてね!」
「きっと、お主ならば、連中を導いてやれるであろうよ」
「良い方向に向かいますように」
風に紛れるようにティエーラや精霊王達の声が聞こえたような気がした。大きな気配が首都に向かって流れていく。
「聞いたな、お主ら。我らも……祈ろうではないか。テンペスタスは、我らの主とは違った。我らの主の亡骸を元にしただけで、そもそも違う魂を持つ存在として世に生まれたのであろうが……それでも我らと縁が深いのは間違いない」
そんな長老の言葉に、深みの魚人族も目を閉じて祈る。今回の旅に同行しているみんな。駆けつけてくれた人達。集落にいる魚人達。種族も所属も関係なく。
「……すまなかった。どうか……許して、欲しい」
「我々が……今更祈って……どうなるものでもないのかも、知れないが」
そう言って、跪いて祈るフォルガロの将兵達。
周辺の空に、海に、フォルガロの首都に。月女神の祝福を示す燐光がどこまでもどこまでも広がっていく。温かくて優しい、ぼんやりとした輝きはどこか治癒魔法の輝きにも似ていて。
そうしてその中であちこちに拡散した魔法生物達の魔力や――希薄ではあるが魂だと感じられる存在が、掲げたウロボロスの杖の先に集まってくる。戦いの為に作られた……荒々しさを持っていた魂も……ゆっくりとみんなの想いの中に溶けて、穏やかな物になっていく。
首都の方向からも、いくつもの淡い輝きが集まってきて。やがてデュラハンが手を差し伸べると集まった光の中から無数の小さな輝きがデュラハンの周りを舞った。
「静かに眠れる場所に、連れていってくれるのかな?」
そう尋ねるとデュラハンは静かに首を縦に動かして。集まったそれらを導くように、どこかを指差す。そして……共に薄れるように消えていった。最後に――テンペスタスが俺に向かって、楽しかったと笑ったような。そんなイメージが脳裏に浮かんで、薄れていった。
後に残るのは……テンペスタス達の遺した魔力だけだ。
それを魔石抽出の術式の応用で練り上げていくと、大きな光球が段々と集束していき、最後に大きな魔石が残った。手を差し伸べると、ゆっくりと俺の手の中に降りてくる。瞳と同じような淡い緑の色で、強い魔力を宿しているが……とても穏やかな魔力を湛えていた。
「綺麗……」
セラフィナが魔石を覗き込んで言う。そうだな。綺麗な魔石だ。
一段落したところで息をつく。まだフォルガロに関する後始末は諸々あるけれど……それは俺の仕事というよりは西方海洋諸国にかかってくる問題だしな。
けれど……先程の将兵達の様子を見る限り、どうにかなるのではないかと、そんな想いも浮かんでくるのであった。