124 後嗣問題
「――というわけで、工房周辺の警備巡回を強化した方がいいかもね。泥棒に限らず、何らかの意趣返しもあるかも知れないし」
「ブロデリック侯爵か」
明くる日。工房に赴いて昨晩の一件を話して聞かせると、アルフレッドは腕組みをして苦笑した。
「鉱山の産出量落ち込みは仕方ないにしても、今後の収入源としていかなければならない開拓については力を入れるようにと言われていたはずなんだけど……。6年前のあれで……被害の少なかった所については後回しになってしまった所があるからね」
……死睡の王か。
あいつはあちこち歩き回って疫病をバラまいたからな。ガートナー伯爵領やシルン男爵領だけでなく、近隣諸国でもかなりの被害が出ていたはずだ。
侯爵領が難を逃れた理由は……母さんが伯爵領で止めたからという事になるのだろう。
「でも全然その辺、改善してなかったんじゃないかって気はするけどな」
何を思ったか侯爵は財政立て直し策の1つとしてキャスリンに指示を飛ばしていたわけだが。農地開拓に失敗したか、或いは開拓が形になるのが遅かったからそうしたのかも知れない。
「だと思うよ。君に借金を申し込むほど切羽詰っているというのは……形振り構わないにも程があるね」
「全くだ」
断じて祖父と孫などという関係ではないけれど……それに近い関係ではあるのだし。贅沢が祟って孫に借金を申し込む祖父などと、普通に聞いて外聞が悪くて仕方が無い。
「父上も色々あってかなり神経を尖らせているんだ。この国も死睡の王が来るまでずっと平穏だったし、それが過ぎ去っても周辺国とは揉め事も無く来ているだろう?」
「中央部は被害が少なかったし、それだけ平和に胡坐をかいていた連中が多かったって事だろうな」
歴史も長い。国が成熟すると腐敗が多くなるというのはどうしても出てくる。メルヴィン王は被害を受けた地方の立て直しに注力していたから、その分中央が疎かになった部分はあるのだろう。
だが――この時期にそんなしょうもない醜聞である。メルヴィン王の耳に伝われば侯爵に対する風当たりは相当厳しくなるんじゃないだろうか。
ガートナー伯爵領もシルン男爵領も立て直しているのだし、何事も無かった侯爵領が以前に一度改善案を出されていて、その体たらくというのはな。
「当然だけど……借金が返せなかったなんて話が明るみに出たら、侯爵にお咎めが無いなんてことはないと思うよ」
アルフレッドが言う。
「家督を譲っての引退ぐらいはありそうだな」
「だろうね」
となると、父さんの経済制裁はその辺も見越してのものかも知れない。キャスリンを押さえて侯爵家からの影響力と、情報漏洩を遮断。当主が代替わりしたところで手打ちにして、不安定な新しい侯爵家当主に対しては積極的に協力をしてみせる事で貸しを作り、事を穏便に収束する……というのが考え得る最善だろうか。
俺に迷惑をかけないようにすると言っていただけの事はある。侯爵が俺の所に来たのは、多分父さんにとっては想定外のケースなんだろう。実際、借金の申し込みは俺も予想の外ではあったし。
経済制裁策は既に動いているが……侯爵の懐事情――つまり侯爵が当主の座から退くまでの期間はやや不透明な所があったから、父さんは短期的な物から中長期的な物まで十重二十重に策を巡らせているわけだ。
だから最初は冬場の自然現象を装って道を崩すという、責任の所在が分かりにくい所から始まっているのだし。
しかし今回俺の所に侯爵が来たのは、そう考えると丁度良かったな。あちこち借金のために声をかけ、終いには俺の所に来た、などという醜聞が伝われば……それは間違いなく、侯爵が当主の座を退くまでの時間を縮めてしまう。
侯爵はほとんど詰みだ。そうなると気になってくるのは侯爵の後釜なわけだが。
「侯爵家の後嗣については?」
「長男の評判は良いね。但し、侯爵とは非常に不仲って話も聞く」
「あー……」
不仲の理由はいくらでも想像が付く。真っ当ならそれだけで愛想を尽かすだろう。
それにしても……醜聞で引退して不仲な長男が後を継ぐなどとなったら、侯爵の末路は冷や飯を食わされるなんて物では済まない可能性があるな。……もしかすると必死になっていたのはその辺が理由か?
「放置しておくと長男を飛ばして、次男に継がせるなんて事も有り得そうだけど。次男の方は父親に可愛がられている類でね。当然人望は推して知るべしというか」
「保身のために次男を跡継ぎにか。あの侯爵なら十分有り得るな」
そうなると長男を担ぐ派閥なんてのも出てきて、お家騒動になりかねない所がある。
「父上に報告しないわけにはいかないかな。情報が伝わるのは早ければ早いほど良いし」
アルフレッドは小さくかぶりを振って溜息を吐いた。
……ふむ。侯爵についての話はこんなところか。父さんには後で連絡しておくとして、今は以前のガーディアン部屋で採れた素材についての話をしよう。
「ところで、ノーチラスの殻とアーケロンの甲羅はどんな具合?」
ノーチラスの殻は軽量で中々頑丈。魔力を溜め込める性質を持ち、その分だけ自前で再生能力を持つという特性がある。
砕いてからしばらくの間なら、治癒魔法で再生可能。それを利用して、破片を型に入れて治癒魔法を掛ける事である程度形を自由にしたり継ぎ接ぎができる。その為色々加工方法に応用が利きそうなので使い道を吟味している最中である。
「色々考えたけれど、ノーチラスの殻はやっぱり防具かな。溜め込める魔力が多いから、プロテクションを組み込めば相当な防御力になると思う」
ノーチラスの持っていた真珠のカットラスも似たような特性を持っているが……軽量であるためにシーラがそのまま引き受ける事になった。
元々使っていたソードボアのダガーにはグレイスの斧のようにチェーンを付けて、投擲にも使いやすいように加工してある。
「イルムヒルト嬢の防具を強化したいんだったよね。スカート状のチェインメイルに装甲として組み込んで……というのはどうかな?」
「良いと思うよ。移動の邪魔にならないよう、正面にスリットを入れるといいんじゃないかな」
「分かった。その方向で作ってみよう。アーケロンの甲羅の方はもうすぐ出来上がる。完成したら連絡するよ」
「了解」
アーケロンの甲羅はソーサーに加工させてもらった。魔石を埋め込んでシールドで空中に保持、エアブラストで回転させる事で、防御にも攻撃にも使える仕様だ。こういった物の統制に向いているのはマルレーンなので、彼女の防具兼、中距離用武器になる予定である。
デッドシャークとノーチラスの余った部分から抽出した魔石に関してはかなりの品質だった。これはグレイスとアシュレイに渡る予定だ。後は術式として何を組み込もうかという感じであるが。
「戦力強化は順調?」
「まあ、なかなかね」
新しい装備を作ったら作ったでそれに熟達しなきゃならないんだけどな。彼女達の特性や弱点、処理能力に合わせて見合うものを作っていきたいところだ。
「ん……」
「どうかした?」
家に帰ってしばらく寛いでいると陽が落ちて暗くなった頃になって、武器の手入れをしていたシーラが不意に顔を上げた。
シーラだけではない。イルムヒルトとラヴィーネも反応している。
彼女達は一様に戸口の方に気配を感じているようだ。少しの間を置いて、ノックの音が響く。誰かが訪ねてきたのは間違いない。侯爵絡みではないとは思うが。
「どなたですか?」
グレイスが声をかけると、すぐに返答があった。
「クラウディアよ」
……ええっと。
住所は伝えてあったが、正面玄関から普通に訪問してくるか。実に真っ当だが、真っ当すぎて彼女の在り様から考えると逆に違和感があるぐらいである。
クラウディアを家の中に招き入れる。すぐにグレイスがティーセットを運んできた。
折り目正しく椅子に腰かけ、ティーカップを持つその姿。迷宮内よりはそのドレス姿も場違いではないが。
「今日の朝、目が覚めたのだけれど。夜遅くになってしまったのは謝るわ。人目につくのが、嫌だったから」
……なるほど。今度地下室の物置を整理しておいて、そっちに直接転移してもらうことにするか。
そうすると地下室にある素材やらは――庭に物置でも作ればいいか。
「今日来たのは……目が覚めた事の連絡と、この前のお礼にね」
「お礼を言われるような事なんてしたかな」
「……イルムヒルトが帰ってきたから、村がとても明るい雰囲気になっているの」
クラウディアは小首を傾げて笑みを浮かべ、イルムヒルトが表情を明るくする。
……そっか。子供を追放しなきゃならなかったとか、彼らにとっても苦渋の決断だったろうしな。そのイルムヒルトが元気な姿を見せたのは――思っていたよりも彼らに良い影響を与えているようだ。
しかし目が覚めてすぐ訪問してくるとは、クラウディアも律儀というか何と言うか。




